鎌倉忠犬物語(1)

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 実朝公は、結果として、兄君頼家公を排斥して、鎌倉殿となられたが、それは決して実朝公のせいではない。悪いのは北条であるのに、実朝公は、北条のしたことは自分がしたのと同じことだと責任を感じられ、立派に鎌倉殿の務めを果たそうとしておられるのだと私の母上は言っていた。  白梅おじい様は、いわゆる比企氏事件に巻き込まれて命を落とした。北条によって失脚させられた頼家公は、伊豆の修禅寺に護送されたが、紅梅おばあ様は、夫の意思を継いで頼家公に忠義を尽くそうと、身重の体で、頼家公の輿の後をこっそりとついていった。おばあ様は、私の母上を修禅寺近くで出産して、しばらくして他界したという。  その後、母上は、修禅寺の近くに住む庶民の子に拾われて、その白い体から「雪(ゆき)」と名付けられた。母上を飼っていた庶民の子は、まだ子犬だった母上を連れてよく修禅寺に行ったらしい。頼家公は、お優しいお方で、庶民の子ども達や雪母上と一緒に、鬼ごっこや隠れん坊などをして遊んでいたという。  
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