夏果つ(なつはつ)

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「タケルくんのことでお話があります。保護者の方は至急、当校の会議室へお越しください」  二学期が始まり三日が経過した。  相談しようとしていた矢先だった。妻と共に会議室へ訪れると、長机に並んで座っているタケルとユキヤが視界に飛び込み、()いで先に到着していた里中夫妻が、子供たちの後ろの席で萎れた向日葵(ひまわり)のように項垂(うなだ)れている。 「お忙しい中、足を運んでくださってありがとうございます」  若干の皮肉を含ませて、息子のクラスを受け持つ若い教師が頭を下げると、手に持っていたプリントの束を俺たちに見せつけた。  プリントの名前には、それぞれ【安藤猛】【里中幸也】と書かれているのに、二つのプリントの束には、どう見ても同じ人間が書いた筆跡があり、夏休みの宿題を監督する上で、何度も目にした息子の字のクセに息が詰まる。 「タケルくん。つまり君は、最初の一週間で夏休みの宿題をほぼ終わらせた。けど、ユキヤくんの方が宿題をしていないことを知って、残りの一週間、ユキヤくんの宿題を代行をしたというわけね」 「はい、そうです」  信じられない担任の言葉に、俺たちは自身の耳を疑い、促されるままに席についた。 「けど、致命的な見落としが一つあった。映画の感想を書く宿題は、親と一緒に書かないと成立しない。……そう、里中くんの感想文と君の感想文は、字や内容が全く違うにも関わらず、提出された感想文以外の宿題はみんな字が同じ。問題の回答の答えも同じ。これで気付かない方が無理がある」  ため息交じりに説明する担任は、冷ややかな視線で保護者と息子たちを交互に見て言う。 「タケルくんは、宿題を代行した報酬を要求していませんが、ユキヤくんは、夏休みの宿題を映画の感想文しかこなしていないことになります。それでは、宿題の意味がありません。今回のことは、お互いに口外しない条件で、タケルくんもユキヤくんには、一週間の校内清掃で手を打ちたいと思います。理由は、宿という説明で、よろしいですよね?」  あまりにも一方的であるが、担任の言葉は有難かった。  現実に頭が追い付いていないが、担任に見破られる、息子の詰めの甘さにまだ救いがあると思いたい。 「「お父さん、お母さん。嘘をついて、ごめんなさい」」  声をそろえて神妙に頭を下げる二つの頭。  息子たちが顔をあげる時、俺は冬風に当てられたような寒気を感じた。まるで、息子たちの瞳が無機質で、(くら)くて、奥底に小さくて黒い虫が、蠢いているように見えたからだ。 「それじゃあ、帰ろうか。これからのことを話し合わないとな、母さん」 「えぇ。そうね」  自身で発した言葉なのに俺は虚しくなった。  俺たちは本当に何も知らないのだ。  タケルとユキヤの友人関係の深さも関わり方も、夏休みに二人がどんな遊びをしたのかも、普段息子たちがどう過ごしているのかも。  縋るような視線で俺たちを見る里中夫妻は、口を重く閉ざしてじっと何かを耐えているようだ。 ――もしや、里中幸也(この子)が、転校してきた理由(原因)は。  息子のこと、これからのこと、前向きに知っていこうと考えるには、もう取り返しがつかないところまで来ているんじゃないか。  そんな気がしてならず、家路を歩く息子の影が赤い残暑の()を浴びて、不気味に長く伸びているのが怖くて仕方がなかった。  現実では悪い魔女が存在しない。 「ごめん、タケル。オレが甘かった」 「ううん。気にしないでいいよ。あのブス片付けてくれてありがとう。不登校確定で、先生慌てていたね」 「――ったく。うざくて、案外しぶとかったよな。おかげで、夏休みいっぱいかかっちまった。ま、チクったら動画をネットに流すだけだし」 「うん。けど、あの様子じゃ、チクるどころか、もう自分の部屋からも出てこないよ。お礼が夏休みの宿題だけじゃ、足りないぐらいさ」 「いいってことさ。前の学校じゃ――」  俺はたまたま耳にしてしまった、息子たちの会話を(ただ)す勇気がない。 「これからも、どんどん潰していこうぜ」 「うん、楽しみ!」  宿題が終わらない親には、果たしてどのような罰が下されるのだろう。  もしも息子たちが、近い将来でなにかをやらかすのなら、それは全面的に親のせいにされるのだろう。だとしたら、まったくその通りであり、俺たちは親として、ありのままを受け入れるしかないのだ。 【了】 30ed8d98-d5e5-41b6-b296-20377fa3e001
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