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『やぁ、少年よ』
気付けばそこは何もない真っ白な空間だ。何処までが壁でどこまでが床か全くわからない影もない空間だ。足を踏み出しても進んでいるのかもわからないほど歩行感覚の狂わされる空間に、杖を片手に持った老人がいた。
「え……と」
『わしはお前さんたちが薬の神様と呼ぶ存在じゃ』
何故自分がここにいるのかもわからないが、目の前の老人が誰なのかもわからない。白き髪の毛と長い白髭を纏ったその人物は「誰ですか?」と聞けば「神様」と返してきた。
「薬祖神様?」
『おう!いかにも』
神様と言われて思い浮かべるのは、記憶に新しい薬祖神様であった。ここでようやく自分が神社に参拝しに行った内容を思い出した。
「それで……、何の用ですか?」
『何の用も何もないじゃろ。万能な薬が欲しいと願ったな?いや〜、たまげたわい。そんな面白いお願いをされるとは思わなくてな、ちと叶えてやろうと思ったわけじゃ』
自分が人とは外れた考えた方をしていることは理解している。多くの願いを聞いている神様にとっては、逆にそのような"印象に残る"願いは覚えやすいだろう。
万能な薬を願うことが面白いことなのかは分からないが、神様の心を射止めることができたようで少し嬉しいと思った。
「万能な薬があるんですか!!!」
覚えてもらえることと、叶えてもらえることは別問題だろう。
そもそも万能な薬が存在しているということが衝撃だ。さすが薬の神様というべきなのか。
『あるにはある』
そう言って、薬祖神はコルクで閉じられた透明なガラス瓶を取り出した。
『これは、おくすり魔法瓶じゃ』
「おくすり魔法瓶?」
『見てわかるように、この瓶の中には白い粒が100粒ほど入っている。これこそ、万能薬じゃ』
まさに薬というその姿。白い粒を見ていれば、普段風邪や腹痛に効くと宣伝されているような薬と同じようなもので、「本当に万能なのか?」と思ってしまう。
「でも、なんでも治せるって俺にはあまり必要ないような」
『確かに、万能薬と聞けばそう思うじゃろう。だがこれはそんな程度ではない。いわば、お前さんが願えばなんでもその通りになってしまう薬じゃ』
「願ったとおりになる!?」
いや、待ってくれ。願えばどんな薬になるなんて聞いてしまったら話は別だ。俺の中で薬のイメージは『病気を治すもの』というが強かったが、そうでないとすれば俺にも使う価値があるだろう。
「そうじゃ。皆から注目されたいと願って飲めば注目を浴び、時間を止めたいと思えば止めることもできるじゃろう」
「す……すごい……」
『しかし、完璧ではないがな。完璧な万能薬が存在してしまっては、世界のバランスが崩れてしまうのじゃ。完璧ではないが故に副作用がある』
「副作用……なんだろう」
普段飲む風邪薬で聞くのは、睡魔に襲われるような効果で、もっと深刻な病気になれば更に大きな副作用があったりするだろう。そこまで病気をしたことない俺にとってはあまり馴染みのない言葉だった。
『この薬は一粒飲めば、半日は効果が続く。副作用もまた同じじゃ。万能薬の副作用は、"好意を持っている異性のことが嫌いと思ってしまう"というものじゃ』
「いやいやいや、致命的じゃないですか」
好きな人を嫌いになってしまうなんて問題だろ。好きな相手が仲の良い友達であれば、こちらから避ける形になってしまう。両想いならばとんでもないことが起きてしまう可能性がある。なんとも致命的だ。
『そうでもなかろう。考えてみろ、"好きな女の子から嫌われる"のではない。"嫌いになってしまう"だけじゃから、お前さんの行動次第では問題は起きまい』
"嫌いになるだけ"なんて他人事にも程がある。確かに薬祖神からすれば他人事だけれども……、それにしても人間関係を崩壊させる危険性が高すぎる。
「そんな無茶苦茶な……。じゃあ、好きな人に振り向いてくれるようにお願いしたら、副作用はなくなるんじゃないですか?」
『おお、良いことを聞く奴じゃな。そう願った場合は、"家族から嫌われる"という副作用になるのじゃ』
「そっちは嫌われるんですか!!!使えないじゃないですか」
好きな人を振り向かせたいなら、家族を捨てろ。なんでも思う通りに世界を動かしたいなら、好きな人を諦めろというのが万能薬と……。本当に万能薬なのか怪しくなってきた。
『何を言うか若僧よ!!!好きな女の子を振り向かせるのに薬なんぞ使わないで、己で努力して掴み取ってみせぃ。それでこそ"本当の幸せ"が手に入るってもんじゃろう』
「あ……はい。すみません」
薬祖神の言葉に、反論はできなかった。今度、恋愛の神様に願うことがあったら、『好きな人が振り向いてくれますように』と願いたいと少しでも思ってしまった自分を恨んだ。
『ということで、これを授けよう。万能薬と言っても、過度な使用は身体に毒じゃ。気をつけて使いなさい。使うも使わないも後は自己責任じゃ。もうわしが君の前に現れることはないじゃろう』
「ありがとうございます」
俺はその瓶を薬祖神から受け取った。
カラカラという音を立てる白い姿を見れば見るほど、風邪薬にしか思えない。願えばなんでもその効果になるということは、願わなければただの白い粉を固形化させた物体ということになるらしい。
『では、お前さんに幸運が訪れることを……」
薬祖神は一言そう言い残した。
そのまま俺の視界は真っ暗な世界へと包まれて、意識は深い眠りから覚めていくのだった。
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