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第4話
早春の冷たい夜気を吸いながら京哉は恒例の運転を賭けたジャンケンをしようとする。だが霧島は黙って運転席に滑り込んだ。
それを見て助手席に座った京哉は霧島がそこまで機嫌を損ねてしまったのかと不安になり、恐る恐る目で訊くと霧島は振り向きもせず言う。
「私が運転した方が早い。スーパーカガミヤにも寄りたいからな」
「はあ、そうですか。じゃあ、お願いします」
不機嫌そうでも低い声で返事があったので京哉は少し安堵してヒータを調節した。
ここは首都圏下でも特筆すべき大都市の白藤市で二人が暮らすマンションがあるのは隣のベッドタウンである真城市だ。
だがマンションの近所のスーパーカガミヤは二十二時閉店で、しかしまさかここから三時間もかからない。さすがは機捜隊長を張るだけあって確かに運転は霧島の方が上手いが、つまりはこれも霧島の遠回しな嫌味である。
発車した白いセダンの窓外を眺めながら京哉は外見こそこの上なく爽やかなのに、じつは冷めにくい土鍋性格の愛し人をどう懐柔しようかと考えに耽った。
年上として懐の深い、いいところばかり見せようとする一方で、この程度でご機嫌斜めになるのは結構素直になっている証拠でもあり、心を緩め甘えてくれているのだと思えば悪いことではない。
だけど今日は金曜で実質今晩から連休だしなあ、と京哉は密かに溜息だ。このまま霧島の不機嫌を放置すると躰でツケを払わされかねない。健康な成人男性として決して嬉しくない訳ではないが、限度というモノのラインが常人と桁違いなのだ、霧島忍という男は。
お蔭で京哉はこれまでもたびたび愉しい筈の休日をベッド上安静で潰してきた。
窓外は高低様々なビルの窓明かりも賑やかな中、ヘッドライトの帯が流れてゆく。ビルの谷間には高速道の高架も見えた。
けれどすぐに霧島は混み合う大通りから裏道に入り込み周囲は薄暗くなる。普通のドライバーなら通りたがらない一方通行路などを駆使し霧島は最短でバイパスにセダンを乗せた。
相変わらずの見事な運転に感心していると辺りからふいにビルが消えた。真城市に入ったのだ。ここからは郊外一軒型の店舗が過剰な明かりを灯すばかりとなる。
出発から約四十分で霧島はスーパーカガミヤの駐車場に白いセダンを乗り入れた。
二人して降りると入店し、京哉がカゴを載せたカートを押す係を務める。
「忍さん、今週の食事当番さんは今晩何を食べさせてくれるんですか?」
殊更明るく訊いてみると霧島は眉間にシワを寄せたまま応えた。
「うなぎのニンニク炒め、山芋とオクラを添えて、だ。汁物はそうだな、スッポン鍋はどうだ?」
「……すみません、僕が悪かったです。どうしたら許してくれますか?」
「いや、すまん、私も悪かった。今夜はビーフシチューとガーリックトーストだ」
「あ、それ、美味しそう!」
喜んで見せると霧島も京哉を見下ろして灰色の目を眇める。醸す雰囲気を途端に柔らかくしてペアリングを嵌めた手で警察官にしては長めの京哉の髪をクシャリと掴んだ。もう端正な顔の眉間にシワはない。京哉も愛しさが増して心が浮き立つ。
「最高に旨いのを食わせてやる。だから京哉……なあ、今晩いいだろう?」
低く甘い声でせがまれ色っぽい目を向けられて、京哉は目を逸らしつつも頷いた。
上等な肉を奮発して買い物を済ませエコバッグを下げて車に戻ると、月極駐車場までは五分ほどだ。そこからマンションまで歩く間に京哉はコンビニ・サンチェーンで煙草を仕入れる。
特別任務時はストレス性の喫煙症を発する霧島だが本来は大学時代に禁煙しているので、普段吸うのは京哉だけだ。
マンションのエントランスを開錠し五階建ての最上階にエレベーターで上がる。角部屋五〇一号室に辿り着くと南向きの室内は昼間の熱を溜め込んでやや暖かかった。
上がった所がもうダイニングキッチンで続き間のリビングがあり、廊下を挟んで寝室と玄関方向にバス・トイレが並んでいるシンプルな造りである。
色合いも床のオークと壁の白、調度のブラックとラグなどの差し色のブルーという四色で構成された、結構モダンでスタイリッシュな部屋だった。
だがソファセットやロウテーブルにTVボードなどの調度の殆どは部屋の備品で、それ以外の生活必需品も元々独りで住んでいた霧島が選ぶのを面倒臭がった挙げ句、同じ色の物ばかり買い揃えたというのが真相である。
まずは買い物袋をキッチンのテーブルに放置しておいて、二人は寝室でトレンチコートとスーツのジャケットを脱いだ。
ベルトの上に締めた帯革を外す。これには手錠ホルダーや特殊警棒にスペアマガジンなどがくっついていた。これだけの物をベルトに直接着けるとスラックスが下がってしまうので、防止策として私服警察官も殆どが帯革を巻いている。
セカンドバッグやウェストバッグに腰道具を入れて歩く私服もいるが、全国的にも店舗のトイレなどに拳銃入りバッグの置き忘れ事案が多々発生しているので、現在の機捜では霧島隊長の命令で拳銃だけは必ずショルダーホルスタにて携行するよう通達してあった。
ともかくあとはショルダーホルスタを解く。通常の機捜隊員が持ち歩くP230JPより随分重いP226を外すと、小柄な京哉は躰が浮き上がるような気さえした。
それらの装備を二人分並べてダブルベッドの傍にあるライティングチェストの引き出しにしまうと、ホッと溜息をついて二人はソフトキスを交わす。
「では手洗いとうがいをして、私は晩飯を作るからな」
「何か手伝えることがあったら言って下さい」
「煙草休憩をしてTVでも見ていろ」
交代で洗面所を使うと京哉は換気扇の下で煙草を二本吸い、脳ミソを固めたところでリビングのTVを点ける。ニュースに合わせ霧島にも聞こえるようボリュームを少し大きくした。全国的に平和な一日だったようで、見ものは天気予報くらいである。
「明日は珍しく五月並みに気温が上がるそうですよ、夜は冷え込むけれど」
「文明人たる者、室温くらいは快適に保つからどうでもいい」
「そんなこと言って、寝る前になって『エアコン忘れた』なあんて都合のいい嘘ついては僕を湯たんぽ代わりにするじゃないですか」
「私の上腕二頭筋を枕代わりに欲しがる奴が何を言う」
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