デート

1/1
前へ
/24ページ
次へ

デート

 真咲との初めての『店外デート』当日。  待ち合わせの場所は、雑貨屋の最寄り駅。すなわち、杏奈の会社の最寄り駅。  緊張のせいか、通い馴れた場所であるにもかかわらず、待ち合わせよりだいぶ早く着いてしまい、杏奈は改札近くのコーヒーショップで真咲を待つことにした。  待ち合わせ時間の10分ほど前。  改札前に小走りでやってきた男性の姿を見つけ、杏奈は席を立ちかけたが、その体勢のまま止まった。  真咲のように見えたのだが、なにかが違う。  もう一度腰を下ろし、杏奈はガラス越しにその男性をじっと見た。  顔は、間違いなく、真咲だ。では、何が違うのか。 (……そっか)  やっと違和感の理由に気付き、杏奈は苦笑を浮かべながら席を立った。  そして、そのままコーヒーショップを出て、真咲の元へと向かう。 「真咲さん」 「あれっ?どこから来たんや?」  改札の方を見ていた真咲が、驚いたように振り返る。  ごくありふれた、普通の服を身につけて。 「早めに着いたので、あのコーヒーショップでコーヒーを飲んでいたんです」  目の前で真咲と対面しながらも、やはり違和感は拭えない。  以前は、理解のできない真咲の服装にかなり引いていた杏奈だったが、いつのまにか馴れてしまい、それが当たり前になってしまっていたらしい。 「なんや、そないなことなら、あのまま来とけば良かったなぁ」  悔しそうに、真咲が呟く。 「どうかしたのですか?」 「実は、出がけに姉貴とバッタリ会ってもうてなぁ。『あんたその服で行くつもり?!』て、散々ダメ出しされてん。で、戻って着替えて来たんや。ほんまやったら、もっと早うに着いとるはずやったのに……」 「でも、まだ待ち合わせの時間にはなってないですし」 「早うに着いとったら、もっと早うに杏奈ちゃんに会えとったやん」  当たり前のようにサラリと真咲は言って、やはり悔しそうな顔を見せる。 (……なんでしょう、なんだかとても、照れ臭い……)  その横で、杏奈は1人、頬を染めていた。 「それで、今日はどこへ?」 「俺のオススメのとこや。ほな、行こか」  そう言って、真咲は杏奈に右手を差し出す。 (……え?)  意味がわからず、暫しとまどっていた杏奈だったが、おずおずと右手を差し出し、真咲の手を握った。 「よろしくお願いします」 「はい、よろしゅうに~」  にっこりと笑って杏奈の手を握り返した真咲だったが。 「って!握手ちゃうわっ!」  呆れ顔で、それでも優しく杏奈の右手を離し、左手を握る。 「えっ!」  驚く杏奈に、真咲はニヤリと笑って言った。 「今日はデートやて、言うたやろ。デートっちゅうたら、手、繋ぐもんや」 「でっ、ですが……ちょっとっ!」  有無を言わさず、真咲は杏奈の手を引いて歩き出した。  華奢だと思っていた真咲の手は、思いの外大きくて力強く、当たり前のように手を繋いだまま歩いている真咲の姿に、杏奈の恥ずかしさも次第に薄れ始める。  そうして、真咲に連れられて着いた場所は、杏奈の予想外の場所だった。 「ここ、ですか?」 「そや」  休日のため、ほとんど人の姿は無いが、そこはいわゆるオフィス街へと繋がる駅。 「こっちや」  馴れた足取りで杏奈の手を引き、真咲が案内した場所にあったのは、地下へと続く小さな雑貨屋への入口だった。 「こんなところに……」  色々な雑貨屋を見てきた杏奈も、来たことの無い店。  地下に続く階段の壁からディスプレイが始まっていて、店内に入る前から既に杏奈の目を楽しませてくれている。 「すてき……」  無意識の内に真咲の手を離し、杏奈は吸い寄せられるように、階段をゆっくりと降り始めた。  そこは、ネコをメインに扱っている雑貨屋のようで、ネコをモチーフとした雑貨が、小さな店の至るところから杏奈を出迎えてくれているようだった。  