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第2話
日が落ちて頭上の電飾がけたたましく自己主張し始めた頃、ふいに相棒の紫堂が持ち場を離れようとした。秋人が目で咎めると黙って紫堂は握り潰した煙草のパッケージを突き出して見せる。
秋人はポケットから自分の煙草を出して振った。
「一箱、分けるか?」
「きつすぎるから要らない」
「だろうな」
先月よそのパチンコ店の景品交換所で強盗をやったホシが店内にいるというタレコミがあって強行犯一係に招集が掛かり、被疑者を確認したのち出入り口を総出で見張ってもう三時間半に及んでいる。
景品交換所の人間はホシに銃を突きつけられてカネを渡した。一発も発射していないため偽物の可能性もあったが万が一、本物なら店内では危ない。
この辺りは幹線道路沿いで煙草の自販機はパチンコ店内にしかなく、紫堂が無造作に自動ドアから入っていくのを秋人は見送る。
夕月秋人と雪村紫堂は首都圏の県下で篠宮署刑事課に所属する刑事だ。二人ともに二十五歳で階級は巡査部長。
そして刑事は基本的にバディシステムといい二人一組で動いている。約二年前に秋人が篠宮署の刑事課強行犯一係に配属されて以来の相棒だった。
ガードレールに腰を預けた秋人は吸い殻パックを片手に煙草を吸う。パチンコ店の出口は三ヶ所。各所に二名ずつ、カネをすってしまったふりをして張り込んでいた。勿論パチンコ店内でも二名の人員がホシに張り付いている。
たった二分ほどで紫堂が出てきた。
ジーンズと綿のシャツに薄手のセーターという姿は涼しげだが、顔つきが硬い。足早に戻ってくると似たような格好の秋人の肩を小突く。
「中で捜一と組対がスロット回してた」
「ああ? 何で本部が出張ってくるんだよ?」
県警本部の捜査一課は自分たち所轄署の刑事課強行犯係と同じ、殺しやタタキに放火などの凶悪犯罪捜査専門セクションだ。組対は正式名称を組織犯罪対策本部といい全国的に高まった暴力団根絶の風潮を受けて県警捜査四課を基に大々的に編成し直された、いわゆるマル暴である。
それはともかく銃が絡んでいる以上ホシがヤクザと関わっているのは常套だが、ここで三週間追い続けたホシをかっ攫われては所轄の立つ瀬がない。
嫌な予感を抱いたまま他の出入り口を張っている係長に携帯で指示を仰いだ。県警の存在を知らせると、係長は暫し黙ったのちに「待て」とだけ言って通話を切った。
だが数分と経たず耳に仕込んだ受令機に【署に撤収】命令が飛び込んでくる。
だからといってここまで追い詰めたホシを諦めきれるものではない。尤も県警の獲物が自分たちと同じとは限らないのだ。
こちらが確保してからなら、好き勝手やって貰って構わなかった。受令機を無視して係長に再度携帯で指示を乞う。
だが繰り返される撤収命令だけでなく、署の『上』から更なるお達しでもあったのか、係長の返事は渋かった。
《立ち回り先のパチ屋も三軒突き止めた。今日のところは県警に譲る。撤収だ》
「捜一が騒げばマル被は三軒とも切る、それくらい分からんでもないでしょう!」
《所轄が喚いても捜一や組対の鉄面皮に敵う訳がないだろうが!》
「何の案件か、あとで聞かせて貰いますからね。くそう!」
係長の返答を聞かずとも察した紫堂がニヤニヤ笑いつつ、毒づく秋人を促した。面白がっているのではなく、こいつがニヤニヤしているのは相当頭にきているときだ。
結局外で張り込んでいた六名は静かに景品交換所の裏に集まり覆面仕様のワンボックスに乗り込んだ。店内の張り込み人員を残したのは係長のなけなしの意地だろう。
一番ペーペーの松尾巡査がステアリングを握って発車させた。昨今は警察車両内も服務規程で禁煙である。だがあからさまにムッとした者も表面上は笑っている者も、同じくやり場のない怒りのオーラを振り撒いて、クリーンな筈の車内の空気は非常に悪かった。
広大な駐車場をゆっくりと迂回する間に係長の沢木警部補が唸る。
「こっちはタタキだと言ったら、本部の奴らは鼻で嗤いやがった」
「へえ、殺しのホシでも挙げるつもりなんスかね?」
暢気に応えた松尾に遠山巡査が「ふん」と鼻を鳴らした。
「とにかく俺たちの三週間は綺麗に消えたってことか。あとは女のヤサだな」
「でも単独でタタキをやらかして、三週間も行方を眩ませた香田の野郎ですよ?」
「しつもーん。箱崎巡査殿は何が言いたいんですかね?」
「香田が今頃足のつくブツを転がしてるとは思えないってことでーす」
