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第3話
ヤマサキからヴィンティス課長の伝言、『歩いて帰るな、BELで帰れ』を聞かずとも、びしょ濡れのシドは自分から緊急機に乗り込み、歩いて一時間の行程を五分に短縮した。
辿り着いた署の一階の刑事部屋、正式名称は太陽系広域惑星警察セントラル地方七分署・刑事部機動捜査課でシドを迎えたのは、常の怠惰な雰囲気ではなく妙な盛り上がりだった。
「よう、イヴェントストライカ。発砲なしの逮捕、ご苦労だったな」
そう言って、やってきたケヴィン警部がにこやかにシドの肩を叩いた。
一方でヨシノ警部とゴーダ警部は仏頂面だ。
「何でイヴェントストライカが大事なときに撃たねぇんだ、おい?」
そう言ってゴーダ警部がシドのびしょ濡れの背中をこぶしでどつく。
「って、いったい何なんですか?」
「それはですね、午後から貴方がたの始末書が増えるかどうかで賭けをしていたんですよ。これで今週いっぱい深夜番はゴーダ主任とヨシノ警部に決定です」
マイヤー警部補の解説にシドは脱力する。
「チクショウ、誰も彼もヒマこいて俺をネタにしやがって」
そんなシドに追い打ちを掛けるようにヴィンティス課長が呼びつけた。
「シド、若宮志度」
多機能デスクに就いた課長の顔色は悪い。哀しげな色を湛えたブルーアイにシドが訊く。
「何です、課長。具合が悪かったんじゃなかったんですか? まだ顔色がおかしいですよ、冷凍庫から二年ぶりに発掘されたアジの開き並みに」
部下の毒舌にこめかみをピクピクさせながら上司は説教を続ける。
「キミに心配されるいわれはない。心配の種はキミなのだからな」
「別に心配なんかしてませんよ、『可笑しい』っつっただけで。ああ、アレです、半年くらい前に銃撃戦やって鑑識が回収し忘れた溝の中の三日経った死体――」
「――ウォッホン!」
いい加減にキレかけてヴィンティス課長は遮った。
「朝一番で通り魔狙撃逮捕の報を聞かなければ、わたしの血圧も不健康に下がらずに済んで顔色もまともだったのだがね。我が課の仕事に外回りなどないというのを知っているかね?」
「低血圧じゃなくて腹が痛いんじゃなかったんですか?」
「一日に三件、五人ものホシを狙撃逮捕と聞かなければ、わたしの胃も不調を訴えなかったのだがね。我が課の仕事に外回りなどないというのを知っているかね?」
「俺が事件を起こしてる訳じゃないのは御存知でしょう」
「午前中に通り魔、ひったくりに街金強盗。報告書を上げないうちに午後は宝飾店強盗とストライク。我が課の仕事に外回りなどないというのを知っているかね?」
「俺の言うことも聞いてますか?」
「午前中、キミに発令し厳命した外出禁止令も、その耳に聞こえていてくれると有難かったのだがね。我が課の仕事に外回りなどないというのを知っているかね?」
部下と上司はじっと見つめ合った。互いに深く溜息をつく。
「シド、大人しくここに座っていたまえ」
「その前に着替えくらいさせて下さいよ、風邪引いちまう」
ロッカールームで着替えてきたシドがデスクに着くと、ハイファがすかさずデカ部屋名物の通称泥水コーヒーの紙コップをふたつ持ってきた。
「はい、せめてこれであったまって」
「おっ、サンキュ」
熱いだけが取り柄の泥水を啜る。気付いて椅子の背に掛けた対衝撃ジャケットのポケットを探ると、防湿加工にも関わらず煙草はびしょ濡れのクシャクシャだった。仕方なく捻ってダストボックスに放り込み、デスクの引き出しから新たに出して開封する。一本咥えて火を点けた。腹立ち紛れに唸る。
「ここにいたって同報なんか入らねぇってのに」
