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ガラんとした放課後の教室で僕は一人小説を書いていた。クラスの他の連中はすでに部活をやっていた奴らは引退し今は受験勉強の真っ最中だ。元々部活なんかやっていなかった奴もまたそうだ。受験を諦め公立を選ぶような連中は今頃どっかに遊びに行っているだろう。
僕はそんな連中に比べたらずっと楽な方だった。高校は推薦で決まったから卒業までの時間をただのんびりと過ごせばいい。それに僕には小説がある。思えば高校の推薦が決まったのもコイツのおかげだった。高校の面接官は僕が現役中学生の小説家だって事を知った途端食いついてきた。その結果見事推薦で合格出来た。
「おおっ、まだ残っていたのか」と担任が入るなり言った。僕はすみませんと言い、小説を書いていたスマホを閉じようとしたが、担任は慌ててもう少し残ってくれていいと止めにきた。七時までなら大丈夫だそうだが、帰る時は職員室に寄ってくれと言ってきた。僕は小説家になる前と今とで担任の態度がまるで違うのに苦笑した。全く人間なんて碌なもんじゃない。
担任が教室から出ていき、僕は再び小説を書き始めたが、それからしばらく経った時、一人の女の子が戸を開けて入ってきた。クラスのブスな女だ。
「あっ、あのまだ学校に残ってたんですね。私一旦家に帰ったんですけど、学校に忘れ物しちゃって取りに来たんですよ」
ブスはそう言うと自分の席の引き出しを開けて中から紙の束を取り出した。彼女は紙束を見て時々首を捻ったりしていた。僕はその光景をしばらく眺めていたが不意にブスが僕を見て声をかけてきた。
「あの、もしかして小説書いてるんですか?すごいなぁ〜、初めて見た。今までスマホで小説書いてたんですね」
「ああ、そうだけど今当たり前じゃない?今どきわざわざ原稿用紙に手書きで書く方がよっぽどおかしいでしょ?」
僕がそう言った瞬間ブスは慌てて紙束をカバンに入れて俯いた。元々いじめっ子気質のある僕はブスが手に持っている紙束に小説でも書いてるんじゃないかと思い、カバンを指差して「今カバンに入れた紙束なに?」と聞いた。しかし彼女は意外にもなんでもないとか言って誤魔化さず、僕の方を向いて詩と小説を書いた原稿用紙ですと言ってきた。それどころか彼女はカバンにしまっていたそれを取り出して僕に差し出したのだ。
「あ、あのぉ〜。わ、私の作品読んでくれませんか。プ、プロの作家さんに読んでもらって、わ、私の作品ど、どう思うかし、知りたいんです。ご、ごめんなさい!い、いやだったら全然いいです!」
こういう事は生まれて初めてだった。まぁ僕も中学生だから当たり前といえるが、別にイヤな気はしなかった。ただ、その相手がブスだってことがやっぱり少し気に触る。僕は彼女から原稿を渡されると、さっさと読んで終わりにしてやれと思って原稿用紙を顔に近づけた。
原稿用紙に達筆で書かれた文章を見て急にイヤな気分になった。さっきとは全く別な意味でさっさと読み終わらせたかった。とはいえ別に内容がイヤなものだったわけじゃない。それ以前のところで不快だったのだ。この原稿用紙を読んだ瞬間今まで自分の今まで積み上げてきたものが崩れていくような気がした。
いやハッキリ言おう。今僕が読んでいたのは自分より遥かに才能のある人間が書いたものだったのだ。僕はだんだん読むのが苦しくなって原稿を彼女に突き返した。
「私の作品ど、どうでした?詩と小説ど、どっちが良かったですか?」
ブスが食い入るような顔で僕に聞いてきた。
「どっちもダメ。なんか難しくて俺には全然わからなかった。これじゃ読者にはもっとわからないよ。もっとちゃんダイレクトにつたわるように書き直した方がいいんじゃない?」
僕はプロの作家として上から目線でこう論した。だが内心僕はこの思わぬ天才の登場にビビっていた。だから彼女がどっかの懸賞に応募なんか考えないようにダメ押しにこう言ってやった。
「こんなの一次審査すら通んないよ。編集者が軽く読んですぐにゴミ捨て場行きだね」
ブスは僕のあまりに冷たい論評に落ち込んだようだ。彼女は原稿用紙を手に僕の言葉に俯いたままだった。そのブスの落ち込みぶりに流石の僕もフォローしようと思ったが、彼女はしばらくしてから大きなため息をついて妙に納得した顔で僕に言った。
「あ、ありがとうございます!流石プロの作家さんですね。わ、私の作品の弱点ず、ずばり当ててますね!そ、そうなんですよ。私自分でもわ、わかるんですけど、か、書いていると時々変なものが混じってこ、言葉が暴走してわ、訳がわからなくなるんです。も、もっと頭で考えたそのままに、か、書ければいいんですけどぉ!」