小さいものから大きいものまで大小取り揃えた招き猫の置物や、スラリとしたネコのシルエットの花瓶。小さな猫がたくさん描かれている傘や可愛らしいアクセサリー類まで。  杏奈がしゃがみこんで細々とした小物に見とれていると、後ろから話し声が聞こえてきた。 「あら、茶倉くん。お久しぶりね」 「ご無沙汰してます、律子さん」  あとから聞こえたのは、真咲の声。 (チャクラクン……?)  そっと振り返ると、1人の女性と真咲が、親しげな感じで話をしていた。  ここは、他人を装っていた方がいいのだろうか。  そんなことを考えていた杏奈に、真咲から声がかかった。 「杏奈ちゃん、ちょっとええか?」 「はっ、はいっ!」  慌てて立ち上がり真咲の元へ行くと、真咲は杏奈の背にそっと手を添え、隣に立つ女性の前に軽く押し出す。 「律子さん、この人が彼女です」 (真咲さんっ?!)  驚く杏奈の耳に、女性の小さな呟きが届く。 「そう、あなたが……」 (え……?)  怪訝に思いながらも、杏奈は女性に軽く頭を下げる。 「初めまして。間宮と申します」  女性は杏奈を見つめたまま、ふわりと微笑んだ。 「ご丁寧にありがとう。私はここの店主をしております、律子です」  年齢不詳の、少し前に流行った『美魔女』という表現がしっくりくる、というのが律子の印象だ。同性の杏奈から見ても魅力的な微笑みを杏奈から真咲へと移し、律子は言った。 「以前、茶倉くんはここで働いてくれていたのよ。雑貨屋を開きたいから、勉強させてくれ、と言ってね」 「せやねん。律子さんは、俺の師匠なんや」  律子の言葉に、真咲が照れくさそうに笑う。 「最初はどうなることかと思ったけど」  ふふふ、と口元に手を添えて笑い、律子は杏奈に小さな声で告げる。 「接客も商品の扱い方も、全くなってなくてねぇ」 「そうなんですか?」  杏奈には、意外だった。  少なくとも、今の真咲からは想像ができない。 「でもね、どうしても自分で雑貨屋を開きたいっていう熱意だけは、ものすごく強くて」  何故かしらね?と、意味ありげに律子がチラリと真咲を見ると。 「あかんで律子さん、ストップ!」  慌てたように、真咲が律子と杏奈の間に体を割り込ませ、 「今日は彼女とデートやねん。律子さんとこには挨拶に寄っただけやし。そろそろ行くわ」  早口で言うと、真咲は杏奈の手を取って店を出ようと歩き出した。 「真咲さんっ、待ってください!」  杏奈は慌てて真咲を引き留め、手にしていたものを律子に差し出す。 「律子さん、これをください」 「あら」  杏奈が差し出したのは、黒ネコを思わせる、ネコ耳の付いたパスケース。  一目見るなり思わず手にとってしまい、そのまま持ってしまっていたもの。  しっかりとした革製の作りだが、小さなネコ耳と三本ヒゲの刺繍が、革製品の堅いイメージを和らげ、可愛らしい印象を与えている。  入社以来ずっと使い続けていたパスケースがだいぶくたびれてきていたため、そろそろ新しいものが欲しいと思っていたところだった。 「さすがね」  小さく呟きパスケースを受けとると、律子は店の奥へと入っていった。  そしてほどなく、包みを手に戻ってくる。 「はい、どうぞ」 「あの、お代は……」  尋ねる杏奈の脇から、真咲が黙って律子に紙幣を手渡す。 「確かに。ありがとうございます」 「えっ?真咲さん?」 「ほな、行くで」  戸惑う杏奈を置いて、真咲は店を出て行ってしまった。 (えっ……) 「ふふふっ」  笑い声に振り返ると、優しい微笑を浮かべて、律子が杏奈を見ていた。 「いいのよ。これは、茶倉くんに出させてあげて。彼も喜んでいると思うわ」 (……喜ぶ?何故、真咲さんが?)  杏奈の頭の上を飛び交う?マークが見えていたのか。  律子はこう続けた。 