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告白
私の隣を、彼が肩を並べて歩いている。
高校入学のその日から、私は密かに彼に想いを寄せていた。
ものすごくイケメン、という訳ではなかったけれど、教室の場所が分からなくて戸惑っていた私に、声を掛けてくれた時の笑顔が忘れられなくて。
「君、何組?ああ、僕と一緒なんだ。じゃあ、教室はあっちだよ。一緒に行こう」
2年生でクラスが分かれ、3年生でまた同じクラスになって。
卒業まであと数ヶ月になったころ。
私は、彼から告白された。付き合ってください、と。
夢を見ているようだった。
入学してから数える事しか言葉を交わしていない、片想いの彼から告白されるなんて。
承諾する理由しか見つからず、私は彼とお付き合いをする事になった。
男の子との、初めてのお付き合い。
何をしていいやら分からず、とりあえず、朝は高校の最寄り駅で待ち合わせて一緒に登校。帰りはたまに寄り道をして帰宅。
寄り道の場所は、図書館であったり、本屋であったり、美術館であったり。
私が日ごろ訪れている場所だ。
(今日は、あの雑貨屋さんに行ってみようかな)
学校の最寄り駅から少し離れた所に、小さな雑貨屋があった。
私が、度々訪れている店だ。
(気に入ってくれるといいな)
そう思いながら歩いていると、彼が急に足を止めた。
「どうかしたの?」
「間宮さん」
立ち止まった私と向き合う形で、彼は頭を下げた。
「ごめん。僕から告白しておいて悪いんだけど。やっぱり君とは付き合えない」
「え……」
呆然とする私に、彼は言った。
「間宮さんは、僕が思っていた以上に真面目だった。君は真面目すぎて、つまらないんだ。別れよう」
何を言う事もできずに立ち尽くす私をその場に残し、彼は歩き出す。
(私、振られたの……?)
心臓が、痛いほどに胸を叩いていた。
だが、手足の先からは熱が奪われていき、頭の中だけが、煮立った湯のように熱い。
(振られたんだ……)
立ち尽くしたままの私の目から、涙が零れ落ちた。
しばらくして、重い足を引きずるように駅に向かった私は、駅近くで見覚えのある男子グループが笑いながら話しているのを見つけた。グループの中に彼の姿があるのに気づき、見つからないように建物の陰に身を隠す。
さっきの、今だ。
さすがに、まだ顔は合わせたくなかった。
「でも、早くね?まだ2週間くらいだろ?」
彼らの会話が、聞こえてきた。
「いや、これでも頑張ったよ。つまんな過ぎて、マジで超苦痛だったし」
(えっ……)
間違いなく、彼の声だった。
「図書館とかさぁ、本屋とか。真面目かっ!って感じじゃね?偶にはカラオケとかいう発想、無いのかな、あいつ」
「ある訳ねぇだろ!」
聞こえてくる、大きな笑い声。
「でも、賭けとしては僕の勝ちだろ?付き合ったんだし」
「バカいえ。2週間じゃ付き合った内になんか入らねぇよ」
再び聞こえてくる、大きな笑い声。
(賭け……?そんな、ひどい……)
やっとのことで止めた涙が、再び零れ落ちそうになった時。
「可哀想な奴らやなぁ、おまえら」
聞き覚えのある声が、私の耳に届いた。
(えっ?)
見れば、男子グループの側には、真咲さんの姿。
(なぜ、真咲さんが……?)
あり得ない光景だった。
何故なら、私が真咲さんと出会ったのは、社会人になってから。
でも、今の私はセーラー服の高校生。
(……これって……)
とまどう私をよそに、真咲さんは男子グループに哀れみの表情を向け、続ける。
「杏奈ちゃんほどおもろい子なんて、そうはいてへんで?そやのに、おもろいことにさえ気ぃつかんなんてなぁ。ま、教えてくれ言われたかて、お断りやけど」
そう言って、真咲さんはくるりと後ろを向く。
「ほな、行くで。杏奈ちゃん」
いつの間にか、目の前には真咲さんがいて。
淡いブラウンの優しい瞳が、私を見つめていた。
(……夢)
スマホのアラームが鳴る前に目覚めた杏奈は、そのままベッドから半身を起こした。
もう、数えきれないほど繰り返し見た悪夢。高校時代の、苦い思い出。
その悪夢に真咲が現れたのは、初めてだった。
そして。
あの夢を見て起きた後に、こんなにも寝覚めがいいのも初めてだった。
(真咲さん……)
いつもであれば、決まって泣きながら目覚めていた。
だが、今の杏奈は、夢の中の真咲の姿を思い出し、思わず顔が綻んでしまう。
嬉しくて、涙が出そうになる。
この気持ちを、誰かに話したい。いや、誰よりも、まず真咲に伝えたい。
鳴り始めたスマホのアラームを止めると、杏奈は真咲にメッセージを送った。
「他の店でもええんやで?なんぼでも店あるやん」
「ここが、いいんです」
2杯目のヒューガルデンを飲んでいると、真咲がやってきた。
朝、杏奈が真咲を玲美の店に誘ったのだ。是非聞いてもらいたい話があると。
「姉ちゃん、ギネス」
「はいはい」
通りかかった玲美にいつものビールを頼むと、真咲は心配そうな表情を浮かべて杏奈を見た。
「どないしたん?なんや、聞いて欲しい話て」
「今日見た、夢の話です」
「夢?どんな?」