嚙みかみの口調でブスはこう言った。それからブスは僕に顔を近づけてこう頼んできた。
「あ、あのお願いが、あ、あるんです!あ、あのわ、私実は、あ、あなたみたいな、さ、作家さんにな、なりたいんです!だから、あ、あなたにこ、これからもわ、私の原稿見てもらい、た、たいんです!お、願いし、します!い、嫌だったらべ、別にいいですけど!」
さっきより嚙みかみが酷かった。カムカムエブリバディにも程があった。しかしこいつ普段全く喋ってこないくせになんだんだよ。俺に一体何を期待してるんだ?だが僕も一応プロの作家だから自分の読者の一人かもしれない彼女の頼みは断りづらかった。もし断ったら断られた事に怒って自分の事を有る事無い事ネットとかで言いふらされるかもしれない。こういう普段おとなしい奴は絶対そういうことをする。それに、彼女が下手にどっかの出版社に持ち込まれりしちゃ僕の名声が危うくなる。だから僕はいいよとりあえず承諾した。
それから僕は中学を卒業して高校に入ったが、別に日常は変わらなかった。僕はいつも勉強の傍ら暇を見つけては小説を書いていた。出版された小説は現役高校生作家のフレッシュな青春小説としてそれなりに注目され、ネットで結構取り上げられたりした。
あのブスとの交流もまだ続いていた。ブスとは中学を卒業して以来顔を合わせた事はないが、LINEやメールで度々連絡は取り合っていた。彼女は書き上げた小説や詩をメールに添付して送ってくるのだが、その添付というのが傑作で、このブスは手書きで書いた原稿をわざわざスキャンしてPDFで送りつけてくるのである。僕はそれを見るたびに普通にスマホとかPCで書けばいいのにと呆れたが、ブスの言い分によると手書きじゃないとなにも思い浮かばないらしい。僕はそのブスの言い訳のメールに思わずお前は芥川龍之介かよって突っ込んだ。
だけどそのブスの書く小説や詩はもう笑いどころじゃなかった。添付のPDFの原稿読んだ瞬間笑いなんか全部吹き飛んだ。中学時代に読ませられたものなんかとっくに超えていた。僕が適当に言った事を間に受けたのか、文章は格段にわかりやすくなり、彼女の才能もより顕になっていた。僕はいつからか彼女の作品を読んでいるうちになんだか自分が叩かれているような気分を覚えるようになった。学生作家だってチヤホヤされていい気になるなよ。この凡人が!天才ってのはこういうのをいうんだぜ!
だけど僕はそれを認める事は出来なかった。なんといったって僕はずっと早熟の天才って世間から言われ続けてこうしてプロとしてやってきているんだ。そこにこんな天才が出てきたんじゃ自分の名声なんて一瞬で消えるじゃないか。天才は俺一人だけでいい、お前はブスなんだから身の程わきまえてさっさと筆を折れ。僕はブスに原稿を送られる度にそう思い、感想を返信で送った時も全然ダメ!なんでもわかりやすく書きゃいいってもんじゃないよ!ってろくでもない大噓を書いてやった。
しかしこれだけ酷評しているのにかかわらずブスは相変わらず僕に原稿を送り続けてきた。僕はもうほとんど読まないで適当にまだまだダメとか書いてやった。しかしそうして原稿の感想のやり取りをしているうちに彼女のメールはだんだん切羽詰まった調子になってきた。僕が読まずに適当な感想書いて送りつけると、すぐにどこがダメなんだと返ってくるのだ。そうしてやり取りをしていたらある時こんなメールを送ってきた。
『私どこが悪いのかどうしてもわからないんです。私あなたの言う通りわかりやすくしたし、だけどそればっかりじゃダメだって反省して出来るだけ単純にならないように一つ一つ言葉を選んで書いたつもりです。それでもダメなんでしょうか?それでも文学賞の一次選考は通らないんでしょうか?はっきりダメなところを教えてください!私の作品のどこが悪いんですか?』
この物言いを読んで本当に頭に来た。このブスは自分の書いてるものもまとも理解できてないのか?自分の作品の良し悪しもわからないでよくプロなんかになろうなんて考えるな?俺がどんだけ苦労していいものを書こうとしてるかお前にはわかるのかよ!おんなじ文章何度も文章書き直して、だけどそうしたら前の文章とつじつまが合わなくなって、それで結局もう一回書き直し。だけどお前の原稿には全く書き直しの跡がねえじゃねえか!文章で悩んだところがちっともねえんだよ!それなのに何が私の作品のどこがわるいだ!全部だよ全部!お前の顔も含めて全部だ!全部書き直して来いよ!お前の顔も含めて全部!
