花に宿る

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 彼女の研究所とやらに着くとそこには彼女の仲間らしき人間が数人いて、ちょうど今から食事をするようだった。 「ただいま、この人はお客さん。私の分を半分分けるから」 そう言いながら、僕に手を招いてここに座れと指示した。僕は案内されるまま席につき、出された粗末な食事を残さず食べた。お腹が満たされたところで、色々気になることを質問しようとすると、僕の頭の中を覗いていたかのようにレイが話し始めた。 「質素でごめんね、これくらいしか食べられないの。私たちはピッカー、人々の負の花を摘んで花の侵食を止めようと活動しているの。だからさっきもあなたの負の花を摘んだの、少し強引だったけどごめんね」 「ピッカー...噂で聞いたことはあるけど」 「私の花をあなたに植えたのはあなたを助けるため。勝手に植えてごめんね」 花を植えて人が助かるなんて話を僕は聞いたことがなかった。 「どういうことなんだ」 僕が彼女に尋ねるといきなり、目の前に座っていた少年が割り込んできた。 「レイ、また人に花を植えたのか」 少年の声色には怒りに近いものを感じたけど、僕はその中に優しさも感じた。少年はレイの服をめくり腹のあたりを見て、静かに舌打ちをした。 「まったく何度言えば分かるのか、まあそこもレイさんの魅力ですけど」 今度は赤い蝶ネクタイをつけた男がため息をつきながらそう言った。彼はこの中で一番着飾っていて、その姿はまるで王都の貴族のようだった。 「薬がなかったんだよ、助けることが最優先でしょう」 レイは必死に彼らに事情を説明し、また僕の方を向いて話し始めた。 「喜びなどの花が咲く時に心や身体が楽になるでしょう。それは植えかえたときにも同じように起こるの。だから私の花をあなたに植えたってこと」 確かに、植えかえたときにその効果が同じように起こることには納得がいく。実際僕は、母さんの悲しみの花を植えられて花の侵食が早まっていたし、彼女の花を植えられて身体が楽になった。  僕が黙り込んでいると後ろから可愛らしい声が聞こえてきて、僕は思わず息をのむほどの恐怖を感じた。 「ところで、あなたのその火傷はどうしたのかしら」 彼女は遠慮する素振りを一切見せずに聞いてきた。その目はまっすぐに僕をとらえて離さない。僕がまた黙ったのをみると、さっきの少年がまた割り込んできた。 「恐らく、身内が燃やされでもして巻沿いを食らったってところだろ」 そして僕にその予想を認めさせようとするかのように、皿とスプーンをカチカチ鳴らし始めた。  名前も名乗らずいきなりズケズケと人の事情を探ってくる。僕はこの時点で彼らに不信感をいだき始めていたけど、僕を助けた彼女にだけは彼らとは違う何かを感じた。だから僕は、理解ができないと投げ出すのをやめて彼らと向き合うことを決めた。 「君達の名前を聞いていない。話はそれから――」 僕の言葉にハッとしたように顔を上げ、レイが話し始めた。 「ごめんなさい、お客さんなんて久しぶりでみんなはしゃいじゃって」 これははしゃいでいるというのか僕には分からなかったが、とりあえず聞き流しておくことにした。 「この人はクヒオ、態度は冷たいけど本当はとても優しい人なの。だから誤解しないであげてほしい」 そっぽを向く少年をレイは強引に引き寄せて、肩を組んで笑った。嫌がりながらも特に抵抗しない様子から、仲の良さが僕にも伝わった。 「こっちはホクケイ、こんな格好だけど貴族じゃないから気楽にね」 余計なことを言わなくていいのです、と焦りながら言う姿に思わず笑ってしまった。僕が笑ったのを見ると、ホクケイは咳払いをして蝶ネクタイを直した。 「そしてこの子はマナ、クヒオと並んで冷たいんだけど、マナの場合は初対面の人にだけこうなの、だから安心して。一緒にいればもう少しやわらかくなるよ」 そんな様子はこれっぽっちも感じられないが、僕はマナに強い興味を持っていた。一見ただの少女、だけど彼女からは計り知れない強大な力を感じていた。同じ人間とはとても思えないような、そんな大きさの恐ろしさ。 「知らない者を警戒するのはレディとして当然のことでしょ」 高い位置で綺麗に結ばれたツインテールをなびかせ、椅子の上に立って僕を見下ろしながらそう言う彼女に、やはり僕は強さを感じた。警戒ではなく脅しに近いような。 「それから、あそこで寝ているのがウル。基本寝ているかご飯を食べているか。ウルは私たちと違って外には出ずに、この研究所で薬を開発しているの」  「薬がなかったんだよ、助けることが最優先でしょう」  薬――。