黒い貿易船

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 ある昼下がり、巨大な貿易船がヤポン島の港を訪れた。島民はそそり立つ黒い船の下に群がっている。陽光をはじいて輝く船体を、目を細めて見あげていた。  社会学者兼、通訳の私は船首にでて彼らの様子を確認した。一様に口を大きく開け、驚愕の表情を浮かべている。だがその瞳には〝怯え〟より〝好奇心〟が宿ってみえた。  ここの島民にとって、船といえば木製で手漕ぎ。三人乗りの小型なもの。対して、この船は鉄製でディーゼルエンジンを搭載しており、三百人は優に乗せられる。  彼らの脳裏には様々な疑問が生まれて〝好奇心〟となったのだろう。大量の物品と大勢の人を、一隻の船になぜ載せるのか? どれだけの長旅をするのか? 何名の船員で運転しているのだろう? そもそも、船とはこんなにも大きく作れるものなのか?  地面に繋がれたタラップを、悠々と船長が降りた。  私はその後ろについてゆく。船に群がっていた島民は道を譲り、我々は海を割ったモーゼのように、島長の住まいへ向かった。  商船がこのちっぽけな島に来たのには理由がある。私の国はここ数十年で急速な経済発展を遂げた。だが、現在は飽和状態を迎えている。全ての国民に家や車、家電や美味い食事が行き届いてしまったのだ。今や国民の購買欲は低く、経済成長率はずっと横ばい。国内や開拓済みの海外市場で、物を売りさばくのも限界がきた。国王にその問題解決を命ぜられた私は、名案を思いついた。 ーーそうだ、ヤポン島に行こう!  他国との交流がなく、自給自足をしているヤポン島で商売を始めるのだ。  とはいえ、裸足の人に靴を売るには、靴の便利さを理解させねばならぬ。  黒船には、そのための初期投資を積み込んでいた。島の漁師にはモーター付きの船。農家にはトラクタや田植え機。皆に自家用車と家電。それを期間限定で貸して、後に借料をいただく。  そして島民が立派な文化人になったら、島内に我が国の大企業の拠点を設ける。安価な賃金で、莫大な労働力が手にはいるわけだ。  私には、大海に浮かぶこの小島が〝真珠を 蓄える貝〟に思えた。  いずれ閉ざした口を開き、大きな利益を我が国に吐き出す。社会学者としても、一つの社会の経済成長を目の当たりにできるのは貴重な体験だ。  我々を家に迎えいれた島長は、若い革命家だ。私は何度も会っているが、船長と引き合わせるのは初めてだった。皆でヤポン島の明るい未来と発展を、興奮して語りあう。酒盛りが始まり、日は暮れていった。  帰り道、農夫たちが笑顔で会話をしながら、 家路についていた。心からのはずむ笑い声。私も気分が良くなった。これからは、面倒な手作業がなくなるぞ、楽で一層幸せになるんだ。そう、声をかけてやりたかった。  数年がたった。黒い貿易船は幾度も島と国を往復して、大量の物品を運んできた。  実直で勤勉な島民たちの生活環境は様変わりをした。我々の貸し出した船や農具を使いこなす。効率的な漁業・農業の知識も、スポンジが水を吸収するように、我々から学んでいった。  だが心なしか、人々の顔から笑顔が減ったようだ。せわしく働き、ため息をつく。個人の性格や能力により、貧富の差が顕在化しはじめる。笑いながら酒を酌み交わしていた人々が、悪酔いをして喧嘩する。社会の急速な成長に、人間が追い付かなかったのか。  いや、原因は島民が世界への見聞を深めた事にあったようだ。  教育のため渡した〝雑誌・テレビ・パソコン〟などで、彼らはよその世界を知った。  はじめは皆、目を輝かせて、広い世界を見学していた。しかし次第に彼らは他者に嫉妬や疑い、不満を持ち始めた。透きとおった瞳は濁っていった。 「よそには燃費の良い安い車がある。他国で捕れた魚は高い料金で買い取ってもらえる。料理も美味く安いものが。家の大きさは、服の値段は……」    黒船は島に、富・知識・利便など様々なものを与えた。しかし代償として、島から幸福・心の豊かさ・思いやりなどを奪った。空虚で暗い船倉に、残酷なまでにぎっしり積みこんで持って行ってしまった。  巨大な貿易船の船室で、私は手記を書く。 『他者と比べて、幸せかどうかを計らない事。なぜならば相手も幸せとは限らないからだ。』 記入したページを読みかえし、破ってゴミ箱へ投げ捨てた。  孤島を成熟させる役割をおえた黒い船は、島からゆっくりと離れていく。夕闇に溶けこみ、水平線のかなたへ、小さく消えていく。
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