鎌倉忠犬物語(1)

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 年が明けて、建暦2年(西暦1212年)。  いかに母上のように誇り高く生きて行こうと思っても、食わねば死ぬ。空腹を抱えた私は、ある屋敷の床下にもぐりこんだ。住んでいる人間や出入りする人間も多く、宴会などをしょっちゅうやっている大きな屋敷だったから、子犬が一匹隠れておこぼれにあずかることくらいは何でもなかった。  しかし、あるとき、その屋敷に住み着いている不良犬連中に囲まれてしまった。 「おい、ちびっ子。見かけねえ奴だが。お前、誰の許可を得てここをうろついていやがる!」 「なあ、親分。こいつ、親分がだいぶ前に可愛がってやった、雪とかいう、えれえ気位の高い年増に似てないか?」  舎弟達に親分と呼ばれた若い雄犬は、いやらし気な笑みを浮かべて言った。 「ははは、案外、俺の種だったりしてな。おい、ちび。聞いて驚くな。ここはな、恐れ多くも、執権北条義時様の御次男、北条朝時様のお屋敷、名越邸だ。お前のような下々が、出入りするようなところじゃねえんだよ!」  この薄汚い下劣極まる親分と呼ばれる不良犬が、誇り高い母上を汚した、私の血縁上の父かもしれない。そして、ここは、先祖と代々の主君の仇の息子の屋敷で、私はよりによって、仇の屋敷の飯を食って生き延びてしまった。その事実を知った私は、怒りと後悔と絶望に打ちのめされた。
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