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第2話 いじめ
「いらっしゃいました」
いつものごとく、すぐ隣に直立不動の姿勢で控えるマーシュの言葉に顔を上げると、不満顔の少女が入り口から入って来る姿がエマの視界に入った。
「冥界カウンセリングルームαへようこそ」
そしていつものごとく、ニコリともせずに棒読みで告げるエマ。
すかさず、マーシュが小声で注意を促す。
「いい加減、少しは感情を込めて」
「無理だな」
小さな溜息を吐くマーシュに構わず、エマはひじ掛けのついた座り心地の良い椅子に腰かけたまま、赤いラインの手前で足を止めた少女の姿をじっと見た。
なぜ自分がこんな所にいなければならないのか分からない。
少女はそんな顔をしている。
「なるほど」
真っ白な部屋の中、エマの座る場所から数段低い場所に立つ少女の目を、真っ直ぐに見たエマが小さく呟く。
少女から、加害意識は全く感じられなかった。
持っているのは、被害者意識のみ。
故に、地獄行きに納得などするはずもなく、ここへ送られて来たという訳だ。
「ねぇ、なんで私が地獄行きなのよ?殺されたのは、私の方なのよ?!」
沈黙のままのエマの視線に耐えられなくなったのか、少女は不満をエマにぶつける。
「知っている」
「じゃあ、なんで」
「分からないか?」
「分からないから聞いてるんじゃないっ!」
ヒステリックに叫ぶ少女に、エマはさらに問う。
「お前をの命を奪ったのは誰だ?」
「ちづ子のお母さんだけど?」
「その、ちづ子のお母さんとやらは、なぜお前の命を奪ったと思う?」
「そんなの知らないわよっ!」
「ふむ」
少女の叫び声に、エマは顔を顰めて口を噤んだ。
少女の中にあるのは、未だ被害者意識のみ。
エマは口元に手を当てて、しばし少女の姿を眺めた。
この少女が命を奪われた理由は、明白だ。
なのになぜ、この少女はその理由に全く気付く事ができないでいるのか。
口元から手を離すと、エマは再び口を開く。
「質問を変えよう。ちづ子とやらは、既に生ある者では無いようだが、その理由を知っているか?」
「自殺」
ふて腐れた様に、少女が答える。
「ふむ。では、その自殺の理由を知っているか?」
「いじめられてたんじゃない?」
「誰に?」
「知らっ……んんっ、あれ?知らなっ……くっ、声がっ」
喉元を押さえ、苦し気な表情を浮かべる少女を冷めた目で見ながら、エマは冷淡な口調で告げる。
「ここでは嘘はつけぬ」
「はぁっ?嘘じゃっ……ちがっ……」
「言えぬのが何よりの証拠だ」
少女の表情に、焦りの色が見え始める。
だが、少女の中にあるのは、未だ被害者意識のみ。
「学校の、クラスのみんなよっ!私じゃないわっ!」
「果たして、そうかな?」
「はっ?」
「お前が一切関与していないと、なぜ言い切れる?」
エマは少女の目をじっと見た。
その目の中に生まれた、小さな揺らぎ。
少女が言葉を発する前に、エマは少女へ問う。
「お前が放った言葉は、お前にしてみればほんの些細な言葉だったのかもしれぬ。だが、池に投げられた小石は、大きな波紋を生み出すものだ。お前が放った言葉は、言わば池に放った小石と同じ。生み出した波紋が、結果的にちづ子とやらを苦しめ、自死に追いやった。違うか?」
「そんな訳……」
「では聞くが、お前が放った言葉は何だ?消し去る事が難しいと言われる電子データの池の中にお前が投じた言葉の小石は何だ?言ってみろ」
「それは……」
少女の中に生まれた揺らぎが次第に大きなものとなり、少女の表情を歪ませる。
「言えぬのか?では代わりに言おう。『目障り。さっさと消えろ』だったな」
「……っ!」
「お前に抗えぬ者達がお前のその言葉に従い、皆でちづ子とやらを追いやった。確かにお前は直接ちづ子とやらに言葉を放った訳ではない。だが、だからと言って、一切関与していないとは言えない。むしろ扇動したも同然と言える。お前は自らの手を汚さず、周りの者達にちづ子を追いやらせた張本人。故に、ちづ子の母親の恨みを買って命を奪われた。違うか?」
