蝉の声

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 目が覚めて見えたのはあいつの部屋の天井、顔みたいな木の節。背には畳の感触、井草の香り。 そうだ、あいつのとこに遊びに来てたんだ。 頭には靄がかかったかんじ。部屋の空気が、湿気が重い。 「カナ、カナ、カナ」 声が聞こえる。  ぺらと何かをめくる音。あいつ、本でも読んでいるのだろうか。 寝転んだまま襖の間から見える空を眺める。どんよりと曇っていて、時折空が光っている。  横に目をやると、倒れたコップとシミ。 だいぶ前にこぼしたらしい。麦茶はもう畳に染み込んでしまっている。 「ごめん、おれお茶こぼした」 と、口を動かすが、出るのは息だけ、声は出ない。 頭を動かしてあいつを探す。 いた、背中が見える。 ……一人で、してる? 一瞬、頬を紅潮させ熱っぽい目をしたあいつがこちらを振り返ってきた。 急いで目をとじ、まだ寝ている体を装う。 俺が寝てるからって、あいつ。せめて帰ってからしろ。 カナ、カナ、カナ。 風が吹いて、一枚の写真があいつの方から飛んできた。 拾おうと手を伸ばそうとしたけど、思うように動かない。  手首には……縄?  「飛んじゃった!」 あいつの声と足音。 「ああ!おはよう、おはよう、あぁ、よかった、もう起きないかと思ったよ、ほんとによかった。おはよう、カナ。」 頬をつつむように手を当てられる。 「わ、大変。手が紫になってるよ、ごめんね、ごめんね、ごめんね!僕が強く結びすぎたばっかりに、だって、いなくなっちゃうんじゃないかって、行かないでほしくて、行かないで、帰らないで、帰るなよ君は僕のものなんだから、でもダメだ、傷つけちゃダメ」 縄が解かれる。 「……は?」 「ごめんね、カナ、カナ、カナ、だいすきだよカナ、カナ、僕のカナ!」 手を畳に押さえつけられたまま、あいつの唇が俺に迫ってくる。俺は、必死に顔を逸らす。 「避けないでよ!!なんで避けるんだよ!!お前も俺のこと好きだろ!!避けるな!」 おれ、見たことないよ、そんなこわい顔、 「あ!ごめんね、ごめん、泣かないで!僕が睡眠薬麦茶に混ぜたから怒ってるんだよね、そうだよね、ごめん、分量間違えちゃって、きみ一瞬苦しそうな顔して倒れたから、麦茶もこぼしちゃって、ごめんねぇ、そうだよね、無理矢理なんて最低だよね、じゃあそうだね、キス、してもいいかな……?」 そこに怯えてるんじゃない。というか、ただの友達だ、恋人でもないのに、ことわられたからって進んでこいつとキスしたいわけない、でも、しないと、やばいって、寝起きのボヤけた頭でもわかる。目を閉じて、あいつの方を向く。 「あぁ、本当に可愛い、生きててくれてありがとう、あぁ!やっぱり僕のこと好きだよね、そうだよね!」 キスは思ったよりも長くて、余計に頭がぼーっとしてきてしまった。 口の中にはあいつの唾液。吐き出そうか、どうしようか、そんなことを考えていたら口の端から垂れてしまった。 「こぼさないで、飲んで、君の胃液と僕の唾液が混ざり合う!なんて素敵!それって僕ときみが混ざるってことだよ!ね!嬉しいでしょ!」 おかしい、絶対におかしい。こいつがこんなやつだったなんて。 でも逆らったら何をされるかわかったもんじゃない。 素直に俺は唾液を飲んだ。 「うわぁ!すっごく色っぽい!だいすきだよカナ!カナ、カナ、カナ!」 必死に声を振り絞る。 「……お、俺、いえ、かえ」 「帰る?」 雷がごろごろ、と低い音を立てている。 「帰るなんて言わないよね?僕たち愛し合ってるんだから、このままここで一緒に暮らしたって問題ないはずだよ、ね、帰らないで、帰らないで、帰らないで!」 「うち、おや、心配する、から」 「そうか、君には家族がいるんだ、じゃあそこが……いや、でも、カナの大事なものは僕も大事にしなきゃ、でも、僕は、カナの1番になりたい、違う、1番じゃなくてもいいからカナが僕だけを見ていてくれればいい!いや、でもそれって僕がカナの1番ってこと?」 こいつ、何を言ってる 「いいや、また帰ってきてくれれば、僕全然、まつよ、何時間でも」 日単位じゃなくて、時間単位か、 「まだ体だるいよね、この薬解毒薬だからほら、飲んでいって」 「ん、、、」 喉に張りつきそうになりながらも薬を飲む。 「あぁ!喉に詰まったら大変だね、」 そう言ってこいつはまた俺に唾液を飲ませる。 「ふぅっ、うむ、ん」 ごくん。 また、飲み込んでしまった。 「じゃ、じゃぁ、」 「またね!」 シャワシャワシャワシャワ 夕立は過ぎ去って、埃っぽい雨の匂いと水溜りだけがあたりに残っている。 また、があるのが恐ろしかった。 はやあしでその場を後にする。 幸いにも、あいつの家は俺の家のすぐそばだった。 でも、そもそも、あいつって、誰だっけ? あんなクラスメイト、いたっけ? あんな知り合い、いたっけ?
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