ねぇ、みてる?

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ねぇ、みてる?

 社会人三年目を迎えた私は、少しずつ現実を受け止め始めている。 美術系専門学校へ入学し、流れる時間に押されるまま大人になった。誇らしげに語っていた夢は未だ叶っていない。 好きなものへの未練を抱えながら、今は美術館の案内人としての日々を過ごしている。 自分とは対照に夢を叶えた人々の作品に囲まれる日々に胸が締め付けられることも少なくないけれど、それを受け入れることが今の私には必要なのかもしれない。 「……雨だ」  雨が降る度に彼女のことを思い出す。 高校卒業後、連絡する頻度も減り疎遠になってしまった大切な人。 「紫苑さん、本日予定されている臨時展示品の準備をお願いしてもいいですか」  地域活性施設に隣接されたこの美術館の日々は忙しい、今日は地元の高校生が描いた作品の臨時展示会。几帳面に包装された作品を丁寧に、繊細に解いていく。 「館長、この大きな額に入れられた作品は……」  スマートフォンからの振動に気づく、見慣れない番号に戸惑う。 ー*ー*ー*ー*ー 「……はい」 「紫苑!」  懐かしい声、瞬時に結びつく当時の記憶。 「……朝顔」 「電話番号変えてから全然連絡ができなくて……今日は紫苑に報告したいことがあってね」  弾んだ彼女の声に鼓動が早くなる、当時と変わらない、ただどこか大人になったことを感じさせるような声。 「報告したいことってなに……?」 「今日、紫苑が働いてる美術館で高校生作品の展覧会があるでしょ?」 「うん」 「あっごめん!職場から電話来ちゃった……また後で掛け直す!」  はっきりと聴くことはできなかったけれど、私は彼女が言いかけたことの続きがなんとなくわかった。 強く押されるように動いた足が辿り着いた先は、数分前置き去りにした布に包まれた額縁。 丁寧に貼られた梱包用のテープを剥がし、布を捲る。 「これって……」  姿を現したキャンバスの一部分を見つめていると、再び胸元から振動が伝う。 『高校生作品展示会に地元高校生出身者作品の枠で出展させてもらうことになったんだ』  届いた一文に、当時の夢の全てが込められているような気がした。 返す言葉を探すよりも先に、数年越しに彼女を感じたかった。 「その絵、季節もテーマも絶妙だよね。全てが曖昧だけど、何故だか惹かれてしまうんだよ」  背後から聞こえる館長のつぶやき。 描かれていたのは神聖な紫色をした秋の花『紫苑』と、鮮やかな桜色をした夏の花『朝顔』。 そして中央には、古びて燻んでいる透明な傘が広がっている。 「館長、この絵はここに飾らせてください」  ガラス張りの通路の途中、前も見えないほどの雨を背景に彼女の絵を立てかける。 そうだ、彼女の描く絵はこんな絵だった。掴みどころがないように見えて芯がある。心を掴んで離さない絵、彼女の心を映し出したように澄んだ感性の詰まった絵。  私にとって、ただひとりの『親友』が彼女でよかった。 出会えて、一度離れた先でもう一度出逢うことができてよかった。 だから次逢うときは、私の夢の形を届けられますように。その時は変わらぬその姿で迎え入れてくれると嬉しいな。 私達を曖昧な距離から引きつけた雨、私の中で記憶に残り続ける唯一の雫。 憂鬱の詰まった梅雨の雨に視線をむけ、あの日の雨と重ねる。
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