1. ヒロインになれなかった

3/6
4156人が本棚に入れています
本棚に追加
/190ページ
「――(あおい)様、お待ちしておりました」 「頼んでおいた件はどうなった?」 「すべて整っております。お花はこちらでお預かりいたします」 どうやらホテルの従業員らしく、穏やかな笑みを浮かべて花束を受け取り、近くに控えていたもうひとりの男性従業員に手渡す。 「お召し物はご連絡をいただきましたら取りに伺いますので、どうぞごゆっくりなさってください」 そう言って、軽く頭を下げた男性従業員に彼が礼を告げ、フロントを通り過ぎて最奥のエレベーターホールへ私の手を引き、再び歩き出した。 目の前で起こった出来事が理解できず、混乱する。 都内の一流高級ホテルに手続きなしで通されるって……この人はよほど地位が高いか相当なお金持ち……もしくは有名人? 「あの、あなたは……」 誰、と前を歩く背中に尋ねかけた瞬間、答えが返ってきた。 「葵だ」 「え?」 「俺の名前。聞きたかったんだろ?」 端的に告げられて、返答に窮する。 「お前は?」 前を向いたまま尋ねられ一瞬躊躇し、下の名前だけを告げた。 「逢花(おうか)、です」 「漢字は?」 「逢瀬の逢に、花束の花です」 「へえ……ぴったりの名前だな」 意味がよくわからず、反応に困る。 「“花”のおかげで俺たちは“逢”えた」 さらりと言われた言葉に息を呑むと、振り向いた彼が頬を緩めた。 まるで今夜の出来事を喜ぶような物言いに心が揺さぶられる。 一気に熱を持った頬に気を取られ、彼の名前にはなんの疑いももたなかった。 それよりも二十分ほど前に出会ったばかりの相手の車でホテルに来るという突拍子のない行動が信じられずにいる。
/190ページ

最初のコメントを投稿しよう!