「それは事件現場には既にキミがいるから、同報を入れるのはキミだからだ、シド」
課長の多機能デスクの真ん前がハイファのデスク、その隣がシドのデスクだ、互いの言動は筒抜けである。
「AD世紀から三千年という宇宙時代に、それも汎銀河一治安がいいと言われるこの地球本星セントラルエリアで、ありえない事件ばかり持ち帰らないでくれたまえ」
そう、ここは新たにテラフォーミングされたあまたのテラ連邦議会加盟星系に比べ、妙なエリート意識が漂う社会だ。体を張り社会的生命を賭けて犯罪に挑もうとするガッツのある人間は絶滅に瀕していると云っていい。皆、醒めている。
「だから俺が事件をこさえている訳じゃないですって」
「今週の管内の事件発生数を知っているかね? キミの事件遭遇数と同じなのだよ」
「全て現逮、検挙率は下げてない筈です」
「そういう問題じゃない。表を歩けば、いや、立ってるだけで事件事故を呼び寄せる『イヴェントストライカ』としての自覚に欠けている。今週いっぱいは外出禁止だ。分かったら書類を上げたまえ」
「なっ、横暴すぎでしょう、それは!」
「我が課の仕事に外回りなどないというのを知っているかね――」
呟くように言ったヴィンティス課長は、多機能デスク上の茶色い瓶からクサい胃薬の錠剤をバラバラと掌に受け、紙コップの泥水で嚥下する。そして立ち上がると、くるりと背を向けて窓外の超高層ビルに切り取られた雨空を眺め始めた。
嫌味な二つ名まで持ち出されての外出禁止令延長にシドは食い付こうとしたが、こうなると課長は馬耳東風である。仕方なく耳がキクラゲになったような課長から目を逸らし、シドはポーカーフェイスの眉間に不機嫌を溜めてデカ部屋を見渡した。
一時の盛り上がりは収まり、機捜課のデカ部屋には怠惰な雰囲気が戻っていた。噂話に花を咲かせるもの、隅のホロTVに見入る者、デスクで舟を漕ぐ者、気も早く来週の深夜番を賭けてカードゲームにいそしむ者……。
機動捜査課は殺しやタタキといった凶悪犯罪の初動捜査を担当するセクションだ。そして課長が言うように、同報という事件の知らせが入れば真っ先に飛び出してゆかねばならない。だから機捜課は一階にある。
だがこのような世相で、まず同報は入らない。お蔭で仕事がない。約一名とそのバディに限っては昔ながらの機捜課らしく事件と書類に追われているのだが、殆どの者の仕事と云えば聞き込みや張り込みなど、他課の下請けばかりだった。
隣の席のヤマサキと目が合う。
「十五時から捜三のガサ要員っス」
捜査三課は窃盗専門課だ。溜息。血税で遊んでいる訳にもいかないので仕方ない。
テラ本星はあまたのテラ系星系を統括するテラ連邦議会のお膝元だ。自由主義経済を推し進める本家本元で、官品がサボっていては星系民に培養タマゴを投げられてしまう。メディアの目は何処に光っているか分からない。
そんなことを考えていると捜査戦術コンから打ち出してきた書類をきっちり半分、ハイファがシドのデスクに置いた。今どき報告書類は全て手書きというローテク、容易な改竄防止や機密保持のためだという理由なのだが、ざっと数えると十四枚と始末書が三枚だった。
人生のアンフェアさについて思いを巡らせながら、シドは報告書類ではなくデスクに積まれた電子回覧板を眺め始めた。
十日以上も先に開催の警務課・機捜課合コンのお知らせなるモノがきていて、参加したのは過去に一回だけだったことを思い出す。慰安旅行を兼ねたその一回も死にそうな目に遭ったのだが。
視線を感じてふと顔を上げると当の合コンの幹事であるマイヤー警部補が意味ありげに笑って見せた。
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