1. ヒロインになれなかった

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……冷静になりなさい。このまま、ついて行く気? 決心が揺らぎ歩みが遅くなった私に気づいたのか、やってきたエレベーターに強引に押し込まれる。 「願いを叶えると言っただろ?」 ふたりきりの籠の中で、私を壊れ物のように優しく抱き込む。 鼻孔をくすぐるシトラスの香りが心地よくて、ふいに泣きたくなった。 「俺にはお前が必要だし、こんな状態では帰せない。このまま甘やかされていろ」 傲慢な甘い命令に、鼓動がどんどん速くなっていく。 車中で話した、私の情けない失恋を気にかけてくれているのだとわかった。 授かり婚と寿退職を満面の笑みで告げる後輩の姿が、ギュッと閉じた瞼の裏に浮かぶ。 「なぜ優しくするの? 泥水がかかったのは事故だし、私たちは見知らぬ者同士でしょう?」 「運転していたのは俺だ。逢花は転んで、ブーケがつぶれた」 淡々と状況説明をしながら、片手を耳の後ろに差し込んでくる。 ゆっくりと髪を梳かれたうえ、名前を呼ばれ背筋に甘いしびれがはしった。 「か、代わりに大きな花束をいただいたわ」 「俺は今夜、ひとりでいたくなかった。最悪な気分のふたりが出会うなんて縁があると思わないか? 俺は逢花がほしい」 真っすぐな物言いにコトンと心が動き、なけなしの理性がどんどん叩き壊されていく。 私とは違う世界に生きているこの人と、今後会う可能性は低い。 こんなに完璧な男性に、ひと時とはいえ求められるなんて、代り映えしない毎日を繰り返す私には二度と起こらない魔法だ。 ……せめて今夜くらいは、魔法にかかりたい。
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