第55話

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第55話

 翌日も二人は主にベッドで過ごし存分にお互いを甘えさせ合った。お蔭で京哉は一時的に立ち歩けもしなくなったが、そんな京哉の世話を焼く霧島は上機嫌だった。  その次の日、十二時にマートルホテルをチェックアウトして出た二人はタクシーに乗ってエーサ第一大学付属病院に向かった。  高い空が晴れ上がり、陽の光の粒が爽やかな風に混じっているような日だった。  エレベーターで十二階に上がりナースステーションに顔を出して挨拶すると黄色い声を背に一二〇三号室まで歩く。病室前にはまたパイプ椅子があり制服を着た地元の同輩が腰掛けていた。身分を明らかにすると互いにキッチリとした敬礼で労い合う。  病室に入るとまた沢井雅人は眠っていた。そこに看護師が入ってきて睡眠薬を投与しているので目覚めるのは十五時頃だと笑ってまた去った。 「どうします、何処かでヒマ潰しして出直しますか?」 「ん、ああ、そうだな」  などと一応返事はしたが霧島は窓際まで歩いて外を眺めたきり動かなくなってしまう。こうなると霧島がどれだけ忍耐強く待つか知っている京哉は、仕方なく室内隅からパイプ椅子を二脚持ってきて窓際に置いた。体調を鑑みて自分はさっさと座る。  十四時頃に看護師と医師がやってきて眠ったままの雅人を診察した。そして雅人が悪夢にうなされて夜、眠れないために精神安定剤と睡眠薬を投与していると聞く。  霧島はずっと立ったままだ。付き合って京哉も煙草を我慢である。  ようやく十五時前になり医師と看護師が再びやってきた。その喧噪で雅人はあっさりと目を覚ます。何度か瞬きして蛍光灯の明るさに慣れると怯えたように辺りを見回した。霧島と目が合うと安堵したように頬を緩めてみせる。 「撃たれちゃって、ご迷惑を掛けたみたいで、ごめんなさい」 「迷惑と思っていないから心配するな。調子はどうだ、あれからたった五日だが」 「もう元通り、驚異的な治りの早さだよ。若いといいねえ」  と、医者が言い、 「あんたに訊いていない」  と、霧島が英語で言って雅人も含めた全員が笑った。それから脇腹の傷を抜糸し、ステリテープ止めにして三日間は風呂には浸からずシャワーだけとの指示を受ける。精神安定剤と睡眠薬も処方されて本人が受け取った。あとは病院の患者服から普段着に着替えると雅人はホッとしたのか、撃たれる前よりも顔色がいいくらいだった。  親切にも弾痕を繕われクリーニングされていた紺のジャケットを看護師から着せて貰い少々照れて赤くなっている。もう退院だと聞いて更に顔を赤くし素直に喜んだ。  普通なら抜糸まで一週間は置くらしいが外国人で言葉の壁が本人のストレスにも繋がり、更には警察の張り番が他の患者の緊張を誘うということで半強制退院である。  だが余計なことは誰も言わない。看護師らに手を振られてもう部屋も明け渡しだった。廊下に出ると制服警官に対し雅人は聡くも丁寧に礼を述べた。 「では、行くか」 「はい。すみません」  一階で霧島が会計をしたが雅人の旅行保険で殆どがまかなわれて、支払ったのは僅かな額だった。それも雅人は払おうとしたが霧島が留める。 「大人に任せておけ。私たちは見た目より金持ちなんだぞ」 「はあ……ごめんなさい」  貧乏に見えてごめんなさいかという突っ込みは、霧島も少年相手にやらかさない。 「じゃあ退院を祝いしなくちゃなりませんね」 「そうだな。飯を食って腹に力を入れて、用を済ませて日本に帰るぞ」  病院から出てすぐの歩道沿いに小綺麗な洋食屋を見つけ迷わず霧島は入った。雅人と京哉も続く。三人でカウンター席に座ると目前には磨き上げられた鉄板があった。  メニュー表を眺めた霧島が豪快にステーキのコースを三人分頼む。白い衣服の大柄なシェフが笑顔で頷き、三人にミネラルウォーターの瓶を出してから調理を始めた。 「何だか色々と……ごめんなさい」 「謝らなくていい。主役は雅人、お前なんだぞ」 「はい……すみま……はい」 「お前の人生の主役はお前自身だ。どんな理由があろうと主役は友達でもお袋さんでもない。勿論、親父さんでもないんだ。ただ悪いことをした時のために謝り言葉はとっておけ」 「……謝っても謝りきれない悪いことをしたら、どうすればいいんですか?」 「私たちは警察官だ。雅人、お前がそんなに悪いことをした時は日本の何処にいようと必ず見つけ出して逮捕してやる。いいな、これは約束だ。だからもう謝るな」  傍で京哉は少年が俯き、ジーンズの膝に涙を零すのを黙って見ていた。 「……じゃ、じゃあ……僕を、逮捕、して下さい」 「必要ないだろう。ゲームみたいな夢でも見たんじゃないのか、お前は?」  だが雅人は駄々をこねるように頭を振る。他人に言ったって、にわかに信じて貰えそうにない経験だ。誰にも打ち明けられず、ただただ自分を責めて涙を流した。  実戦投入されるほどのレヴェルにまで上り詰めたのだ。その反射神経と動体視力は目と心に消せない傷を映像として刻み込んだに違いない。だからブラックジョークだと流し忘れることもできず、独りカランドまで確かめに来たのである。  まだこの少年は自分が父親を殺したと思っている。亡骸すら見ていない父親の末路を知っている。自分がトリガを引いて、人間だと分からないほど破壊したのだと分かっている。  何と残酷な巡り合わせを現実は突き付けるのか。  止めどなく涙を零して震える雅人の頭をふいに霧島が抱き締める。 「雅人、自分の親父の言葉だとでも思ってよく聞け。お前は泣いて謝るために生まれてきたんじゃない。私が許す。だからお前も自分を許してやれ」 「自分を……許す? どうやったら……?」 「どうもこうもない、お前は悪いことなどしていない。だから忘れることだ」 「……」 「お前は悪くないんだ。私が保障するから、まずは食え」  自分のジャケットに雅人の涙を擦りつけて荒っぽく拭くと霧島は黒髪の頭を突き放した。霧島の低い声に多少ビビったのか雅人は涙を止めようとしゃくりあげている。  やがて目の前で焼かれた肉や野菜が各自のプレートに盛りつけられた。香ばしいガーリックの香りが食欲をそそったが少年には酷なチョイスだろうと京哉は思った。  けれどドスの利いた声で再び「食え」と霧島に言われて、雅人はギョッとした風に薄い肩を揺らすなり出されていたスープと前菜を慌てて口に運び出す。大概のホシが落ちる脅しの方こそ少年には酷だった。  こっそり京哉が渡したハンカチで涙と鼻水を拭きつつ、 「わあ、美味しいですね」  とまで言わせた。お蔭で肉も綺麗に三等分して胃袋に収まった。  食後に霧島と京哉はコーヒーで緩み、雅人はソーダ水で糖分補給する。京哉が煙草を二本吸い、カップやグラスが空になると霧島がカードで精算した。 「ごちそうさまでした」 「ああ、旨かったな。では、行こう」  タクシーはすぐに見つかった。郊外のナルコム社までは三十分ほどだった。
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