花火

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花火

 風呂を出るなりパンツと肩にタオルで、 「やっぱりどこかで花火やってるよ。」  と母に声をかけ、二階へ駆け上がった。二階の窓の方が眺めがいい。小さい頃もよくこの窓から祭りの花火を眺めていた。  その時に抱え上げてくれていたのは父だったようだが、不思議とその顔をよく覚えていないのだ。 「どれどれ、台風は休憩してるのかな?」  ガラリと窓を開けると、民家の屋根が並ぶ先に山があり、その上に電線に絡まれた夜空が広がっている。風呂の間に雨は上がっているようだ。  ドンドンと爆ぜる音は二回鳴ったっきりで、見てないうちに花火が終わってしまったのかとも思ったのだが、時刻は八時二十分。まだまだ夜も序の口という気もする。  途中、休憩を兼ねて花火を打ち上げる為の準備をする間があるのかもしれない。などと考えながら、足が痒くなってくるのを我慢しつつ窓の外に目を凝らしていると、それは現れた。  風呂上がりの火照った体に気持ちがいい、窓の外から入る強い風。暗闇に目が慣れていないので全く星が見えて来ない。黒い空。  そこに、白い影が立ち昇っている。  いや、あれは影ではない。どうやら白い煙のようだ。白煙。それも田舎の畑ではまだ有りがちな野焼きの煙などではない。  きつね、と咄嗟に思ったけれども犬かもしれない。そんな四足の獣に似たるもの。その形を帯びた煙が上がっているのだ。  民家の屋根が連なるあたり。その大きさが馬鹿じゃないのだ。  その向こうに黒い姿で見えている山と、同じほどの大きさなのだから。突き出た鼻に大きな三角耳。前足を前に出して、ぴょこんと飛んだ姿勢のように見える。  よく見ると、煙の切れ目だか建物の影だかわからないが、ちゃんと目に見えるような部分まであるのだ。 「あの煙、何処から出ているんだ?」  雲が偶然にもそんなような形で見えるとか、そういうことではないのだ。後ろ足や尻尾まで確認出来る。  そしてその先はどうやら、どこかの民家の屋根についているのだ。煙突から煙を吹くように、民家の屋根が煙を吹いている。  空よりは下で山よりは手前だ。雲でも凧でもない。白い煙だ。  それがどうしてあんな巨大な獣の形に見えるのかわからない。  そして、それは数分かけて徐々に薄くなり消えていった。 「見えなくなった…。」  闇へと溶けるように消える。ずっと目を開けて凝視していたので、目がショボショボする。 「風太郎、花火まだ見えるの?」  階下から呼びかける母の声でハッと我に返る。風呂上がりの体が冷え切り、それほど長い時間立ち尽くしていたわけでもないのに、足は棒のように固まっていた。  動かすと痛いくらいだ。 「いや、…もう終わっちゃったみたい。」  と、母に向けて答える。  たった今まで華やかな火と光の芸術を目に焼き付けていたかのように。心から残念そうに、そう言った。  強風が唸る。こんな風の中、花火は真っ直ぐ上がったのだろうか。  そんな奇怪なものを目にしたにも関わらず、その日の夜は懐かしい畳の匂いに包まれて、ぐっすりと眠ることが出来た。  明け方になって激しく鳴り響く消防のサイレンが、眠い頭で遠くに聴こえていた。  …ような気がする。
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