おくすり

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高木は国際的製薬メーカーの日本代表である。 最近民間の研究者と一部の医師の間でじわじわと広がってきている自然療法に危機感を感じていた。 ここで言う自然療法とは例えば、風邪を引いた時、咳止めを飲んだり解熱剤を飲んだりせず、自分の免疫に頼り、発熱させ咳も出させて数日間休む事を勧めるものである。 それは、薬を服用して風邪の諸症状を押さえる事はかえって人の免疫力を低下させ風邪を長引かせるという考え方に基づいていた。 発熱は白血球がウイルスと戦いやすいように体温を上げる体の仕組みであり、咳はウイルスを体外に排出する仕組みである。 本来人間の免疫システムはよくできていて、体にウイルスなどが侵入しても、殆どの場合症状が出る前に白血球が退治してしまう。 侵入してきたウイルスが大量で、その処理が間に合わない場合は症状が出るが、それも体温を上げてウイルスや菌を死滅させながら白血球が戦い続けてくれるので、時間が経てば自然に治癒する。 更に、人間の免疫システムには記憶細胞と言われるメモリーB細胞があり、これが侵入してきたウイルスなどの外敵の情報を記憶する。 だから、二回目にこの外敵が侵入した時に迅速に対応できる。 予防接種はこれを利用したものである。 インフルエンザなどが本格的に流行する前に不活性化されたウイルスを体に入れ免役システムを構築しておくというのが予防接種の目的だ。 多くの病気を「治す」のは薬ではなく人間の免疫である。 ペストや天然痘など人間の免疫力だけでは太刀打ちのできないものもいくつかあったが、それらは殆ど地球上から一掃されている。 薬というのは、単に、今現在出ている症状を鎮める為のものであり、それはむしろ人間本来の免疫力を低下させるものであるという事実が徐々に人々の間に知れ渡ってきている。 この認識の広まりは、高木の会社にとっては致命的なものである。 その危機感は英国本社を始め各国でも共有されていた。 今や、風邪など軽い病気は人間の自己免疫力を使って治そうという風潮が一般的となりつつあり、免疫力を上げる食材や運動が注目を浴びてきている現状に、英国本社はついに大規模な販売プロモーションの実行を決断した。 これは、世界規模で行われ、今、蔓延している薬に対する考え方そのものも変えてしまおうというものであった。 しかし薬の販売プロモーションとは如何なるものか。 それは、過去に流行したペストや天然痘に匹敵する新種のウイルスを流行させ、同時にそのワクチンを販売するのである。 この、神も恐れぬ悪魔の計画を決断するのに、英国本社の迷いはなかった。 そう、それはこれまでも数十年に一度行われてきた製薬会社の伝統的販売プロモーションであった。 人間は小さな嘘は見破れるが大きな嘘は見破れない。 ただ、今回は世界中の人々の薬に対する認識までも変える事を目的とする為、通常のプロモーションよりも大規模に、世界中で行われる事となった。
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