第5話

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第5話

 口先だけで京哉とじゃれ合いながら霧島は野菜を剥き、肉を切って炒めながらも、カットグラスに注いだウィスキーを飲んでいた。  どれだけ飲んでも殆ど酔わないのは知っているが、京哉はリビングのソファから伸び上がってその飲み方を目で咎める。 「分かったからそんな目で見るな」 「せめて何か食べてから飲んで下さい、躰に悪いですから」  冷蔵庫からチーズを出したのを見て京哉は安堵した。霧島はチーズを肴に飲みながらもビーフシチューを圧力鍋にセットし、同時進行でサラダを作りバゲットをスライスしていた。  一週間交代で食事当番を務めているが、霧島と出会ってから料理を教えて貰った京哉は、この手際の良さには敵わないなあと思う。  やがてガーリックのいい匂いが漂い出した。京哉も立ってキッチンに行く。器やカトラリーを出す頃にはビーフシチューもいい具合に煮えたらしく霧島が黒いエプロンを外した。  カットグラスに残ったウィスキーを口の中に放り込み、グラスを流しに置くと器にビーフシチューをたっぷりサーヴィスする。京哉も手伝いガーリックトーストを皿に載せた。  全ての準備が整うと行儀良く二人で手を合わせた。 「頂きまーす。ん、美味しい!」 「頂きます。我ながら今回は上手くできたが、京哉、もうちょっとゆっくり食え」 「だってお腹がペコペコだし、すごく美味しくて」 「大量に作ったからな。連休中、茶色くなるまで食って貰うぞ」  他愛ないことを喋りながらサラダやガーリックトーストまであっという間に食べてしまい、二人で食器を洗浄機に入れると霧島がインスタントコーヒーを淹れる。京哉は至福の煙草タイムだ。吸いながらコーヒーを飲みつつ灰色の目を見上げた。 「お風呂、忍さんが先でいいですよ」 「そうか。では先に頂こう」   バスルームへと消える霧島の逞しい背を見送って、京哉は寝室から二人分の下着とパジャマを持ち出し洗面所の洗濯乾燥機の上に置く。再びキッチンに戻ってニコチンの充填に励んだ。  まもなく霧島が出てきて交代である。洗面所の前で服を脱ぎ、スラックスとベルト以外のドレスシャツや下着類を洗濯乾燥機に放り込んだ。自分はバスルームで丸洗いだ。  シャワーを頭から浴び、シャンプーとボディソープで泡だらけにして薄いヒゲも剃る。一気に泡を流してバスタイムは終了する。  今は長湯しなくても後でまた霧島とシャワーを浴びるのだから、などと考えて少々頬を赤くしながらバスルームのドアを開けると、そこには見たことのない男が立っていた。それも二人だ。  咄嗟に声も出ず、丸腰も丸腰で京哉は思わずしゃがみ込んだ。  何ひとつ防げないのなら、せめて見られたくなかった……というのは、あとから思いついた言い訳だ。だが目が合っていたのはたった二秒ほどで、二人の男は唐突に消える。それこそ元々誰もいなかったかのように。  京哉は呆気にとられた。暫し何も考えることができなかった。  十秒ほども立ち尽くしたのちに自分の目を疑い、次に頭を疑う。  何らかの手段で侵入した暴力団かとも思った。県下の暴力団を幾つも壊滅させて恨みを買い、お蔭で常時拳銃を携帯していなければならないような身の上である。  一度などはこの部屋にRPG、つまり歩兵用対戦車ロケット砲でロケット弾をぶち込まれ何もかもが木っ端ミジンコと化したことさえあるのだ。    関係者がカネに糸目を付けず元通りに直してくれたが。  それはともかく何が起きてもおかしくはない。  だが果たしてそうか? ヤクザのお礼参りか?   ヤクザなり何なり不審者が不法侵入しただけならまだいい。いや、良くないがマシとしよう。けれど彼らは京哉の目前で空気に溶けたかの如く消えたのである。  