僕はブスにうんざりした。もうメールのやり取りはやめようと思った。なんとなく続けてきてしまったが、そろそろやめないとこっちが壊れてしまうと思った。ああ、たしかにお前には確かに才能はあるよ。ひょっとしたら俺よりもあるよ。だけどお前にはそれ以外のものがなさすぎるんだよ。いつまでも俺に頼って何やってるんだ。俺の言うこと聞いてたって作家になんかなれねえぞ!僕はしばらくブス宛の絶縁状の文句を考えてそして書いた。
『メール読みました。あのですね、僕は学校の先生じゃないんだからどこが悪いって聞かれても答えようがありません。大体そういうことは自分で見つけもんでしょ?それに自分の作品が良いか悪いかの判断を全部僕に委ねるってかなりおかしくないですか?大体あなたは僕が一次選考に落ちるって言ったことをずっと気にしているけど、それってあくまで僕の判断ですよね?じゃあ僕が適当には〜いこの小説大賞とれるヨォとか言ったらあなた応募するんですか?あなたはするんでしょうね。なにしろ自分の書いているものを何一つ理解できないんだから。書いて僕に送って酷評されてわざわざ忠実に悪く言われた所を直してくるくらいだから。あのね、本気で作家になりたいんだったら自分ってものを持ってくださいよ。あっちにフラフラこっちにフラフラで自分なんてものを持っていない人の作品なんて誰も読まないし、そもそも誰も本出してくれませんよ。いろいろ言ってすみませんでした。あの、それとですね。申し訳ないけど原稿読むのこれで最後にしてもらえますか?僕毎日忙しくてあなたの原稿読んでる暇ないんですよ。ではさようなら。いつかあなたの作品が出版できるといいですね。』
こう書いてすぐに送信してやった。送信する時書きすぎじゃないかと思ったが、それをあえて押し切った。もう冷たいとか酷いとか言っていられない。とにかくとっととこのブスから解放されるにはこうするしかなかった。
送信してから何度もメールの返信がないか確認した。とりあえず送ったもののだんだん罪悪感が芽生えて来た。大体原稿送ってくるなというだけならいくらでも理由は考えつくのだし、それにこっちは無償のボランティアでやっているわけだからどんな理由で断ろうが正当性がある。なのにこんなあからさまに拒否するような事を書いてしまった。僕はやっぱりフォローしようと思ってメールを作成しようと思った。だけどその時彼女から返信が来たので、僕はメールを作るのをやめ彼女のメールを開いた。そこにはこう書かれていた。
『メール読みました。今まで私のつまらない作品に懇切丁寧な指導ありがとうございました。そしてあなたの私に対する叱咤激励胸に沁みました。あなたの言った事、全て正しいです。確かに私小説家になりたい、詩人になりたい。そんな思いだけが先走って自分の書いたものの良し悪しなんてまるで見ていなかった。ただ怖かったんです。自分で良いなんて思い込んでそれで思いっきり恥を書くのが。だから憧れのプロの小説家のあなたの批評に頼ろうとしたんです。でもそれって単に甘えていたんですね。結局小説家としてやっていくには自分しか頼れない、そういうことですよね。ありがとうございます。私あなたの言葉でやっと目が覚めました。これからは自分の力だけでやっていきます。こんな私の面倒今までずっと見てくれて本当にありがとうございました。』
見事なまでの勘違いぶりだった。僕の説教を装った酷い当て擦りは彼女の中で最後の授業的な清々しいものに変えられていた。こうまで勘違いされたら何も追加するなんて出来なかった。僕は彼女に宛ててメールを読んだことと自分もあなたが小説家になれるよう祈っているなんて事を書いて送った。それでさよならだった。
彼女とはそれ以降連絡を取る事はなかったが、メールの方は捨てるに捨てられなかった。もう終わりだし別にいらないのだから捨ててもいいのだが、それでも捨てるのは悪いような気がした。