そこまで黙って聞いていた沢木係長がキレかけた声を発する。
「なら貴様ら二人は明日から出張だ。東京湾に沈んだチャカ一丁、都合つけてこい」
「ちょ、まだ梅雨前、海開きはずっと先ですよ?」
「そうそう。それに俺、海パン持ってなくて……」
「小学生の遠足か! ふざけるのもいい加減にしろよ、遠山、箱崎!」
悔し紛れに馬鹿な応酬をする男たちを乗せ、ガンメタリックのワンボックスは駐車場の真ん中にある街金のATMの傍を通り過ぎようとした。そのときだった。
眩い閃光が秋人の目を灼き、勢いワンボックスが横転した。一度ならず天地が逆転して上下感覚が激しく狂い、秋人は目を瞬かせる。一瞬意識をとばしたらしい。
全ての窓にヒビが入り一部は割れていた。割れ目から外を見る。ATMが吹き飛んで万札が紙吹雪のように風に舞っていた。瞬時に秋人はカネ目当ての犯行ではないと思う。
だが何にしろ荒っぽすぎる犯行だった。
しかし外に出て犯行の痕跡を探したかったが叶わない。前席とドアの間に左腕を挟まれ身を浮かすこともできなかったからだ。
三列シートの最後部に座っていたが、前席の遠山を小突こうと腕を伸ばしていたのが拙かった。押そうが引こうがどうにも動けない。ここは救援を呼ぶしかなさそうだ。
そこで携帯を出そうとしたがコットンパンツの左ポケットに入れていたので酷く出しづらい。車載無線は届かなかった。諦めて他のメンバーに期待し車内を見回す。
夜ではあったがパチンコ店の電飾と間近な外灯で、互いの顔を判別できる程度には明るかった。全員が気を失っているようだが見た目には出血もなさそうである。首の骨でも折れていれば別だが、これでも皆がサツカンでミテクレよりは鍛えてあった。
ワンボックスは幾度か横転した挙げ句、今はタイヤが下になっている。だが縁石か何かに乗り上げて左に傾いていた。お蔭で右隣の紫堂が秋人に凭れる形で寄り掛かっている。
そこでふいに恐怖に駆られた。紫堂の呼吸が浅く不規則だったからだ。
「紫堂! おい……紫堂!」
右手で紫堂の胸ぐらを掴むや、自分より数センチ小柄で痩せた躰を揺さぶった。思い切り揺さぶること三度目で紫堂は大量の血を吐きセーターを汚す。焦る思いを押さえつけて秋人は右腕で紫堂をそっと抱き込み、もう一度自分に凭れさせた。
秋人が腕を挟まれただけで済み殆ど気を失わなかったのは、大して頭を打たなかったからである。爆発の瞬間に紫堂が秋人に覆い被さりシートに押しつけたのだった。
まもなく駐車場に駐められた車両やパチンコ店内から本部の人員や強行犯一係の仲間が駆けつけてくる。数分後には初動捜査専門の機動捜査隊が現着、次には救急車もやってきて緊急音の不協和音で耳がおかしくなりそうだった。
既に駐車場には野次馬が輪を形成していた。更にATM管理会社である街金の社員や、警報でやってきた警備会社の人員などで周囲はお祭り騒ぎになる。ワンボックスに閉じ込められた形の秋人たちは見せ物状態だ。
まともに見られる昼間ではなかったことと、爆風で飛散した万札が五割方の目を惹いていたのがせめてもの救いだった。
やがてアクション映画の大道具のように歪んで凹んだワンボックスのドアが一枚こじ開けられた。一番重傷と思われる紫堂が車外に出されてストレッチャに固定され、救急車に乗せられる。遠目に救急隊員が処置を開始するのを見て秋人はホッとした。
あとのメンバーは打撲程度らしく、すぐに目覚めて歪んだドアから自力で降りたが、軽傷であっても報告書に医師の所見が必要なので、これも救急車である。
秋人は油圧スプレッダーでドアと前席を破壊され最後に救出され救急車に乗った。
すぐさま篠宮総合病院に向かい、全員が検査と治療を受けた。
結果として秋人と紫堂のバディ以外のメンバーは本当に打撲だけだった。それでも湿布だらけとなって、見た目はかなり痛々しい。秋人は左手首にヒビが入ってギプスで固められ、紫堂は肋骨が右肺に刺さるという重傷だった。
紫堂だけは入院となり、満身創痍の五人は篠宮署二階の刑事部屋に戻る。
するとデカ部屋の応接セットでは篠宮署刑事課長の皆川警部とオーダーメイドスーツを着た男二名の計三名が向かい合っていた。三人合わせても百二十歳を越えるかどうかの若さである。
丁度目が合ったからか、係長と秋人が皆川課長のハンドサインで呼ばれた。
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