4人が本棚に入れています
本棚に追加
桂里奈が風邪を引いた。お見舞いにチョコを買って行くと、桂里奈の母親に歓迎された。クラスでももっぱら俺たちは付き合ってるという噂なのだ。よくデートしてるし、しょっちゅう二人でいる。桂里奈も気を利かして、付き合っていると言うことにしといてくれてる。ホモセクシャルだと隠す俺に気を遣ってくれたのだ。
「ここが桂里奈の部屋ですよ」
思えば彼女のうちを訪れるのはこれが初めてかもしれない。扉の外から声をかける。
「桂里奈?いる?俺だけど」
中からくぐもった桂里奈の声が聞こえる。俺は「チョコ買ってきたんだけど中に入っていい?」と聞くと「だめ」と帰ってきた。
「祥太なに考えてんの。わたし頭ボサボサでノーメイクなんだよ。」
「…ごめん。扉の外にチョコ置いておくね。」
そうしてそっと離れて、お母さんのところに経緯を話してお暇した。
もう冬だった。外は刺すような冷たさだ。桂里奈が風邪を引くのも無理はない。俺はポッケに手を突っ込むと、秀明さんの自宅に向かった。
「おー、よく来たな。まぁ入れ。」
「秀明さん」
「ん?」
俺は玄関で靴も脱がずに秀明さんを見下ろした。
「秀明さん俺のこと好き?」
秀明さんの髪を耳にかけながら聞いてみると、秀明さんは笑った。
「ばか。好きじゃなかったら抱かないだろう」
「それはつまり、愛してるっていうこと?」
「…」
ああ、やっぱり黙られた。予想していた通りだ。
「秀明さんは俺のこと愛してない?」
秀明さんは俺を見上げながら、「…背、でっかくなったな。」
そうして、背伸びして口付ける。今度は俺が黙る番だった。
「そういうのでごまかさないで。」
「なにをだ。」
「なんで俺のこと弄ぶの。」
また黙る。
「俺もう子供じゃないからそれくらい分かるよ。」
秀明さんは気の抜けたように「そうか。」と言った。
「じゃあね、ばいばい」
「ああ。」
そうして俺と秀明さんは別れた。あまりにあっけない最後だった。忘れられるかと言われれば、それはもう絶対忘れられない。何日も何日も悩んで出した、答えだった。
俺のそばにはいつも桂里奈がいた。心の底から好いてくれた。俺が女は抱けないことを分かった上で、それでも俺を選んだ女。強いな、と思った。結局桂里奈の独り勝ちだ。
家に帰ってからスマホに電話が掛かってきた。
「なによ、このチョコに付いてる手紙」
「俺からの恋文」
「こんなふざけた告白の仕方しないでよ。高山さんはどうしたのよ。」
「別れた」
「は!?」
桂里奈は本当に俺を怒ってくれた。そうしてそれで付き合ってほしいなんて、馬鹿にしてるのかと問いただした。俺は笑ってしまった。桂里奈はぶれないな。涙が一つコロンと転がり落ちる。
「俺結構本気だったんだけどなぁ」
桂里奈が黙る。
「なんでだろうなぁ。」
そうしてから桂里奈は、知らんがなと言って電話を切った。
高山さんからの電話はそれ以来鳴らない。一生鳴らないのだろう。よくない、と思いつつスマホの電話帳に残してある。お正月に桂里奈から明けましておめでとうございます、と年賀状が届いて俺は慌てて返事を書いた。どうして俺は遊ばれたんだろう、と思うときもあるし、やっぱりガキなんて本気にしないよな、とも思う。ただあの日、高山さん…秀明さんが何度も夢中で俺の唇をむさぼりながら、服を脱がせ、肌に手を這わせた瞬間、やっと触れられたみたいに思い詰めた息を吐いていたのは、性欲のせいだけではないのを俺はよく知っている。恋を楽しんでたのだ、彼は。そうして俺を思って事務机で自慰をする日も、俺に会いたいと思う日も確かにあったのだと思う。秀明さんは嘘だけは付かなかった。最後まで。彼も寂しい大人の事情を抱えた男性だったのだ。褥で抱くとき、耳元で何度も「俺のこと愛してる?」と聞く癖も、時々俺を見上げる不安そうな瞳も全部本当だったのだ。
でもそれはもう思い出の中にとっておく。演技かもしれないし手口かもしれない。はたまたそういう演出だったのかも。桂里奈がいなかったら永遠に騙されていたままだったろう。本当の好きがここにある。桂里奈が俺の人生の指標になったのだ。俺は大分ほったらかしだった勉強を何とかしようと、机に向かった。大学には行かず働く気だったが、勉強はきっちりやっておこう、と改めて思ったのだ。これも桂里奈の影響かもしれない。
俺はいつまでも、思い出を舐めたままの子供ではいられない。
最初のコメントを投稿しよう!