ナメクジ、ロンリーグレイブ

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ナメクジ、ロンリーグレイブ

 連休二日目、土曜日の午前。  十分に陽が昇ってから、当初の予定であった墓参りに出かけた。実家からそう遠くない。家の前の坂を下り、小さな小川を越えて、山の斜面に沿うようにして走る道をなぞっていくと、徒歩二十分ほどで墓地へ着く。  小屋が一軒建つかという正方形の狭い敷地を、上手く仕切って十数基の墓石が建っている。墓地は 段々畑のように、同程度の広さの敷地が斜面の上にも続いていた。 「七年ぶりくらいか…。」  もう随分と足を運んでいない。水と花の匂いに包まれた爽やかな空気。墓地の入口の観音像も、横に並ぶ地蔵様も、無縁仏と思われる形の不揃いな古い墓石にも、丁寧に手入れが加えられ線香が立っている。  久方ぶりの来訪になっても、自分の家の墓の場所くらいは足が覚えているようだ。無事に我が家の墓に辿り着く。  掃除も花の世話も母が綺麗にしてくれたようで、線香しか要らないと言われたので、それだけ持って来て正解だった。  水だけはこの夏の暑さで涸れそうだったので、自販機購入のどこぞの天然水さんをぶち込んでおく。 「父さん、なかなか来られんで御免よ。台風で飛ばされんといてよ。」  空には分厚い雲。強大な積乱雲だ。押し寄せて来ている。夕方にはまた雨が降り出して、夜には嵐という予報だ。 「昔はこのあたりでよく遊んだけど…。」  側溝でメダカを捕ったり小川でザリガニを釣ったりしていた。金柑とか勝手に食べていた記憶しかないが、あれは誰の所有物だったのか。子供の遊びは犯罪スレスレである。  墓参りが終わったら、久しぶりにあたりをぶらり歩こうと思っていたのだが、油断していると雨に降られそうだ。  ライターで直に火をつけた線香を三本、行儀良く立てて置く。風を避けて火をつけるのに手間取っているうちに近寄って来ていたようで、気がつくとすぐ傍に子供が立っていた。 「おじさん!」  と、呼びかけ背中を叩かれるので、 「うわっ⁉ …っびっくりしたぁ。」  普通にものすごく驚いた。 「もぉ〜驚いたなぁ。」  と正直に情けない声を出して振り返ると、嬉しそうな笑顔と向かい合う。男の子。一人だ。  まだ小学校に上がってすぐくらいの、小さい子だ。 「おじさん、お水ちょうだい。」  声でかい。元気のいい子だ。  頭にプラスチック製のちゃちなお面を乗せている。お祭りの出店で売っているようなやつだ。今時の子供が観ているテレビに詳しくないが、おそらく何かの戦隊モノのリーダーを象っていると思わしき赤い仮面。 「喉乾いた。」  と訴えてくるので、 「いいよ。」  とペットボトルごと渡そうとすると、水を汲むような形にくっつけた両手がスッと出てくるので、その手にボトルから水を注いであげる。 両手をくっつけても小さな手。横から溢れてしまった水が、アスファルトを濡らす。 まぁ夏なので多少こぼしてもすぐに乾くだろう。水だし。 「どこから出てきたの? おじさん、びっくりしたなぁ。」  という言葉に返事する余裕もないほど喉が渇いていたようで、少年は浴びるように両手からグイグイ水を飲み干した。 「もう一回入れて!」  で、おかわりの要求が来るので、また両手いっぱいに入れてあげる。  襟元に二つボタンのついた柔らかい素材の白いシャツ。下は紺色の短パン。白いソックス。蛍光反射のタスキをかけている。 「ぷはっ…おいしい。」  水の美味しさがわかるなんて、賢い子じゃないか。テキトーに手でゴシゴシして口を拭く仕草がいかにも子供らしい。ちなみにその手はズボンでさらにテキトーにパッパッという具合。  蚊に刺されたのか、足首が痒いようだ。 「お水もういいの?」 「うん。ありがとう!」  とにかく元気が取り柄ですみたいな典型的な主人公属性だ。一言喋るのにお腹から声を出していく感じ。気合一発、肩が上下するのがわかる。 その割には細身で、肌の色も青白い。 「どういたしまして。」  近所で遊んでいた子供が、石に水をやっているおじさんを見て、自分にも水をくれると思ったのだろうか。  と、無難な解釈で終わろうとすると、今度はしっかり腕を掴んで引っ張られるのだ。 「こっちにもお線香ちょうだい!」  と言って上の方にある墓石を指差す。  段差を上がって行くのだが、階段があるわけではなく、ただ人が踏みしめた跡がそれっぽくなっているだけだ。  なのでその年月をかけて踏みしめられてきた土の跡のような窪みに足をかけながら、墓地のさらに上に続く墓の列を目指す。 「君ん家のお墓もここにあるの?」 「そう! こっち、こっち!」  と手招きされるので、後を追う。他人の墓に線香なんてあげたことがないが、これは水をあげたことですっかりこの子に気に入られてしまったようだ。  社会に出てから出会ってきた大人に比べれば、子供の方が随分話しやすい。  やっぱり精神年齢が近いんだろうか。  戦隊モノはわからないけど、おじさんも変形ロボは好きだよ。  雨上がりのアスファルト。経年劣化で穴のように凹みが出来た部分は、雨水が溜まっている。照り返しで眩しい。  墓石の周りだけコンクリートで固めてあり、その縁をなぞるように雑草。濡れた草が足に当たって気持ち悪いのを我慢する。 「えーっと、…どこ行った?」  子供はたぶん瞬間移動が出来る。と言う程見失いやすい。  首を回して辺りを見渡すと、古い墓石の前で飛び跳ねながら手招きしていた。 「こっち、こっち!」  と呼ばれるままに灰色の墓石の前へやって来る。あまり他人の墓の前に立つ機会もないので、妙な感じだ。  舐九字家之墓、とある。 「ナメクジくんっていうのかな?」 「うん。」  変な苗字。  まぁ他人がとやかく言うことでもないので、線香をあげる。  少年、改めナメクジくんは、その様子をぼんやりと眺めていた。大きな瞳の中に、灰色の光。その光を見つめ返すと、どことなく古い写真を見るかのような、時間の止まったような感覚がする。  吸い込まれるような、触れられないような。  風で線香の煙が流れると、少年はそれを捕まえようと手を伸ばしたり、実体無き煙に向け口をパクパクしたりした。  子供の反応にいちいち口を出してはいけない。煙を掴んで食べて初めてわかる事もあるのだろう。
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