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仁川に着き、招待状に書かれてある海岸町の洋館へと移動し、その場所に着くと中には大勢の日本人がしきりなしに押し詰めるようにいて賑わう声で溢れていた。給仕人に招待状を渡しテーブル席へ行くと、他の招待客から声をかけられて挨拶を交わしていった。しばらくすると登壇した主催者の者が出てきて皆が彼の方へと視線を向けていった。 「本日はお忙しいところ、この徳寿館へお集まりいただき、誠にありがとうございます。我々日本人がここに居留し多くの建築物を築き上げてきてから二十数年あまりとなりました。この大いなる途上にこの地の民も私たちと同じく喜んでいることと思われます。では、経営者の皆さまの発展と大韓帝国の繁栄を称してここに祝杯の意を捧げます。乾杯!」 あらかじめ手渡しされたグラスを持ち上げ交わしていき、食事も運び出されるとそれぞれの招待客が自身の経営する事業について会話をしていった。ジョンソクも彼らに合わせるように話をしていき、一旦席を外して洋館のバルコニーの近くに目を向けていると、窓ガラスに映るある人物の姿に目が留まり振り向いて見てみると、経営者の中に女性がいてジョンソクはしばらく彼女を見つめていた。するとその女性も彼に気づいて近づいてきた。 「こんばんは」 「こんばんは。あの、そちらさまはどちらの経営者さまで?」 「大田の醤油醸造所で家族と経営をしています、ソ・ジョンソクといいます」 「仁川ではないのですか?」 「仁川府に本工場を構えていますが、雇用規模を広めようと大田にも工場を増築したのです」 「そうでしたか。申し遅れました、私イ・ラヒと言います」 「ラヒさんは何か経営をされているのですか?」 「向こうにいる父が日本人学校の経営をしているんです」 「凄いですね。ということは令嬢というご立派な立場でいらっしゃるんですね?」 「令嬢だなんで大袈裟です。……ああ、お父様ちょっといいかしら?」 「ラヒ、こちらの方は?」 「仁川府と大田で醸造所を経営しているソ・ジョンソクさん。凄いわ、大韓帝国で工場経営を拡大していくことも考えていらっしゃるそうよ」 「そうか。私はイ・ミジョンといいます」 「ソ・ジョンソクと申します。お会いできて幸栄です」 「失礼ですが日本名は何というのですか?」 「阿久津隆司といいます。元々は横浜に工場を営んでいたのですが、両親がこちらでも事業を広めて日本の良さを知ってもらいたいと家族で渡ってきました」 「そうなんですね。私は坂木といいます。娘はサヨといいます。私の学校も生徒の数が増えてきまして、第二学校を増築しようと計画をしているんですよ」 「僕もできるなら朝鮮の民間人の雇用を増やして、今の場所以外にも事業を広げていきたいです。色々規制があるので大韓帝国へ申請をしたいところですがね」 「話が尽きないわね。ねえお父様、今度阿久津さんを家に招いたらどう?」 「そうだな。私も色々話したいことがある。どうだろう、都合はつきそうかい?」 「ええ。お時間ができれば。お邪魔しても本当によろしいのでしょうか?」 「君のような野心家は是非来てもらいたい。もっと良い話ができそうだ」 坂木親子はジョンソクに興味を抱いていた。彼もまた彼女の好奇心旺盛な姿勢に関心を抱き始めていき連絡先を交換して再び元の席へと戻っていった。 すると主催者から招待客らに社交ダンスを披露するように促してきて、給仕人らが隣のホールにある場所に案内されると、若い男女たちが次々とホールの中央へと集まり手を繋いで音楽に合わせながらダンスを交わしていった。 ラヒはジョンソクに声をかけて一緒に踊ろうといい、戸惑う彼に彼女が手を繋ぎ合わせると足踏みを揃えて踊り始めていった。時折ジョンソクが片脚が崩れるとラヒが微笑み、慌てなくてもいいと助言してお互いに見つめ合いながら踊りだしていく。 次第にステップも慣れていき二人の息があってきて、他の招待客とともに楽し気にホールの周りを取り囲んでいくとお互いに笑みがこぼれていった。 ジョンソクは活き活きとした瞳で見るラヒの表情に次第に惹かれていきその日にして彼女へと恋心を募らせていった。やがて音楽が止まり拍手が鳴ると、二人は手を取りあい会釈を交わしジョンソクはラヒに声をかけた。 「また一緒に踊って欲しい。この手を離したくないんだ」 「え……?そう、私もまたあなたと踊りたいわ」 「また会おう」 「はい」 彼は彼女が手を離すと不意に心悲しさに陥った。洋館での歓迎会が終わり大田へと戻る汽車の中で彼は今日の出来事を振り返っていた。ラヒの優しさあふれる穏やかな表情が焼き付いて脳裏から離れられなくなっていた。 その日からジョンソクは彼女への思いを持ち始めて自宅に着くと両親に歓迎会の話を伝えていき、部屋着に着替えて机に向かうと日記にラヒとの出会いを綴っていった。 数人の女性と見合いをしてきたが、ラヒのように明るく振舞う人とはなかなか会えずに気が遠のく思いでいたが、彼女と出会った瞬間からジョンソクは、いつか共に家族として迎えることをしたいと胸を膨らませていった。
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