6人が本棚に入れています
本棚に追加
宿題は順調に消化されていった。
なんどか息子の同級生が来たものの、俺と妻で丁重にお引き取り頂いた。
「ねぇ、最近の子って、なんていうの、挨拶もしないし遠慮もないっていうか」
「同感だ。なに考えているのかさっぱり分らんし、まさか家に入ってくるとは思わなかった」
まるで勝手知ったかのようにインターフォンを鳴らさず、普通にドアをあけて、わらわらと玄関に侵入してきた子供たちに俺と妻は閉口した。子供たちの方も、親がいることが意外だったらしくて『あのタケルくんは? 宿題が終わっているなら、その、タケルくんにオレたちのも、見てもらいたかったんだけど』と、免罪符のようにプリントの束を掲げる姿と、言い訳がましくぎこちない説明口調に、形容し難い苛立ちが腹の奥に黒い渦を巻いた。
『そうか。けどあいにくと、タケルはまだ、宿題を終わらせていないよ。今、俺と家内が付きっきりで宿題を見ているんだが、君たちも宿題を終わらせていないんならちょうどいい、一緒に宿題をやろうじゃないか。君たちの名前と連絡先を教えてくれるかい? もしくは、お父さん、お母さんの勤め先、わかる?』
『――もう、いいっ!』
自分たちの理屈が通じない相手だと分かって、子供たちは一目散に逃げて行った。はぁ、と、俺の後ろで脱力したように息を吐く妻の気配を感じつつ、粘ついたイヤな汗が首筋を伝うのを感じた。
もし、このまま子供たちを家に上げていたら。
もし、タケルが宿題をしてないと言い出さなかったら。
「私ってダメね。こんな時に、なにも言えないなんて。あなたがいてくれて本当に良かったわ」
「いや。だけど、いろいろとひっかかるな」
ともかく、息子から話を訊かないといけない。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「あいつら普通に来たんだ。宿題終ってないって、グループラインしたのに」
机に向かい宿題をこなす息子の声は冷え切っていた。
「毎年毎年うざいんだよ。早く宿題を終わらせれば、恩着せがましく自分たちの分もやってくれって押し付けてくるんだ」
「なにっ! 初耳だぞ」
「え? 毎年って、一体いつから?」
息子の言葉が信じられず、思わず言葉が荒くなる。
タケルは俺たちの反応を予想していたのか、取り乱すこともなく、おそろしく大人の態度で俺たちのほうに上体をよじって言った。息子の動きに合わせてシャツのシワが動き、無力な俺たちをせせら笑っているように見えるのは気のせいだろうか。
「小3の時は、手伝う程度のお願いだったんだけど。去年あたりから、押し付ける量がヤバくなった」
小3といえば、タケルの面倒を見ていた義母が亡くなった時期だ。
「下手に断ったら体育の授業でハブったり、根も葉もないことを学校の裏サイトに書きこまれたり、僕がホレているって吹きこんで、クラスのブスをけしかけるとか、軽いイジメがずっと続いて、担任も頼りにならないし、もう付き合ってられないから、お父さんとお母さんを利用したんだ。……だから、そのことについては、ごめんなさい」
完全にイスごと俺たちの方に向き合って、両ひざに手を置き、タケルは頭を下げた。
まだ未熟な小さな頭と、頭頂部から生える柔らかな髪に俺は罪悪感で息は詰まりそうになる。隣にいる妻も両手で口元を覆い、言葉が出ないようだ。
共働きとはいえ、タケルの苦境を気づくことなく、呑気に息子のことを『とても大人しく、手もかからず、妙なところで頑固で負けず嫌い』と評していた自分を殴ってやりたい。
「もしかして毎年夏休みには、アイツラを家に上げていたのか」
ぞろぞろと家に入ってきた息子のクラスメイト達は、俺たち両親の姿を見て、本当に驚いているようだった。
「うん。だけど、おばあちゃんが怒ったら一時期来なくなったし。今回はお父さんとお母さんの姿をみたから、もう諦めたと思う。そんで二学期からの僕の評判は、親に宿題を手伝ってもらっている、ファザコンかマザコン扱いになるだろうね。そこらへんは、もう諦めたけど」
飄々とした口調と幼い顔がアンバランアスで、親が知らない間に大人になることを選んだ息子は、子供特有の傷つきやすい、柔らかなプライドを捨てたのだろう。感情的になることなく、折り合いをつけることを覚えたタケルを見て、自分の無力さに打ちのめされる。
「あ、アイツラを家に何度も上げたけど。さすがに、物は盗んでいないと思う。なんのかんので、自分たちに不利になることはやらないし。たまり場になったわけじゃないし」
取ってつけたかのように話す息子の目には迷いがない。俺は思い知った。子供の成長の早さと、我が子に対する俺達の関心の薄さ。親である自分たちでしか見ることが叶わない、我が子の成長の瞬間を、自分たちは随分と見逃して、今日まで来てしまったことを。
「水曜日、映画館。お願いね」
「あ、あぁ」
念を押す息子の言葉に、俺たちは頷くことしかできなかった。
最初のコメントを投稿しよう!