「でもっ、私法律に触れる事なんて!」
「生者の世界の決まり事など、この冥界では通用せぬわ」
吐き捨てる様に言うと、エマは口元に手を当てて目を閉じる。
少女の命を奪ったちづ子の母は、既に地獄のB-1へと送られている。
自ら命を絶ったちづ子は、地獄のA-1へ。
それほど時を待たずして、2人ともに再び現世へと生まれ変わる事となるだろう。
さて。
この少女の行先は-。
目を閉じたままのエマに、マーシュがそっと声を掛ける。
「エマ、そろそろ判定を」
「今考えている」
「お時間が」
「急かすな、マーシュ」
薄目を開けて苛立たし気な視線をマーシュへ送ると、エマは小さくため息をついて目を開け、口元から手を離す。
そして、少女に向かって告げた。
「C-3だ」
「かしこまりました」
エマの言葉に、どこか嬉々とした表情を浮かべて、マーシュがエマの左手側、少女から見ると右手側にあるCの扉を開く。
「なによ、C-3って?」
「レベルC、期間3の地獄だ」
「はぁっ?!だからなんで私がっ!」
「いい加減もう分かっているはずだ」
喚く少女の声を遮り、エマは冷え冷えとする声で少女に言った。
「お前の犯した罪の重さを」
視線を落として唇を噛みしめる少女の腕を取り、マーシュが少女をCの扉へと誘導する。
その少女の背に、エマは最後の言葉を掛けた。
「地獄はただ責め苦を負うだけの場所ではない。罪と向き合い、関わった者全てに懺悔し、己を正せ。そして二度とここへは来るな」
少女は黙ったまま、マーシュの導くままにCの扉の中へと消えた。
「また『リハビリ』かと思ったよ」
「まさか」
束の間の休息にと紅茶を注ぐマーシュは、やはり嬉しそうな笑みエマへと向ける。
「お前は地獄行きの判定がそんなに嬉しいのか」
「そりゃあね。罪を犯した人間が責めを追うのは当然だから」
「確かにそうだが」
目の前に置かれた紅茶を見つめながら、エマは口元に手を当てた。
俯いた拍子に、黒髪が肩からはらりと零れ落ち、エマの白い頬を擽る。
地獄行きの判定を下した後、エマは必ず深い思考の中に沈む。
判定は、正しかったのか。
あの人間の魂の本音を、本当に知ることができたのか。
犯した罪の重さを、本当に理解させることができたのかと。
「エマ」
「ん?」
「冷める前に、飲んで」
「……ああ」
口元から手を外し、紅茶を口にしたものの、未だ思考の中で漂っているエマを、マーシュは複雑な表情を浮かべて見つめる。
なぜなら、エマをこの役目に推薦したのは、他ならぬ自分。
エマにいらぬ重荷を背負わせてしまったという後ろめたさは、常に心の片隅で疼いている。
「俺は、いいと思ったけどな、C-3の判定」
「そうだろうか」
「あの子はちゃんと理解したよ。事の重大さをね。現世に戻る頃にはきっと、素直な魂になっているさ」
「だといいが」
マーシュの言葉にも、エマはまだ浮かない表情を浮かべたまま。
「エマ?」
「なんだ?」
「いつまでもそんな顔してると……」
「……なんだ?」
「その可愛い唇に、キス、しちゃうよ?」
とたん。
ギョッとしたように大きな目を更に見開いて頬を染め、エマは姿勢を正した。
「仕事に戻る」
「え~……ちょっとくらい」
「仕事中だ」
顔を赤くしたまま、エマは次にやって来る魂の情報を頭にインプットし始める。
「可愛いなぁもう」
いつの間にか飲み干されてカラになっていたティーカップを片付けながら、マーシュはにんまりと笑ってエマを見る。
「そろそろいらっしゃいますよ」
「そうか」
まだ頬に赤さは残るものの、キリリと表情を引き締めたエマの姿に、マーシュも気持ちを切り替え、次の魂の到着を迎える準備を始めた。
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