まさかお礼参りに来た暴力団員がマジシャンでもあった、などというアクロバティックな話はあり得ないだろう。それに彼らからはカケラも殺気が感じられなかった。  いったいこれはどういう風に解釈したらいいのだろうか。やはり自分の頭か?  疑う前に不審者の存在を霧島に知らせなければと気が付いて我に返り、そそくさと下着とパジャマを身に着けた。パジャマは黒いシルクサテンで霧島とお揃いだ。そこで霧島に対してこの出来事を告げるか否か初めて迷う。  自分でも信じ難いのに霧島にまでオツムを疑われるのは嫌だった。  答えが出ないまま自分は酔っているんじゃないかと自問しつつ、ドライヤーでサツカンにしては長めの髪を乾かす。  大体、霧島に告げるにしても禁酒法時代のマフィアでもあるまいし、長身痩躯と短躯太めのコンビが二人共に黒髪で黒スーツに黒いナロータイを締め、更に黒いサングラスまで掛けていたというのは、かなり言いづらいものがあった。 「でも、もし泥棒なら被害を確認しなきゃならないよなあ」  そんな目立つ格好をした泥棒など聞いたこともないが、馬鹿げていると一蹴して、あとで被害に気付く方がマヌケである。  この辺りは真城署の管轄であり機捜に異動する前にいた京哉の古巣だ。自分は強行犯係だったが同じフロアの盗犯係の面子も知っている。  暗殺スナイパーだったという他人に言えない理由を抱えていたために、異動直前には彼らと京哉の関係は上手く行っていたとは言い難かった。  事実はバレなかったものの京哉が大騒ぎとなった案件の関係者だと噂が立ってしまったのだ。『知る必要のないこと』に周囲の皆が耳を塞ぎたがり京哉と距離を置いた。  そんな自分が窃盗に遭って笑われるのは構わない。今更である。けれどここで自分が下手を打ち、霧島警視までが馬鹿にされるのは我慢ならなかった。  やはりこれは霧島に告げるべき事案だ。だけど心配された挙げ句に病院送りも嬉しくないしなあ……などと考えれば考えるほど謎が深まったが、取り敢えずは室内点検だろうと思いながら部屋に出た。霧島はキッチンで二杯目のコーヒーを飲んでいた。    京哉を見ると飲んでいたマグカップを手渡してくれる。ほのかにウィスキーが香っていてホッとした。だが安堵とは裏腹に怪訝な思いは一向に晴れなかった。 「どうした、京哉。妙な顔をして何かあったのか?」 「んー、ええとですね、あったといえばあったんですが……」 「何があった、話せ。それとも私にも言いづらい事なのか?」 「いえ。隠すようなことでもないんで、じゃあ言いますけど……さっきバスルームの前で男性二名に裸を見られました」 「ん、ああ、そうか。そういう時は隠すべきだぞ。ではちょっと殴り殺してくる」 「待って下さい、もういないですってば! あのですね――」  話すだけ話したら本当に京哉は落ち着いた。何も解決はしていないが霧島が欠片も疑わずに信じてくれたのもポイントが高かった。  そこで二人は寝室からシグ・ザウエルP226を持ち出して室内中を点検したが何の異常も発見できなかった。  そうしてキッチンに戻ってくると、あっさり霧島は宣言する。 「よし。忘れることにしよう」 「はい、そうですね」  何度も現れては生活を覗き見するストーカーならいざ知らず、一度きりの訪問でこれ以上ガタガタ言っても始まらない。二人は頷き合い、またコーヒーを淹れた。  点けっ放しのTVはニュースが終わり、けたたましいコメディ映画を流している。タイムマシンをモチーフにした映画を京哉は何となく眺めた。その腕を霧島が掴む。 「京哉、約束だぞ。もう我慢ができん、抱かせてくれ」 「我慢なんかしないで……僕も忍さんに抱かれたい」  仲良く二人はペアリングを嵌めた左手同士を繋いで寝室に向かった。
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