2人が本棚に入れています
本棚に追加
「そうだ! インドに行こう」
「マジか」
同僚のAは、よく海外を旅行する。
だが目的地は、その時その場の思いつきであり、今回のインド発言も、オレが昼休みにコンビニのカレーを食べていたことがキッカケだ。
もしオレが、ビビンバや冷麺を食べていたのなら韓国。餃子やラーメンなら中国。ハンバーガーならアメリカで、シュクメルリならジョージアに行っていただろう。
Aは旅行すること自体が目的であって、現地でなにかをするわけではないらしい。
まるでその場から逃げるように、ここではないどこかへと旅立ち、楽しかった、面白かったと作り笑いを浮かべて、いつも大量のお菓子のお土産を同僚たちに振舞うのだ。
そんなある日、飲み会でなんとなくAに、次はどこに行くのか訊いた。
しばし迷ったAは「月に行く」と言った。
オレは驚きつつも「じゃあ、月の次は火星か? お前は一体、どこへ行こうとしてんだ」とくだを巻く。
そんなオレに対してAは言った。
「お父さんとお母さんのいる天国」
酔いが完全に醒めてしまった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ぽつぽつとAは身の上を話した。
幼い頃に事故で両親を亡くして、事故を起こした企業から、一生遊んで暮らせるレベルの賠償金を受け取ったらしい。
そして、その賠償金をもぎ取ろうとする親戚と、長い間、血生臭く醜い争いを繰り広げた。
ようやく大人になって周囲が落ち着いたものの、心に傷を負ったAはここではないどこかへ行きたいと思うようになったらしい。自分の抱えている苦痛や悩みを、忘れられるほどのカルチャーショックを体験すれば、自分は救われると思ったのだ。
だが、国内や世界中を行き尽くしても、Aを救うには至らなかった。
このままでは、月に行っても火星に行っても結果は変わらない。
もういっそ、両親のいる天国に行きたいとAは思い詰めてしまった。
「けど。自殺すると、魂は地獄に行くらしいの。両親のいる天国には行けないわ」
「そうか。だが、絶望するのは早いぜ。まだこの世界で、Aが行っていない場所がある」
「え? どこ?」
「オレん家」
うん。つまり、そういう経緯でAと結婚したんだが、ここからが本題なんだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
結論から言うと、オレとAの関係は破綻した。
結婚して家族になったことで、距離感が一気に狂ったんだ。死んだ家族のトラウマから、Aはオレがどこに行くのか常に把握してないと、安心できなくなっちまった。
そして、ついに発狂して「そうだ、一緒に天国へ行こう!」って言いだした時は、さすがに慌てたよ。
だから、わかるだろう。
気持は嬉しいんだけど、オレは君の期待に応えることができないんだ。
君だって、うすうす気づいているはずさ。
――オレの後ろにAがいることを。
かわいそうに。
オレを殺して自分も死のうとしたんだけど、悲しいかな、失敗しちまったんだ。
あーあ。
あの時、天国じゃなくて「一緒に地獄へ行こう」って言ってくれたら、なんの憂いもなくオレも後追いできたのに、本当に本当に残念だよ。
分かっていたけど、天国って、火星に行くより難しいんだな。
【了】
最初のコメントを投稿しよう!