それからまた時は流れた。僕は大学生となっても相変わらずだった。いや、相変わらずすぎた。確かに環境は中学高校時代に比べて大きく変わった。僕は上京して一人暮らしを始め、また大学も暇だったため、執筆の時間も大幅に確保できるようになり、それに頻繁に出版社の人間と付き合う事になったおかげで、世界がかなり広がった。にもかかわらず小説のクオリティーは中学高校時代とあまり変わらず、未だ傑作らしきものを書けないでいた。編集者からはよく君も大学生になったんだからいつまでも学生作家なんてチヤホヤされてるなんて思うな。大学生の作家なんてそこら中にいるんだからと釘を刺された。
だが僕は自分の才能にそろそろ見切りをつけ始めていた。多分僕は一生小説で食っていけるだけの才能はある。しかしそれだけだ。選ばれた才能なんて持ち合わせちゃいないし、そんなものが今更出てくる見込みなんてない。けど僕には中学時代からプロとしてやってきたスキルと名声がある。だからこれで一生泳ぎまわってやろうと思った。何せ中学時代でプロデビューした小説家なんてほとんどいないし、年にしちゃキャリアがあるから業界のコネは他の連中よりもっている。もし小説が書けなくなっても食い扶持はいくらでもある。僕は将来についてそんな事をおぼろげに考えていた。
あのブスの事はあれからずっと気にかけていた。あれからずっとメールも来なかったし、こちらもメールを送らなかったが、一応気にはしていた。一応サラッと文学賞の最終選考を見て彼女が応募していないか見たし、知り合いの編集者にも彼女の名前をあげてそれっぽい人が応募とか持ち込みとかしていないか確認はした。だがそれでも彼女の存在は全く確認出来なかった。
あのブスの訃報が届いたのはそんな時だった。僕はそれを中学の友人から知らされた時思わずえっ?と声を上げた。友人の話では彼女は地元の大学に通学中の電車の中で急に倒れてそのまま亡くなったらしい。友人は自分も別の奴から死んだと聞かされてびっくりしたという。友人は僕に告別式の日にちを言って東京から来れるか?と聞いてきた。彼は別に無理して来なくていいぞと言ってくれたが、行かざるを得なかった。友人たちは知らないだろうが僕と彼女にはそれなりの交流があったわけだしやっぱり告別式には行っとかなきゃいけないだろうと思った。
告別式が行われる葬儀場は地元の街の外れの閑散したところにあった。タクシーから降りた僕は早速葬儀場に入った。だが、葬儀場の玄関は大して社交的でなかったであろう彼女からは想像もつかないほど人混みで溢れていた。僕はなんだこれはと思ってキョロキョロしていたら友人が僕の元に来て同じぐらいびっくりした顔でこう言った。
「おっ、久しぶり!びっくりしただろ?俺もさっき来たんだけど、あんまり知らない人間だらけなんでどうしたんだろうって彼女の親族の人に聞いたんだよ。したらみんな出版社の関係者らしいんだ。話によると彼女は死ぬ前どっかの文学賞に応募したらしいんだな。したらその小説が審査員の中で凄い評判だったらしいんだ。だけどこれだろ?最終選考まで行ったらしいけど結局選考から外されちゃって。そうだ!もしかしたらお前の知り合いもいるかもしれないぞ。お前待合室に入って挨拶して来いよ」
僕は友人に言われるがままに待合室に入った。本当に他所の人間で占められていた。彼らはお互いに名刺なんかかわしていた。明らかに出版社の人間だった。その部屋の隅っこに一人知っている男が座っていた。彼は有名な純文学作家で僕とは浅からぬ因縁があった。作家は僕のデビューした文学賞の審査員で他の審査員がみな僕の小説を褒める中、一人選評で「中身がまるでない。まるで空っぽの文章」と思いっきり腐したのだ。僕はそれ以降この作家を避け、また向こうからも寄って来なかったが、その男がなぜか彼女の葬式にいた。
「やぁ君か。すっかり大きくなったから誰だかわからなかったよ。成長したねぇ。昔悪く言ってごめんねぇ。ところで君は何故ここに来ているの?もしかして彼女の知り合い?」
