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「なんだこれ」
そこに広がっている世界はまるで地獄のようで、僕はすっかり動けなくなった。どこからともなく聞こえてくる叫び声は止まず、血しぶきや枯れた花がそこら中に溢れかえっている。とっくに手遅れになっている光景に、僕は後退りするしかなく声も出せずに怖気づいていると、僕は何かを踏んだ。目線を落としてそれを見ると、そこにはドロドロに土へと変貌していく真っ最中の人がいた。僕が踏んでいるこの大地も、人間だった人たちの変わり果てた姿なのかと思うと僕は吐き気がした。思わず逃げ出そうとしたその時、空から笑い声が聞こえてきた。
「なんて光景だ、人間たち。美味しそうで何より」
高笑いしながら叫び喜ぶ得体の知れないそいつは、街の時計台の上にいた。上半身裸でボロボロの短パンを履いて、身体の至る所に花が咲いている。禍々しいその花たちは彼を語るかのように自由に咲き乱れて、レイとよく似た白い髪には月の光が反射しているように見えた。その不気味な笑顔に身体が凍りつき、あいつは本当にやばいやつだという直観がはたらく。
「ノア――」
叫んだのはレイだった。レイが地上から時計台に向かってその名を叫んだということは、「ノア」というのはあいつの名前ということなのか。名前を知っているということは面識があるのか。僕はしばらくその場で思考が停止しかけていた。
「その花たち――。こっちに来て、私と話そう」
やはり面識があるようだ。だが、まるでレイは心配しているように見える。どう見てもやばいやつなのにやけに距離が近い。
「レイ、お前はまだこんな意味のないことをしているのか」
あいつが話し始めた。あの目は狂人の目だ。
すると、僕のもとにクヒオが走ってきた。
「おいお前、なんでボーっと立っているんだ。早く彼女の母親を探せ」
そう言いながらクヒオは僕にハサミを渡した。
「見つけたら花首の下から切り取れ」
「そ、そんな」
「助けたいんじゃなかったのか」
クヒオは僕の目を真っ直ぐ見つめて僕の胸を叩いた。あんなやつを目の前にして怖気づいていたけど、僕はあの子を助けるためにここへ来たのだ。僕はクヒオに叩かれた胸をもう一度自分の手で叩き、覚悟を決めた。
「助けるさ、あの子もお母さんも」
僕はハサミを手に走り出した。枯れていく花たちを今度はちゃんと自分の目で見て、あの子の母親を探すために。
「マ、カ――」
家が崩れて炎が燃え盛っているその下に、確かに人がいる。僕は一目散に炎の中へ入り、やっと掴んだ手を精一杯引っ張った。今度は、何も出来ずに逃げ出すなんてことしないからと、心の中で強く叫びながら力いっぱい手を引っ張る。
「何しているんですか」
意識が遠のきかけたその時、ホクケイの声がかすかに聞こえた。大きな声で叫んでいる彼の声に意識をなんとか繋ぎ止め、僕は最後の力でもう一度手を引っ張った。気づいたホクケイも加わってくれたことで、大きな怪我をせず、なんとか少女の母親らしき人を引っ張り出すことが出来た。だが既に意識はなく、涙を流しながら花を植えかえようと手を伸ばしている。
「ありがとう、ホクケイ」
「いえ、そんなことよりこの方、どうやらお母様のようですね」
「うん」
僕らがどうするべきか迷っていると、少女の母親の手が少しづつ土に変わり始めていた。
「もうすぐ土になってしまう、どうすれば――」
僕のつぶやきを聞いていたかのように、あいつが目の前に現れた。
「土になるのか人間、美しいなぁ」
少女の母親を見ながら恍惚として笑っているその姿は、まるで悪魔だ。
「いただきます」
口角を上げ少女の母親を食べようとしていることに僕の思考がやっと追いついたとき、ホクケイが少女の母親を抱き上げ目の前の悪魔から距離をとった。それが気に入らなかったのか、悪魔は一瞬真顔になったように見えたが次の瞬間、僕の目の前に悪魔はもういなかった。背中がゾクッとして後ろを振り返ると、悪魔がホクケイのこめかみに咲く花を食っていた。思わず少女の母親を手放したホクケイから少女の母親を奪い取り、悪魔は綺麗に花だけ食ってこちらを向いた。人に咲いた花を食っている。こいつは一体何者なのか、本当に人の形をした悪魔なのか。僕は今の一瞬に起こった出来事に追いつけず、そして恐怖に染まった。
咲いてしまった、また一つ僕の身体に花が。恐怖の色に染まった花が耳に咲き、悪魔はそれを見逃さなかった。
「綺麗な花が咲いたな、人間」
僕はその恐ろしさに耳を片手で隠し、片手にハサミをしっかり握った。
「美味しそうで何より」
ニタァと笑いこちらへゆっくり歩いてくるので、僕は小手先の時間稼ぎをした。
「お前は一体何者なんだ」
僕の力いっぱいの叫びを悪魔は笑い飛ばして答えない。
「なぜ花を食う――」
じっと悪魔を見て僕は気づいた。悪魔の至る所に咲いている花が、全て負の花であることに。
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