公暁、名を捨てた男

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 正治二年、正月。俺は、第二代鎌倉殿源頼家の次男として生まれた。  叔父実朝は、京からやんごとなき姫君を正室たる御台所として迎え、正室一筋で側室を持たなかったが、俺の父は祖父頼朝譲りの色好みで、多くの妻妾がいたが、北の方とか御台所とか呼ばれる確固とした立場の正室はいなかった。    俺の母は、父の妻の中では、家柄と血筋はよかったのだが、俺の母方の祖父はすでにこの世におらず、後ろ盾がなかった。  俺よりも二歳年上の異母兄一幡は、当時権勢を誇っていた父のめのと一族である比企氏を母に持っていた。生まれた順と後見の力関係で、異母兄の方が父の跡取りとなることはほぼ確実視されていたから、俺は、生まれた時から父の跡取りとなることは期待されてはいなかった。  後から聞いた話だが、異母兄の存在があったからか、俺の誕生に対して、母は、どこか遠慮がちで申し訳なさそうな様子だったという。次男坊とはいえ、将軍の息子の誕生だったから、父も周囲の人間たちも一応は俺の誕生を祝福してくれたらしい。  だが、生まれたばかりの赤ん坊だった俺の顔を見て、最もはしゃいで喜んだのは、当時まだ八歳で、千幡と呼ばれていた年の近い叔父の実朝だったという。 「去年逝った儂の妹が三幡、弟のお前が千幡、長男が一幡。次男坊だから、二幡でよかろう。」  父頼家は、面倒くさげに、適当に俺の名前を決めようとしており、その案が通っていたなら、俺は二幡と呼ばれていたことだろう。だが、子どものくせに叔父は坊主のように難しげな顔をして、俺の父に異を唱えたらしい。 「何と、安直で適当な。せっかくめでたい正月に生まれた和子なのです。例えば、法華経と左伝から、『善哉(ぜんざい)』と名付けてあげてはいかがでしょう、兄上。」  叔父は、父よりも十歳も年下だったが、幼いころから学問を好み、難解な本を多く読んでいた。だが、俺と同様に学問なんぞ大っ嫌いだった父は、叔父から書物と出典の根拠を挙げられても、何のことかよく分かっていなかったに違いない。 「仰々しそうな名だな。どのような字を書く。」 「よきかな、と書いて、『善哉(ぜんざい)』です、兄上。由来は……。」  名の由来を説明しようとした叔父の話を遮って、父は再び面倒くさそうな顔で「なら、それでいい。」と言ったらしい。 「善哉。そなた、善哉だぞ。きっと、よい子に育ってくれる。」  叔父は、うれしそうににこにこと笑いながら、俺の顔を覗き込み、俺の手のひらにそっと手を添える。赤ん坊だった俺は、無意識のうちに、きゅっと指で叔父の手を握り返す。まだ視力の弱い赤子だった俺の瞳には、やはりまだ子どもだった歳の近い生き仏のような叔父の姿が映っていたに違いない。
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