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「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま、ありがとう」
丁寧に手を合わせるのは食材に対してもだし、目の前のシェフ様に対してでもある。お皿を重ねながら、目の前の大好きな人に今日も。
「さっすが朔夜くん、美味しかったです」
「満足ですか?」
「余は満足じゃ」
「それはよろしゅうございました」
今日のリクエストはシチューだった。初めて朔夜くんに作ってもらった料理がそうだったから。
シチューがいい!と言い張ったその瞬間は不思議そうな顔をしていた朔夜くんも、少しして気が付いたのだろう、ふんわりとそれこそ花が開くように笑っていた。かわいすぎてよしよししたら仕返しされてしまったのだけれど。
少し早く帰ってきても、朔夜くんが出勤するまではあと一時間もない。少し失敗するとエントランスホールですれ違うこともしばしば。明日はきっと会えずに一日を終えてしまうのだ。あぁ、やっぱり本社の人間は恨むべきだ。
我が家から駅に向かう途中のビルの4階、大通りに面した大きな窓があるその一角でバーテンダーをしている朔夜くんは、これからがお仕事の時間だ。少し寂しいのはお互い様で、だからこそこうして二人が揃って家にいるわずかな時間を二人で大切にするしかなくて。
「はー、朔夜くんのバーテンいつ見てもかっこいい…」
「陽ちゃんのユニフォームもかっこいいよ?」
「そうじゃなくてぇぇ」
「うん、ありがとう」
着替えているその時間すらももったいなくて、早々に洗い物を終えた私は、鏡に向かう朔夜くんの背中を眺める。飛びつきたい気持ちをぎゅっとこらえて、ソファの背もたれを力の限りつかむ。結び終わったのだろう、鏡の中を見つめていたその目が鏡の中からこちらを向いて、目が合った。目元がほころぶその瞬間を見ることができるのは私だけだと思うと、もうそれだけでいいとさえ思ってしまう。
「陽ちゃん」
「うん?」
「次のお休み、火曜日であってる?」
「そうだけど」
「そうしたら、その日、デートしよっか」
「えっ?!ほんと?!」
「もちろん」
「でも朔夜くん、お店は?」
「今月休み取ってなかったな、と思ってたんだよね。だから、せっかくなら2連休にしてぶつけちゃおうかと」
陽ちゃんともゆっくりしたいし、と笑う朔夜くんに胸がぎゅんと疼いた。絶対死期が早まった。声がうまく出ずにこくこくと首振りマシンと化していると、それを見た朔夜くんがまた笑った。
もう、仕事の疲れもこれだけで報われてしまう。
朔夜くんはお店に出る時、軽くメイクをする。だからその背中に飛びついたら怒られるってわかっているのに、これは朔夜くんが悪いと思うのだ。
私よりも広い背中、上品に香る男物の甘やかな香水、耳をすませば聴こえるとくとくと緩やかに鳴る心音。その体温に溶けてしまいたいとさえ思う。
もー、と怒ったように言う朔夜くんの声には笑いがにじんでいて、見えていないけれどきっと目じりを垂らして苦笑いを浮かべているのだろう。ほどかれないのをいいことにすん、と匂いをかぐ。
「陽ちゃん」
「うん?」
「さみしくない?」
「朔夜くんこそ、さみしくない?」
「僕は全然」
「そっかー、私はさみしい」
「だって、僕は好きなことを一生懸命頑張ってる陽ちゃんが好きだから」
「私だってさみしいけど、楽しそうにお仕事してる朔夜くんのこと大好きだから」
「だから、すてきな陽ちゃんを見ていられる特等席にいるから、さみしいけどさみしくない」
「、へへ、そっかー」
ぐりぐりと額をこすりつけた。本当に朔夜くんに溶けてしまおうかと思う頃、準備が終わった朔夜くんがもぞりと身動ぎをした。おしまい、と、やんわりと腕を解かれる。離れていく体温が少し、うそ、すんごく寂しい。
「そんなにさみしそうな顔しないで」
「うーん無理かな」
「また明日の朝」
「うん、朝ごはんリクエストは?」
「仕入れついでにベーコン買ったから、カリカリにしてくれるととても喜ぶと思います」
「おっけー任せろ」
玄関までついていくと散らかしたままのパンプスが忘れ去られていた。う、朔夜くんそんな目で見ないで。靴を履く朔夜くんの隣でそっと私の戦闘装備を揃える。いつもはこうじゃないのだ、ごめんよ。
すく、と隣で朔夜くんが立ち上がった。一段下がった朔夜くんと私は、それでも朔夜くんのほうが少し目線が高い。
「それじゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい!」
ぱたん、と閉まったドアに背を向けて、伸びをしながらリビングへ戻る。さあ、次に朔夜くんに会えるまで、次のいただきますまで、どう過ごそうか。
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