風の伝言①

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風の伝言①

 カロンという少女は、公爵領の東、黒々とした深い森の中にある墓所で暮らしている。墓所とはいっても名ばかりで、神話時代の史跡じみた石碑と墓守小屋のほか何もない。森を抜ければ草原と丘が重なり、街へ出るにはずっと西へ歩き続けなければならない。  そういう場所で、川で水を汲み、石碑を磨き、薬草や野草を集めて生活している。  数年前までは師匠と二人暮らしだったが、彼女が「カロン」の名を継いだあとすぐに失踪してしまった。以来、話し相手は大きな黒犬だけだ。ときどき石碑の下で丸くなって眠っている。 「お前は自由だね」  そういって撫でてやると、犬ははたはたとしっぽを振りながら抗議するように低くうなる。カロンは気にせず黒犬のなめらかな毛並みを楽しむ。    別に、墓守という役目に強く縛り付けられている訳ではない。勝手にいなくなった師匠への当てこすりみたいなものだ。 (これだけ霧が濃いのは久しぶりかも)  森を抜けて水汲みに向かっていたカロンは、ふと遠くの方に人の気配を感じて足を止めた。水桶の取っ手がきしんで鳴る。  じっと耳をすませば、たしかにすすり泣く声が聞こえた。子どもだ。初めての状況にカロンは少しためらったが、結局は泣き声の方へ歩みを進めた。  恐る恐る、霧の向こうに探りをいれる。人の声真似をする魔物もいると師が言っていた。カロンに対し無茶は言っても嘘はつかないというのが師への評価である。  しかして、声の主は子どもだった。人間だ。草っぱらで途方に暮れて泣いている。背丈からして十になるかならないかといったところだろうか。 「あの……どうしたの?」 「わ、分かんない。お散歩してただけなのに…」  それは怖かろう、とカロンはしゃがみこんで視線を合わせた。  この霧だ、迷ってしまったのだろう。まろい頬が濡れている。ハンケチなんてものは持っていない。おろおろしたあげくに、カロンは袖口のなるべくきれいなところでやさしく涙を拭った。  大人――というには若すぎるカロンだったが、それでも子どもはいくらか落ち着いたらしい。 「帰り道、分かる?」  カロンは自らのバカさ加減に思わず苦笑した。分かるならこんなところで泣いていない。案の定、子どもは首を横に振った。 「どこから来たかは、わかる?」 「うん、街。えっと、ラヴェン、クロス市――」 「ラヴェンクロス!?」  公爵領の中心地だ。そんなところから、なぜ? 子どもが徒歩で来るような距離ではない。この子が魔術か何かで移動してきたともカロンには思えなかった。  とにかく、いつまでもここでしゃがみこんでいるわけにはいかない。 「街の近くに行けばおうちの場所、分かる?」  子どもは頷いた。ニナ。それが彼女の名前らしい。 「じゃあ、準備しないとなぁ。お腹減ってない? ここまで来るのにずいぶんかかったでしょう」  ニナはキョトンとした。 「さっき来たの」 「でも、長いこと歩いてきたんでしょう?」 「ううん、さっき家を出たばっかりよ」  今度はカロンがキョトンとする番だった。  街――ラヴェンクロスから現在地までは、大人の足で半日はかかる。だから街の名を聞いてカロンは驚いたのだ。 「――街まで行こう。訳がわからないけど、急がないと夜になっちゃう」  ニナは物分りよく頷いた。
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