我返り

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◆◇◆◇  お菓子を食べている間いつも通りに努めた僕らだったが、どうしてもぎこちなさが拭えなかった僕は逃げるように本を取り出して読み始めた。  やはり、本を読んでいる時が一番いい。  お互い話さなくても済むし、僕らの場合、本を読むだけでも一緒にいる理由としては十分成り立っていたので、気がすごい楽になった。  冬野も帰ろうとはしなかったので、どうやら一緒にいるのが嫌になったわけではないらしい。  そして時間が経ち、日が傾き始めた頃にはいつの間にか冬野も本を読んでいて、顔から不安の色は消えているようだった。 「そういえばさ・・・」  読書を一旦やめた冬野が、机で頬杖を突きながら僕の顔を見つめ、ふと思いついた様に口を開いた。 「そういえばさ、アキト君の名前の由来って何なの? 漢字が変わってるよね。」 「・・・え?由来?」  急な変化球に対応が遅れた。  ・・・なるほど。  最初は質問の意図が掴めなかったが、冬野の顔を見て、何がしたいのかなんとなく分かった気がした。  どこか緊張しているような面持ちだった。  どうやら冬野は、さっき二人の間に生じてしまった“気まずさ”、あるいは“居心地の悪さ”と呼べる何かを解消しようとしているらしかった。  緊張しているということは、きっと本を読んでいるときに、予め何と切り出そうか必死に考えていたのだろう。  ふと思い立ったかのように見せかけて、実際はいつ切り出そうか様子をうかがっていたのではないか、と思うと少し面白く思えた。 「あははっ・・他に話題無かったの?」  意図を見透かしたように言うと、冬野は 「いいから教えて」 と少しムキになった。  別に隠しているわけではないが、名前の由来については特に面白いことはないので人に話したことがない。 「え~、言う必要ある?それ」 と控えめに言う僕に対して彼女は、 「うん、気になったから知りたいの。 教えて?」 と上目遣いで言った。  まったく。  ここぞというときに余すことなくあざとさを利用してくる。  彼女は自分の強みをしっかり理解しているのだ。 「んー、特に面白い意味なんて込められてないよ?」 「名前の由来に面白さなんて必要ないよ」  僕の言葉に被せるようにすぐ反応した。その様子を見るに引き下がる気はまずないらしい。  はぁ。  そんな期待する目で見られても本当に変わったことは何も言えないのだが、仕方ない。 「えーっと・・・秋晴れの日に、生まれたから」  ・・・ほら、何も面白いことなんてない。  葉山空人。  正直僕はこの名前が好きではない。  母親曰く、僕は静かで雲一つない澄んだ秋の日に生まれたらしい。  空の“書き”と秋の“読み”を上手く掛け合わせたんだとか。  初めて聞いたとき、自信満々に母親は言った。  要するに、駄洒落ということらしい。  僕はその由来を親から聞いたとき、素直に信じられなかった。  ・・・それだけ?というのが最初の正直な感想だった。  その日以来、きっと僕の名前には重大な何かがあって子供である僕には話せないのだろうと、そう信じていた。  しかし、何回聞いてもそれしか答えが返ってこず、年を重ね成長していくに連れて薄々理解した。  これは本当の話なんだと。  そんなの一番目の子だから一郎、二番目だから次郎、とかいうのと変わらないじゃないか。  子どもの頃の僕は、両親は僕が生まれてきた時からすでに僕に思い入れなんて無いんだ、と幼いながらに傷ついていた。  それに加えて、“空”という漢字を名前で使用するのに“アキ”と読んでしまったのも僕にとっては良くなかった。  こんな捻くれた性格をしているということもあり、物心ついた時には既に、自分の名前を“空っぽの人”という意味でしか捉えられなくなってしまっていた。  ふと教室で顔を上げ周りを見渡すと、いつも僕の周り以外の場所に人は集まっていて、僕とクラスの間には見えない壁が存在しているかのように距離があった。  違う。  僕は空っぽなんかじゃない。  心の中でそう自分に言い聞かせるたび、自分自身の中にあるはずの“自分を満たすもの”を無理やり見つけようとしたが、必死に探せば探すほど自分には何もないことを思い知らされた。  もちろん今となってはただの笑い話だ。  しかし、二、三年前の物心がついたばかりの僕には、その現実は到底受け入れられるようなものではなかった。  つまり、そんなこんなで僕は自分の名前が好きじゃないのだ。
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