鎌倉忠犬物語(1)

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 その後、母上は、陰ながら、両親の名を付けてくださった実朝公の御世を陰ながら見守って生きていきたいと思い、鎌倉へ戻った。母上は大変誇り高い方で、並みの雄に身をまかせることなく長い間独り身を通していたのだが。  ある時、母上にとっては親の代からの主君の仇である執権北条義時の次男、北条朝時の屋敷に住み着いている若い野良犬に夜這いをかけられ、母上は身ごもってしまわれた。月日が満ちて、建暦元年(西暦1211年)のある日、私は生まれたのであるが。  母上は、人間世界で言うところのいわゆる高齢出産であり、産後の体調が優れなかった。私のきょうだいたちは、皆、私を生かすために、自分を犠牲にして、母上のお乳や自分の餌を私に分け与えた末、亡くなった。母上もまた、兄弟たちの後を追うようにして亡くなった。  
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