第1話(プロローグ)

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第1話(プロローグ)

 スナック『アネモネ』のソファ席で水野(みずの)組の若頭(カシラ)である園田(そのだ)はカットグラスのウーロン茶を揺らしていた。体質的にアルコールを受けつけないのだ。  だが本人に下戸というのは禁句で、両側に侍らせたホステスたちも決して口にしない。封を切ったロイヤルハウスホールドの瓶を前にして、さりげなく茶のおかわりを注いでいた。  そんな園田だがカネに糸目をつけずバラ撒いていくこの上ない上客で、やってくる日は総出で迎え貸し切りとなる。ドレスの胸元にチップをねじ込まれたホステスたちは高級シャンパンに嬌声を上げ、カウンター内のママも満面の笑みを絶やさない。  水野組直参(じきさん)の園田は二次団体・東栄(とうえい)会の会長でもあり、固めるガードたちの目つきは鋭かったが、馴染みの店で殆ど貸し切りという状態に、やや肩の力が抜けていたのも確かだった。  上品なクラブではなく小ぢんまりとしたスナックを園田が好むのもガードにとっては有難く、雰囲気重視という建前の許、ホステス相手にビールや水割りで酔わない程度に喉を潤すこともできる。  園田一人にガードが四人。たった五人の客が一晩に八十万から百万ものカネを落としていくのだ。普段の日の十倍以上の稼ぎにホステスは取っ払いのチップ。誰もの笑いが止まらない。おまけに素面ながら園田は遊び上手でホステスにも人気があった。  そうしていつも二十二時過ぎから日付が変わるまで騒いで園田は帰って行く。週に一度はそのパターンで愉しんでいくためにアネモネは持っているようなものだった。  だがその代わりにママは園田の好みを知り抜いていて、ホステス選びにも妥協しない。厳しい条件で採用したのちは、化粧の仕方からつける香水に至るまで気を配っていた。それでも園田を飽きさせないためにホステスは全員期間雇用である。  今日も一時近くまで騒いだ園田が腰を上げると、気に入られたホステスがガードより先に立って園田の腕を取った。  帯封をしたピン札で飲み代を払い、雑居ビル二階にあるアネモネから店内の皆で賑やかに見送られたのちは、気に入られたホステスと園田の個人交渉に流れることが殆どだった。  そのために園田は女房(バシタ)のいる屋敷と愛人のマンション二部屋の他に、企業舎弟の経営するホテルのスイートを常時キープしている。五十代に手が届いたばかりの園田はアネモネのママの眼鏡に適ったホステスをただ帰すことなど、まずしなかった。  この日も女とホテルに宿泊した園田だったが、恒例のパターンを踏襲しただけなので隣室に詰めていたガードたちもまだ肩の力を抜き、交代で睡眠を取りながら賭けカードなどに興じていた。せいぜい動いても五万ほどの仲間内のお遊びである。  翌日は午前中から直参が集まる水野組の執行部会合があった。故に朝九時半にガードは園田にコールした。だが幾ら携帯を鳴らしても園田は出ない。  ここにきてガードにただならぬ緊張が走った。東栄会の若頭に連絡すると同時にホテルのマスターキィでスイートルームを開けた。  ベッドの真ん中で園田は血塗れになって死んでいた。眉間と胸腺と腹を撃たれて。  真っ直ぐ一直線に並んだ弾痕三つが何かの冗談のようだった。  女は勿論消えていた。
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