「……高校の頃の、イヤな思い出なのですが」
ああ、と小さく頷き、真咲はちょうど運ばれてきたギネスを持ち上げた。
「とりあえず、乾杯や。お疲れさん」
「あっ、はい。お疲れさまでした」
本当は、杏奈は真咲が来るまで飲まずに待っている事も考えた。
だが、シラフで話せる自信が無かった。
「すみません、先にいただいていて」
「そないなこと、気にせんでええて」
ギネスを一口飲み、真咲は真顔で口を開く。
「なぁ、その夢て、あれやろ。杏奈ちゃんを傷つけた奴が出てくる夢やろ」
「はい。初めてお付き合いした人でもありますが」
「元カレの夢かいな……ちょお待って」
そう言って、真咲はグラスの中身を勢い良く飲み干し、2杯目を注文した。
「堪忍な、心の準備が必要なんや」
苦笑を浮かべ、真咲は言う。
「ごめんなさい。でも、真咲さんには一番に聞いて欲しいって思ったんです」
「一番?」
「はい」
不思議そうな顔で首を傾げる真咲に、杏奈は大きく頷いた。
「今まで何度も見てきた夢でした。イヤな夢でした。でも、今日の夢はいつもと違ったんです。悪夢が、悪夢ではなくなったんです。あなたのおかげで」
「……俺?」
さらに不思議そうに目を見開く真咲に、杏奈は今朝がた見た夢の内容を話し始めた。
「さすが、俺!」
杏奈の話を聞き終えた真咲が、上機嫌で2杯目のギネスを飲み干す。
「ええこと言うてるやんなぁ、俺!ま、ほんまのこと言うてるだけやけど。あ、姉ちゃん、お代わり!杏奈ちゃんの分も!」
3杯目のギネスと3杯目のヒューガルデンを注文し、真咲は小さく息を吐く。
「でも、ほんまにそう思うで」
「なにがですか?」
「可哀想な奴らやなぁ、て」
2杯目のヒューガルデンを飲み終え、ほろ酔いの頭で杏奈は真咲の言葉の意味を考えた。
「可哀想……ですか?なぜ?」
「そらそうやん」
答える真咲は、さほど酔った様子も無い。
「こないおもろいええ子と付き合えた幸運に、全く気ぃつかんなんて。可哀想以外の何もんでも無いわ」
言い終えたと同時に、注文したビールが運ばれてきた。
ヒューガルデンに伸ばした杏奈の手が、真咲の手に止められる。
首を傾げる杏奈に、真咲は言った。
「ギネス、飲んでみぃひん?」
「でも、苦いんですよね?」
杏奈が好んでヒューガルデンを飲んでいるのは、苦味に対して少し苦手意識があるため。
だが。
「苦いもんも、旨いて感じる時が来るかもしれへんで?……悪夢が悪夢やのうなるみたいに」
真咲の言葉に、杏奈はギネスの入ったグラスを手に取る。
「いただきます」
口に含んだとたんに広がる、苦味。
それと同時に感じる、香ばしさ。
(前より、美味しく感じる……かも?)
「どや?」
興味深々の真咲の前にギネスの入ったグラスを置き、杏奈はヒューガルデンのグラスを手に取った。
「やはり、苦いです」
「そか~……あかんかぁ。まだまだやな、俺!」
「でも、前より少しだけ、おいしいって思いました」
「ほんま?!よっしゃ!」
小さくガッツポーズを取る真咲に、杏奈は思わず吹き出してしまう。
「真咲さん、おかしな人。でも……好き」
「……杏奈ちゃん?」
見れば、真咲が困ったような、躊躇っているような複雑な表情を浮かべている。
「なんですか?」
「え、っと……心のつぶやき、出てもうてるで」
「は?」
「俺、そない『おかしな人』かいな」
一瞬、時間が止まったように杏奈は感じた。
ほろ酔い気分が、瞬時にして吹き飛ぶ。
(えーーーーーーーーっ!!!)
酔いのせいだけではない熱で、杏奈の頭は沸騰しそうだった。
(私っ、何て言った?!どうしよう……どうしようっ!)
落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせ、杏奈は努めて冷静に口を開く。
「い、いえ……あの、他に何か聞こえましたか?」
「他?いや……」
真咲の言葉に、とりあえず胸をなで下ろし、杏奈はカラカラになった喉をヒューガルデンで潤す。
(少し、飲み過ぎですね)
「そないおかしいんかなぁ、俺」
納得行かない顔で小さく呟く真咲に、杏奈は今度こそ、心の中でつぶやいた。
(真咲さんはおかしな人です。でも……好きです)
「ほなな~。気ぃつけて帰るんやで」
「はい。真咲さんも」
最寄り駅の改札口の向こう側で大きく手を振る真咲に、杏奈も小さく手を振り返す。そして、ホームに向かって歩き出した時。
「ほんまは、聞こえとったで」
「えっ?」
振り返ると、真咲が満面の笑みを浮かべ、杏奈を見ていた。
「めっちゃ、嬉しかった!俺も、大好きや!」
「ちょっ、真咲さんっ、声大きい……」
思わず赤面し、杏奈は辺りを見回す。
時間が遅い事が幸いしたのか、辺り人の姿は無かった。
「ええやん、誰に聞こえたかて。ほんまのことやし。早うせんと、電車来てまうでー」
「……もうっ!」
顔を赤くしたまま、杏奈はホームに向かって走り出す。
その姿が見えなくなるまで、真咲は穏やかな笑顔を浮かべて見送っていた。
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