「これはね、茶倉くんがこの店で最後に仕入れたものなのよ。『彼女が喜びそうだから』って」  是非またいらしてね、と律子に見送られて店を出た杏奈だったが、謎は深まるばかりだった。  階段を登ったところで、真咲は杏奈を待っていた。 「真咲さん、これ……ありがとうございます」  律子の言葉は杏奈にはまるで理解できなかったが、ここは真咲の好意に甘えた方がいいということだろうと解釈した。  だが。 「いや……でも、まさか杏奈ちゃんがほんまにそれを選んでくれる日が来るとは……」  何やら感慨深げな表情を浮かべ、真咲は杏奈が手にした包みを見つめている。まさに、律子の言った通りだ。 (……一体、どういうことなの?それに……)  尋ねようと口を開きかけた杏奈に気付いたのか、包みから視線を逸らし、真咲はその場で大きく伸びをした。 「なんや、腹減ってきたな。そろそろランチでもせえへん?」 (秘密、ということですか。でもこれだけは……)  一旦口を閉じた杏奈に安心したのか、真咲はそのままランチの話を続ける。 「実はな、一緒に行って欲しい店、あんねん」 「チャクラクン」  杏奈はもう一つ気になっていたこと、律子が口にしていた真咲の呼び名を口にした。 「……んっ?」  伸びをした体勢のまま、驚いたように真咲は杏奈を見る。 「どないしたん、急に」 「律子さんが、あなたのことをそう呼んでいたので」 「ああ……」  一瞬苦笑を浮かべた後、真咲は姿勢を正して杏奈の正面に立った。 「茶倉真咲と申します。茶はお茶の茶、倉は倉敷の倉、真は真面目の真で、咲は花が咲くの咲や」  どうぞよろしゅうに、と。  真咲は少しおどけて頭を下げる。  杏奈も真似をして、今更ながらに自己紹介。 「間宮杏奈と申します。間宮は(あいだ)に宮で、杏奈はあんずの杏に奈良の奈です」  そして、2人同時に吹き出す。 「なんやねん、これ。俺、こないに緊張感の無い自己紹介、初めてや」 「私もです」 「でも、今までずっとしてへんもんなぁ、お互いに」 「そうですね」  とりあえずランチや、と言って、真咲は笑いながら杏奈に右手を差し出した。少し迷い、杏奈も右手を差し出す。 「せやな、自己紹介もしたことやし……って!もうええっちゅうねん!」  しっかり握手をした後、真咲は不満顔で杏奈の右手を離し、左手を握る。  店ではなかなか見ない真咲の表情に、杏奈は笑いながら真咲を見た。  つられるように、真咲も笑顔に戻る。 「ほんま、杏奈ちゃんとおると、おもろいことばっかりや」 「私のせいですか?!」 「他に誰がおるん?」 「チャクラクン」 「……それ、気に入ったんやろ?」 「はい。響きが可愛らしいので」  なんなら、今後は真咲のことを『チャクラクン』と呼びたい、と思いをこめて、満面の笑みで答えた杏奈だったが。 「あかん」  真咲は即座に却下する。 「え……」 「あかんちゅうたら、あかん!」  子供のように口を尖らせ、真咲は言った。 「やっと名前で呼んで貰えるようになったっちゅうのに、何で苗字呼びやねん」 「……可愛いと思ったのですが」 「可愛いんは、杏奈ちゃんだけで充分や」  真咲は度々、杏奈が照れてしまうような事を、当たり前のようにサラリと言う。  絶句し、暫し無言のままの杏奈に気づく様子もなく、真咲は上機嫌でこれから向かう店の説明を始めた。 「すぐそこのワッフル屋さんなんや。ランチは焼きたてのワッフルがおかわりし放題なんやで!ずっと気になっとったんやけど、お客さんは女の子ばっかりやし、男1人で入るんはなんや恥ずかしいてなぁ……」 (先ほどの言葉の方が、よっぽど恥ずかしいと思うのですけど……)  心の中で呟き、杏奈はまだ熱をもつ頬を、空いている右手でそっとおさえた。
/24ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加