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深海の羽衣〖故郷〗
プラットホームに、発車のベルがこだまする。故郷へ向かう列車が動き出した。昔ながらのディーゼル列車は、現在の私を青森駅に残したまま、特有のガタンゴトンという音を響かせて過去の私を北へ北へと進んでいく。
こうして、羽衣探しの旅が始まった。
私の故郷は、津軽半島の漁師町。荒れる津軽海峡が漁場だ。漁師たちの誇りと魚で一杯になった漁船が、大漁旗をかかげて港に戻る姿は今も忘れられない。
漁場は津軽海峡だけではなかった。当時は遠洋漁業も盛んで、太平洋も彼らの漁場だった。ひとたび遠洋漁業に出かけると半年は帰ってこなかったものだ。
私の父は、当時十八歳だった母に恋をした。私は、そんな二人の間に生まれた最初で最後の子どもだ。まだ一歳だった私を抱き上げた父は、子どもはわたし一人いれば十分だと家族に話していたらしい。
「おまえの父親の言葉に、首をひねったものだよ。でもね、おまえの伯父さんの言葉はもっと奇妙で、ばあちゃんたちはね、首をひねるどころか、何かあるんじゃないかと不安に思ったものだよ。」
伯父というのは、母の兄で長男、家族みんなからの期待を一身に受けた跡取りの青年だ。
その伯父が父に言った言葉に、家族は動揺を隠せなかったというのだ。
「いいなあ、お前にはこの子がいて。羨ましいよ。」
当時、伯父には婚約者がいたと聞いている。そうでなくても、二人とも未来ある若者であるはずなのにと、家族は不安を覚えたのだ。そしてそれは、現実のものとなった。
父や伯父をふくむ漁師たちを乗せた遠洋漁業船は、太平洋沖合いで嵐におそわれ転覆した。漁師たちの家族は、すべての乗組員は帰らぬ人になったのだと聞かされた。狂ったような叫び声がそこらじゅうで響いて阿鼻叫喚の地獄絵図だったと、祖母から聞いた。
自分の父親であっても、記憶にない父と父親だとは思えなかった。私にとって父は遺影の人にすぎなかった。だからなのか、父が命を落とした事故について詳しく知ろうとは思わなかったし、実際、掘り下げて聞くようなこともなかった。
娘が生まれて親となり、人生の折り返し地点も間近となった今、あらためて父を思う。記憶に残らなかったために父親だと思えないと実の娘に言われてしまうのは、若くして命を落としてしまうことよりも、もしかしたら悲しいことなのかもしれない。
ほんの少し開けた列車の窓から、なつかしい磯の風が吹き込む。故郷の町が、近づいている証だ。
列車は、少しずつ速度を落とし、かつては漁業で栄えた町の駅で停車した。
いよいよ始まる。
私は、深呼吸をして、列車を降りた。
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