さっきレイがちらっと話していたが、一体何の薬を開発しているんだ。開発しているというウルは、ボサボサの髪で顔が見えない。 「薬って何」 「あなたを助けたときに私の花を植えたでしょう。負の花を摘むとそこに空洞が生まれるの。感情の空洞、無の空間が身体にできてしまう。だから負の花の代わりとして私の花を植えたの。だけど全ての人にそうしていたら、やがて私達の良い花はなくなってしまう。その時点で人々を救うことは叶わなくなってしまうから、別の手段として薬を開発したの」 良い花がなくなったら――。僕はその未来を想像してしまった。僕の想像通りだとすると、 「そいつは人間じゃなくなる」 僕の思ったことをクヒオが言葉にした。言葉としてここに放たれると、その恐ろしさが僕の身体を震えさせる。 「花は感情だ。当たり前にそこにあるものだから人々は忘れているが、感情は人間をつくる大事な要素だ。良い花がなくなるってことは、感情がなくなる、もしくは負の感情だけになるということだ」 負の感情だけになるって、それはまるで 「完全に蝕まれた人間と同じようになる」 クヒオは躊躇なくその言葉を発した。僕はその言葉に母さんを思い出していた。気づいた時には、母さんの身体には紫の花しか咲いていなかった。僕からレイが切り取ったあの花と同じ、悲しみ、怒り、絶望――。色んな感情がごちゃごちゃになって、そこにとどまることで精一杯とでも言うような苦しそうな花が、僕の脳裏に焼き付いていた。 「土化(つちか)」 遠くからか細く聞こえたその声の主はウルだった。 「土化って」 「完全に蝕まれていく人間を「土化している」と言う。花がなくなったら土になるから」 僕らはそうして土に還るんだ。最期が負の感情に囚われているなんて、それは恐ろしいことだと僕は思った。母さんだって、昔はよく笑って僕を抱きしめてくれた。  「不自由な思いをさせてごめんね。母さん頑張るから、お前はただ優しく生きるんだよ」 土化する少し前、母さんはいつもより強く僕を抱きしめてそう言った。そのときに気づいていれば、母さんは土化しなかったのかもしれない。負の感情に苦しみながら焼かれることはなかったのかもしれない。あんなに優しい母さんの最期が、孤独な火の海の中なんて。 「お前――」 クヒオの声とみんなの視線を受けて、僕は自分の右腕を見た。 「なぜ今、とにかく早く摘まなくては」 ホクケイが黒いハサミを取り出しながらそう言ったのを聞いて、僕の身体は勝手に彼らと距離をとった。 「待ってくれ、その前に僕の話を聞いてくれないか」 僕は本能的に摘まれることを拒んだ。これは僕の意思なのか、どうして僕は摘まれることを嫌がるのか、僕にも分からなかった。 「恐らく、今咲いたのは母さんのことを思い出していたからだ」 「あなたのお母様がどうしたのかしら」 「母さんは、君たちの言う「土化」したんだ。それで街の人達に燃やされた」 僕の言葉の余韻が聞こえるほどに、緊張感のある静寂が流れた。 「この火傷はそのときに負ったものだ。僕は逃げるように街を出て、そしてレイに助けられた」 「そうだったのね」 レイは腰掛けカバンにあった手をおろした。 「この花は摘まないでくれないか」 僕の口は勝手にそう言ったが、僕も心のどこかでそうしたいと感じていた。 「なぜです」 ハサミを構えたままのホクケイが僕に近づいてきた。 「母さんを思って咲いた花だ、僕にとって大切な感情。だから今はまだ、ここに咲いたままで良いって思うし、そうしたい。ちゃんと前を向けたときに摘むよ」 僕の右腕の火傷を覆うように咲いた紫色の花々、それは母さんの花より青みがかっていた。僕の傷を隠すように咲いたその花が僕には愛おしく思えたんだ。 「そうだよね」 レイは自分の左の手首を撫でながらそう言った。その短い言葉の中には、僕に対する気持ちの他に彼女自身の問題が隠れているようだったが、まるで触れないでくれと言うように彼女は誰とも目を合わせなかった。僕は彼女の姿に何も言えず、そこに立ち尽くしていた。 「ホクケイ、ハサミをしまって。ウル、侵食を遅くする薬を彼に」 ホクケイは言われるままハサミをしまい、思い詰めたように椅子に座った。一方ウルはノロノロと歩きだして、奥の部屋から液体の入った小瓶を持ってきた。 「まだ試作品だから副作用が強いかもしれないけど、我慢して」 少し不服そうに言いながら僕に小瓶を開けて渡した。僕は小瓶を飲み干して、空いた瓶をウルに返した。ウルはこの中で一番背が低く、歩き方もまるで知らないようだった。そんなウルを心配している間に、僕は気絶するように眠った。
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