雑貨屋さんの親友

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雑貨屋さんの親友

 会社と駅を結ぶ大通りから少し脇道に入った所。こぢんまりとした、雑貨屋。  そこは、杏奈が大切に想うオーナーのいる、杏奈の行きつけのお店。  いつものように、杏奈は会社帰りに雑貨屋へ立ち寄った。 「こんばんは、真咲さ……」  店内の人影に声を掛けた杏奈は、途中で言葉を切った。  レジ台に座っていたのは、真咲ではなく、杏奈の知らない人。 「いらっしゃいませ」  一見しただけでは分からなかったが、声からすると男性のようだった。  だが。  この人は誰だろう。  そう思うよりも前に、杏奈は暫し、その青年の顔に見入ってしまっていた。  青年の顔は、杏奈が今まで見た事のあるどの人よりも、美しく整っているように思えた。 「なに?僕の顔に何かついてる?」  しばらくすると、わずかに顔をしかめて青年は言った。 (はっ……私としたことがっ!)  ようやく我に返った杏奈は、自分が見知らぬ人にとてつもなく不躾な態度を取っていた事に気付き、青ざめた。  なにしろ、数秒か数分かは定かではないが、無言のまま挨拶もせず、じっと相手の顔を見つめてしまっていたのだ。 「申し訳ありません!あなたがものすごく綺麗だったので、つい……」  慌てて頭を下げた杏奈だったが、直後に聞こえた笑い声に、恐る恐る頭を上げる。と、その人は、可笑しそうに笑って杏奈を見ていた。 「……あの……」 「ねぇ、もしかして君、杏奈ちゃん?」 「そうですが?」 「そっか、君が」  そう言って頷き、尚も青年は笑い続ける。  青年の言葉の意味が分からず戸惑う杏奈だったが、ふと、先日会った律子にも同じような事を言われた事を思い出した。 『そう、あなたが……』  真咲が律子に杏奈を紹介した時、確かに律子はそう言っていた。 (一体、どういうこと……?)  ひとしきり笑った後、青年は目尻の涙を拭いながら口を開いた。 「ほんと面白いね、杏奈ちゃんて。そんなに僕の顔、気に入ってくれたの?」 「……はい。すごく、綺麗なので……」  穴があったら入りたい思いで、杏奈は体を小さくして答える。 「それは光栄だね。でも、真咲が聞いたら嫉妬しそうだから、彼の前では言わない方がいいよ。もっとも、彼なんて僕を女だと思って、初対面でナンパしてきたくらいだけど」 (この人、真咲さんのお友達?)  再び笑い始めた青年に、杏奈は思い切って気になっている事を尋ねてみた。 「あの」 「なに?」 「あなたは真咲さんから、私のことをどのようにお聞きになっているのですか?」 「どうしてそんなことを僕に聞くの?」  笑いをおさめ、青年は杏奈に尋ね返す。 「あなたは先ほど、『そっか、君が』とおっしゃいました。実は、先日お会いした真咲さんのお知り合いの方も、同じような事をおっしゃっていたんです。なので……」 「そう」  思案顔で少しの間沈黙した後、青年は杏奈に言った。 「それは、真咲から直接聞いた方がいいと思うよ」 「えっ」  それは、何故?  問いかけようとした時。 「(さとる)、お待たせ!あっ、杏奈ちゃん、来てくれてたんか!」  賑やかな声と共に、真咲が店へ戻ってきた。 「いやぁ、悪かったなぁ、智。ほんま助かったわ。いっつも突然無茶言いよんねんもんなぁ、姉貴のやつ」 「僕は全然構わないよ。杏奈ちゃんと話せて楽しかったし」 「せやろ~?でも、惚れたらあかんで?俺の彼女やし」 「はいはい」  真咲が『智』と呼んだ青年は、きっと真咲と仲が良いのだろう。  2人の会話を微笑ましく聞いていた杏奈だったが、智の次の言葉に耳を疑った。 「で、いつまで続けるつもりなの?その下手な関西弁」 「えっ!」  思わず漏れた声にも気付かず、杏奈は真咲を見る。 (下手な関西弁……て?) 「なっ!智っ!おまっ、なんてこと」 「あれ?まだ言ってなかったの?」  慌てた様子の真咲とは対照的に、智は落ち着き払って微笑を浮かべ、杏奈に言った。 「この人、関西人じゃないんだよ。関西圏に住んだことすら、無い。なのに、関西出身の僕からしたら、もう聞いてられないくらい下手クソな関西弁をずっと使ってるんだ。杏奈ちゃんからも、何とか言ってやってくれないかな?」 「さ~と~る~っ!」  恨みがましい目を智に向けると、真咲は智と杏奈の間に体を割り込ませ、杏奈に釈明を始める。 「これからな、ちゃんと言うつもりやったんや。色んなこと、時間かけてゆっくり話していくつもりやった。もちろん、杏奈ちゃんのことも、ゆっくり時間かけて教えてもらうつもりやったし」  チラリと智の方を見ると、成り行きを楽しんでいるかのような、楽し気な笑顔を浮かべてこちらを見ている。  