第8話・昼にワープ。いや結構歩いたよ

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第8話・昼にワープ。いや結構歩いたよ

 窓越しにヴィンティス課長が青い目を剥いて「も・ど・れ~っ!」とハンドサインを寄越していた。外出禁止令を申し渡したというのに何の予備動作もなく抜け出され、その顔つきはいっそ悲愴だ。  シドは見えないフリをして耳をかっぽじっている。 「あーあ、いいのかなあ? 課長、本当に貧血と胃痛で倒れちゃうよ」 「構うもんか、課長の胃袋なんて知ったこっちゃねぇよ。お前は嫌なら留守番してろ」 「そこまで言わなくても、僕はちゃんとバディの背中を護りますよーだ」  下請け仕事も深夜番も回ってこない遊撃的身分の二人はヒマそうだが、事実としてヒマではない。こうして外回りに出動するからだ。機捜課に外回りという仕事は本来ないのだが、シドは毎日七分署管内を歩き回っている。  けれどシドはヒマな事件待ちから逃げているのでも、ヴィンティス課長に嫌がらせをしているのでもない。歩いていなければ見えてこない犯罪から人々を護ろうと、少しでも『間に合おう』としているのだ。  それを理解してハイファも日々一緒に靴底を減らしている。  日差しで暖められて官庁街のビル風は緩く大きく吹き流れていた。  ここ数日は気象制御装置(ウェザコントローラ)のお蔭か晴天が続いて空気は乾燥している。そろそろ小雨くらいは降らせるだろうと思われた。  併設されたスライドロードにも乗らず、ファイバブロックの歩道を二人はしなやかな足取りで歩いて行く。すると影の濃い小径から吹くビル風がふいに強くなって、ハイファは身を震わせる。 「寒いならコートでも何でも着ていいんだぞ」 「まだコートは早いかなって思ったんだけど。スーツは一応断熱素材だしね。それにコート着ると銃を抜くのに邪魔なんだもん。イヴェントストライカのバディとして、これでも気を使ってるんだから」 「またそいつを言うか。いい加減にしろよな」  ムッとしたシドは歩調を上げる。薄っぺらいハイファが風に飛ばされそうな気がして心配ではあるのだが、言い募らないのは宇宙を駆け巡るスパイ時代に免疫チップを躰に埋めていて、ハイファは風邪を引かないというのを知っているからだ。  追いついてハイファがシドの横顔に笑いかける。 「あんまり怒らないでよね。躰に悪いよ?」 「ふん。躰にいいことなんか、ここ暫くあった例しがねぇんだがな」 「また別室任務のこと言ってるの?」 「文句くらい言わせろ。ったく、最近は本業やるヒマもねぇほど任務を寄越しやがって。おまけに完全無給の強制ボランティアだぞ?」 「貴方、惑星警察の方だってお給料要らないくらいお金持ちだから、いいじゃない」  こう見えてシドは結構な財産家なのだ。以前の別室任務で他星に行った際、偶然手に入れた宝クジ三枚が一等前後賞に大ストライク、億単位のクレジットを得てしまったのだ。その平刑事にとって夢のような巨額は殆ど手つかずのまま、テラ連邦直轄銀行で日々子供を生みながら眠っている。  それでも刑事を辞めないのはイヴェントストライカの天職だからという他ない。 「気持ちの問題だっつってんだ。タダ働きで命まで張らせやがって!」 「あーたは室長に愛されちゃってるからねえ」 「気味の悪いことを抜かすんじゃねぇよ」 「でも貴方はそのリモータを外さないんだね」 「それは……誓ったからな」 「一生、どんなものでも一緒に見ていく。そうだよね?」  真っ直ぐ前を向いたままシドは頷いた。そうして豪快な音を腹から発する。腹が立つと腹が減る体質なのだ。だが時間もとっくに十三時近い。 「はいはい、リンデンバウムでいいよね?」  そう言ってハイファはシドのペアリングが嵌った左手を取る。慌ててシドは振り解いた。 「署の奴らに見られたら……じゃなくて周囲警戒! お前も利き手は空けておけ」 「はあい」  少々しょぼくれたハイファが可哀相に思えたが、シドは危険を冒さない。官庁街を抜けて周囲はショッピング街になっていた。この辺りは平日でも人が多く、ひったくりや置き引きに痴漢などが出没しやすい地区である。異常を察知せんとシドの切れ長の目も鋭くなった。  ウィンドウショッピングにいそしむ人々がそぞろ歩き、保険屋のアンケートが声を掛けてくる。占い師の前で立ち止まるカップルに、街金のティッシュ配りがにこやかに微笑む。セールのチラシが風に舞い、子供の手放した赤い風船が飛んで行く。  そんな雑踏を二人はぐいぐい歩き、妙齢のご婦人方御用達・アパレル関係の店舗の間の小径を抜けて裏通りに出た。  するとそこはもう夜専門の歓楽街で、バーやスナックにクラブや合法ドラッグ店にゲーセンなどが軒を連ねている。だがこの時間は殆どの店がクローズしていて僅かに合法ドラッグ店やゲーセンに人の出入りがあるだけだ。  それでも薄くゲーセンから洩れてくるBGMが空気を揺らしているが、表通りに比べると我に返ったように静かである。  二人はそんな裏通りを三百メートルほど右に歩いてバー・リンデンバウムに辿り着いた。ここは二十四時間営業の店で夜はバーだが昼間は軽食も出す。安くて旨いランチ目当てにシドは単独時代から、今ではハイファと二人して常連になっているのだ。  店の前には小さなイーゼルが立っていて『本日のお勧め』が書かれていたが、目を留めることなく二人は合板のドアを開けて入店した。
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