王女は嘘をついた

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「結婚が決まりました」  国王の首席補佐官、ヴァイオスが言った。  自分の部屋で、ソファに座り、それを聞いた王女アルティアは愕然とした。  姉二人はとうに嫁いでいる。王の娘である以上、政略結婚は避けられない。  アルティアは、覚悟していた筈だった。だが想像以上に人生の終わりを告げられた様な最悪な気分になった。  思わず、 「嫌です」 と、言ってしまった。  補佐官は、微かに首を傾げる。 「否はありません。して頂かないと」 「でも相手のフェルナルドは愚鈍な男だと聞いています。そんな男の妻になれと?」 「相手が賢いかどうかは関係ありませんよ」 補佐官は、こともなげに言った。  王女は、顔をしかめる。  補佐官は、溜息をついた。 「王女殿下、本来であれば、このような説得……説明は不要です。国王陛下が一言、行け、と仰れば、貴方は行くしかないのですよ」 「私は……道具」 王女は、暗い顔をして呟いた。 「左様です」 補佐官は、平然と言った。 「貴方は、そのように教育されている筈です」  アルティアは、毅然と立ち上がった。 「人間というのは、そう簡単に割り切れるものではありません」 やり場のない憤りが言葉に滲んでいた。    補佐官は、変わらず事務的な顔をしていたが、すぐには言葉を返せなかった。 「それは、そうでしょうが」 「そうですよ」  部屋に沈黙が垂れこめた。  ヴァイオスの脳裏に、二年前の舞踏会で初めて王女に会った時の事が蘇った。  当時、アルティアは14歳。まだ成人していなかったが、既にその立ち振る舞いは気高く、優雅だった。ヴァイオスには、男女合わせて五人の子供がおり、自分でも、もういい年の親父だと思っていた。そんな親父が、自分より遥かに年下の、意志の強さを滲ませた青い目の王女に強く心を引き付けられた。彼はひそかに、王女に対し、尊敬の念を抱いていた。  そんな王女が、自分の立場を忘れ、国王に盾突いている。ヴァイオスは、少し残念に思った。  補佐官は、 「わかりました。でしたら陛下の命令書を持って参ります」 と言って、部屋を出て行こうとした。  王女が本気で結婚を拒否しているのであれば、それを無効にする為の正式な命令が必要である、と、補佐官は判断した。それがあれば、王女の諦めもつくだろう。 「待って」 アルティアは、ヴァイオスを止めた。 「父に、こんなことで命令されるのは嫌です」  補佐官は、苛立ちを滲ませる。 「我儘をおっしゃいますな」 「納得できないの」 王女の切実な表情に、ヴァイオスは、沈黙した。  アルティアは、思い出した。  ヴァイオスと出会った日の事を。  舞踏会で、一目見て、好きになった。アルティアと同じく社交界に乗り出した自分の娘たちに優しく微笑みかける、父の補佐官殿。  普段の任務に対する冷徹さと、裏腹な優しい笑顔。  アルティアの胸は締め付けられた。  妻子ある人を好きになったなどと、誰にも言えなかった。想いは心の奥底に封じ込めた。まさか、自分の結婚をヴァイオスに言い渡されるなんて。こんな事なら、父に直接命令された方が良かったろうか。 「嫌ですか。言いなりになる人生が」 ヴァイオスが、静かに訊いた。 「そうよ」 王女は嘘をついた。 ――言いなりになるのが嫌なんじゃない。貴方の傍にいられないのが嫌なの…… アルティアは、そう思ったが、口には出せなかった。  暫しの沈黙の後、ヴァイオスは、王女を慮る様に微笑んだ。 「確かに、貴方にとっては、理不尽な話かも知れません。ですが、ひとつ言える事があります。貴方が結婚することで、両国は無理な戦争をしなくて済みます。多くの兵士たちが死なずに済み、多くの民の生活が守られます。それは紛れもなく真実です。そういう意味で言えば、この結婚は、貴方にとっての戦争かも知れません」  アルティアは、目を見開いた。 ――どうして。どうして、好きな人に、こんなこと言われなければならないの  アルティアは、蓋の開いた想いに、崩れそうになった。だが、そんな無様な姿、ヴァイオスに見せられない。  アルティアは、必死で自分を支えた。  ヴァイオスは、言葉を続けられなかった。  どうしたことか。王女があの日と同じ目をしている。あの強い眼差し。  アルティアは、ヴァイオスを見た。自分を慮ってくれる優しい目。嬉しく、苦しかった。 ――ああ、好き。ヴァイオス。 ――想いを伝えたい。例え一緒になることが出来なくても。でも、言えない。やっぱり言えない……  アルティアは、王女という立場に立ち返った。自分の果たすべき義務を思い出す。  民の命には代えられない。そう自分を締め付ける。   「承知しました、と、父に伝えて下さい」 王女は、静かに答えた。  ヴァイオスは、かすかに驚いた様に目を見開き、控えめに微笑んだ。 「畏まりました」  ヴァイオスは、王女の答えを聞いた瞬間に、気が付いた。  王女に対する尊敬の念は、恋だった、という事に。    婚姻の儀式はつつがなく進み、王女の嫁ぐ日となった。  白いドレスに身を包み、王女は城を出て行く。  皆、整列して送り出してくれる。 「王女殿下」  後ろから補佐官の声が聞こえた。 「行ってらっしゃいませ」  王女は、振り返った。 「行ってきます」  一瞬だけ目を合わせて、王女は背を向けた。  王女は立ち止ったまま歩き出さなかった。  皆、ざわめき始める。  王女は、意を決したようにくるりと向きを変え、補佐官に歩み寄った。  ヴァイオスは、静かに王女を見つめ返した。  アルティアは、ヴァイオスの顔に自分の顔を近づけると、彼の頬にキスをした。  皆、ざわめいたが、アルティアは堂々と微笑んだ。 「行ってくるわ。私の戦争に」 アルティアは、そう言った。  ヴァイオスは、熱い目でアルティアを見つめた。 「ご武運を」 そう、言った。  アルティアは、胸を張って歩き出した。  終
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