杏奈の沈黙を【疑っている】と解釈したのか、真咲は続けてこう言った。 「でも俺、嘘は言うてへんよ。関西出身なんて、言うてへん」 (確かに)  何故関西弁かはともかく、真咲が言っているのは全て本当のことだろうと、杏奈は思っていた。おそらくは、自分のペースに合わせて、少しずつゆっくり、距離を縮めようとしてくれているのだと。 「そうですね。関西の言葉を使っているからと言って、その人が関西の方かどうかは分からないですよね。少しだけ、騙されたように思ってしまいました。すみません」 「そこは謝るところではないと思うけど?真面目って言うか、人がいいって言うか……」  呆れたように、智がつぶやく。 「それが、杏奈ちゃんなんや。どや、わかったか、智!」  杏奈の前で、真咲が誇らしげに胸を張って、言った。 「あいつな、俺の親友なんや。あいつがどう思っとるかは知らんけど」  店内を確認し、電気を消しながら真咲言った。  智は明日が早いからと、早々に帰ってしまっている。 「服屋の店長やっとってな、俺の服はだいたい智のとこで買うてるんや。今日は店休みで、暇やから俺の顔見に来た言うてたけど」  店の扉を閉め、鍵を掛けて、杏奈を促すように真咲は大通りへ向かって歩きだす。 「ほんまは、杏奈ちゃんに会いに来たんちゃうやろか」  ふと立ち止まり、真咲は杏奈の顔をじっと見た。 「あいつ、なんや言うてへんかった?」  杏奈が智と話をしたのは、ほんのわずかな時間。  ただ、そのわずかな時間で、智は強烈な印象とワードを4つ、杏奈に残していた。  ひとつは、驚くほどに整った顔。  ひとつは、真咲の関西弁の謎。  ひとつは、真咲のナンパ。  そして。  真咲がどのように智や律子に杏奈のことを話していたのか。 『それは、真咲から直接聞いた方がいいと思うよ』  4つのうち、顔については真咲には言わない方がいいと、智から忠告を受けている。いずれは伝えるにしても、今は避けた方がいいだろうと、杏奈もなんとなくそう思った。  関西弁については、真咲自身の前で智が暴露したことだ。真咲もいずれ話すつもりだったと言っていたし、ここでまた敢えて言うこともないだろう。  すると、残るは2つ。 「言ってました」 「……何言うてたん?」  心当たりでもあるのか、尋ねる真咲の声は小声になっている。  杏奈は努めて冷静に、智が話した内容を伝えた。 「女性と思われ、真咲さんに初対面でナンパされたと」 「……それ、杏奈ちゃんに言うかいな、あいつ……」  額に手をあて、天を仰いで真咲が呟く。  だが、すぐに真剣な顔で杏奈の両肩を掴んで、言った。 「俺、そないに手当たり次第にナンパするような男とちゃうで!誤解せんといてや!」  いつもはどこか余裕そうな淡いブラウンの瞳が、今にも泣き出してしまいそうにも見えて。  あまりに必死な表情に、杏奈は思わず吹き出してしまった。 「……杏奈ちゃん?ここ、笑うとこちゃうで?」 「そうですよね、すいません。でも、分かってますから」  笑いをおさめ、杏奈は真咲の瞳をまっすぐに見た。 「これから、色々と話してくださるんですよね」 「うん、そやけど……」 「その中に、智さんのナンパの話も、入れてくださいね?」 「えっ?」 「楽しみにしてますから」  言いながら、杏奈は微笑んだ。  本当に、真咲から聞かせてもらうことを想像すると、楽しみで仕方がなかった。 「杏奈ちゃん……」  杏奈の言葉に、真咲は安心したような笑みを浮かべ。 「ちょっ……真咲さんっ?!」  杏奈の両肩を掴んでいた手で、そっと杏奈を抱きしめる。 「ほんま敵わんなぁ、杏奈ちゃんには。一生かかっても、敵わん気しかせえへんわ」 「なんの話ですか」 「さぁ……なんやろな?」  ゆっくり腕を解いた真咲の瞳は、いつも通りの、余裕のある淡いブラウンの優しい瞳。 「ほな、駅まで送るよって」  真咲が杏奈に右手を差し出す。  杏奈も迷わず、右手を差し出す。 「はい、今日もお疲れさん。って!!握手ちゃう言うてるやろ!」  しっかり握手をした後、真咲は苦笑しながら、楽しそうに笑う杏奈の左手を取る。 「もしかして、これも気に入ったん?」 「はい、なんだか面白くなってしまって」 「まぁ、杏奈ちゃんがおもろいなら、ええか」  小さく笑って呟き、真咲は杏奈の手を引きながら歩きだす。 (もうひとつ、あったんだけど……)  隣を歩く真咲の横顔を見ながら、杏奈は思った。 (でもそれもきっと、話してくれますよね?) 「ん?どないしたん?」  杏奈の視線に気づいたのか、真咲が杏奈を見る。 「いえ」  答えながらも、杏奈は思っていた。 (それにしても、私は一体、いつから真咲さんの彼女になったのでしょうか……)
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