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翌日の夕暮れ時、自宅へやってきた西田の姿を見て、言葉が何も出なかった。
「お前、どうしたんだよ」
西田と会うのは、大学の期末テスト以来だった。車椅子に乗った西田の姿が、今目の前にいた。
「いやさ、ちょっと怪我しちまって」
西田は苦笑いを浮かべて後頭部をさすった。
「怪我って、どんな怪我したら車椅子姿になるんだよ」
「原付で転んだんだって、まあ大丈夫」
西田はそう答えたが、車椅子姿ではあるものの、目立った外傷は見られない。
「まあ、大丈夫ならいいけど」
詳しく聞きたい気持ちもあったが、西田の気まづそうな表情を見て、これ以上詮索するのも気が引けた。慣れない手つきで彼を補助し、こたつ机に座らせた。
「その怪我なら、明日のパチンコはやめとくか?」
「ああ、すまんな」と言うものの、大のパチンコ好きの西田のどこか嬉しそうな表情に引っかかった。
「何でそんな嬉しそうなんだよ」
西田は、俺たちしかいない部屋を大袈裟にきょろきょろと見回した。耳と顔が丸く、短髪な西田のその姿は、やっぱ猿みたいだなと思わせる。
「実はさ、俺、空飛べるようになったんだよ」
「は?」
「空、飛べんだって」
俺は鼻で笑い飛ばした。
「事故って気でも狂ったか」
「マジだよ、マジ、大マジ」
そう言われて、俺は、かちっ、と、記憶のピースがはまる音がして、大きくため息を吐いた。
「やっぱりお前の仕業か、ふざけた段ボール送ってきたのは」
俺は西田を睨み、それから机に置きっぱなしにしていた段ボールを指差した。
「段ボール? 何のことだよ」
「しらばっくれんなよ、お前がリツイートしたつまんねえ4択のアンケートに合わせて、変な錠剤入った段ボール送ってきただろうが。たしか、そのアンケートの1つにあったよな、歩けなくなる代わりに空飛べる能力が得られるってやつ。俺を騙すために車椅子まで用意するかよ普通。ったく、誰と考えたドッキリだよ」
西田は不敵な笑みを浮かべていた。その西田らしからぬ表情に、不覚にもぞっとした。
「なんだ、お前にも届いてたのかよ」
「お前にもって、西田も届いてたのか?」
「まあ、見た方がはやいだろ」
西田は、目を瞑ると、両方の拳を握りしめて、太ももに置いた。すると、空気を入れられた風船のように、天井すれすれの高さまでふわりと宙に浮いた。
たった今目の前に起きた非現実的なその光景に、発する言葉が見つからず、ただ口と目を大きく開いて驚きを表現する他ない。
そんな俺のことは気にも止めず、まるでいつかテレビで見た宇宙飛行士よろしく、西田は宙に浮いたまま前周りを3回転ほどした。
「どうだ? すげーだろ」
西田は言ってくるが、返す言葉が見つからない。
「その薬、本物だぜ。俺も最初は半信半疑だったけどな、また留年が決まって自暴自棄になってた時にあの薬が届いたから勢いで飲んだわけよ。そしたらこの通り、本当に能力得たってわけ」
俺はズボンのポケットからスマホを取り出し、ツイッターを開いた。そして、過去のツイートを遡り、例の4択アンケートのツイートを表示する。
「西田は1番を選んだってことか」
「ああ、確かそうだったはず。てか、くだらないツイートとか言ってるくせに、ヒロも2番ってしっかり答えてんじゃん」
「うるせえな、テキトーにやっただけだっての」
「で、飲むの? 薬」
「いや、まだ信じたわけじゃねぇし」
宙に浮いたまま、俺の頭を撫でようとしてきた西田の手を払いのける。
「この俺を見てもまだドッキリって思うのか? なあ、俺たちもう今回で仲良く2回目の留年だ。同期のやつはもう社会に出てんだぜ? このままだど俺たちは社会のオワコンだ。なあ、この能力使って一緒に何かでかいことやろーぜ」
後先考えない単純馬鹿な西田らしい誘いだ。
「でも、この薬リスクがあるだろ」
「片目なんて、瞬間移動の能力手に入るなら安いもんだって。足を犠牲にした俺と比べれば安いもんだろ」
結局、その日は、薬を飲むことを決断することはできなかった。
しかし、西田からの魅力的な話に、いつの間にか黒の段ボールを手に取っていた。
西田が帰り、夜中の間ずっと、考えに考えた。
薄いカーテンの向こうから薄光が差し込んできた頃、俺はひびの目立つグラスに水道水を注ぎ、不気味なオレンジ色の錠剤を口に含め、ごくりと、一口で飲み込んだ。
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