作家に挨拶したらいきなりこう聞かれた。僕は興味津々に答えを待っている作家を見て本当に驚いた。何故知り合いでもなかろうただの一般人の告別式に彼のような有名な作家がなぜわざわざこんな田舎まで駆けつけてくるのか。
「いや、ここは僕の地元で、彼女は中学時代の同級生だったんです」
「ほう~。で、彼女中学時代はどんな子だったの?そのころにはもう小説とか書いていたわけ?」
「いや、それは……」
「あっ、ゴメンゴメン。いきなり変な聞いてゴメンね。実は俺彼女が応募した文学賞の選考委員長でさ。編集者から最終選考上がってきた五名の作品を渡されたわけだよ。したら圧倒的にスバ抜けてる小説が一つあった。それが彼女の作品だよ。新人らしからぬとか、逆に若々しいとかそんな褒め言葉は全く意味をなさない本物の文学で芸術だった。俺は一瞬で彼女の作品に引き込まれて絶対に受賞は彼女を推薦するつもりだった。だけどさ……それから三日後だよ。急にこんなことになっちまって。そっかあ君の同級生だったんだな」
僕と作家の話を聞いたからか他の編集者らしき人間も僕の元に来た。彼らは通り一遍に僕に挨拶していつもご活躍拝見してますとか心にもないことを言って彼女の事で僕を質問攻めにしてきた。だがそこに葬儀会社のスタッフがやってきて、そろそろご移動お願いしますと僕らを呼び出した。
出棺の時、棺桶の中で横になっている彼女を見たが、中学の頃から全く変わっていないように見えた。化粧っ気もなくブスがそのまま大きなブスになったって感じだった。その彼女の顔を見るとなんか中学時代が思い出されて目頭が熱くなった。周りの親族や彼女の女友達は声を上げて泣いていたが、なぜか作家や編集者まで泣いていた。僕はそれを見て不思議に思った。生前会った事さえなかった彼女の告別式のためににわざわざこんな辺鄙な田舎まで来て、こうして泣くなんてどういうことなんだ。それだけ彼女の小説が凄いってことなのか。
火葬の呼び出しがかかるまで待合室で待っていたら彼女の両親がこちらの部屋に入って来て僕に挨拶をして来た。どうやら友人が僕がいる事を両親に知らせたらしい。彼女の両親に東京からここまで来るの大変だったでしょうねと声をかけられた。それで僕もこちらこそと返したが、その時母親の方があの子にいろいろ優しくしてくれてありがとうと僕に深く頭を下げてきた。僕はいきなりの事になんだかわからずえっ?と声を上げたのだが、母親はその僕に向かって話し出した。
「あの子ずっとあなたに憧れていて、あなたのような小説家になりたいっていつも部屋にこもって小説とか詩とか書いてたの。ある日帰って来てすっごい喜んだのよ。やっとプロのあの子に自分の小説読んでもらったって!それからあなたに読んでもらうために一生懸命書いていたの。もうすっかりあなたを神様か何かのように思って「あの子にこれメールで送るからスキャンお願い。今度こそあの子に認めてもらうんだ」って、書き終わると私にスキャン頼んだりしてねえ。だけどやっぱりあなたには迷惑だったでしょ?ただでさえ忙しいのに余計なこと頼んで。あの子に代わって謝っておくわ」
「いえ、こちらこそろくなアドバイスできなくて……」
「そんな事ないわよ!あなたがアドバイスしてくれたから、あの子もちゃんとした小説をかけるようになったんだから。お陰様で皆さんもお忙しい中、こうしてあの子の見送りに来てくれたんだし……。だけど皮肉よね。せっかく小説家になろうとしていたのに、こんな事になるなんて……」
母親は耐えきれなかったのか言葉を詰まらせて泣き出した。父親が彼女を抱き抱えてそのまま部屋から出ていった。僕も周りにいる人間も黙ってただそれを見ていた。
やがて葬儀会社のスタッフが火葬の準備が出来た事を告げにきた。この部屋にたまたまいた親族の者たちはそれを聞くとこちらに軽く礼をして火葬場へと向かった。閉まってドアの向こうから足音が並んで聞こえた。あれは火葬場に向かう親族たちだろう。
彼女の両親や親族たちが火葬場に向かってしばらくすると作家がまた僕に話しかけてきた。彼はさっきの僕と母親の話を聞いていたらしい。
「あの、さっき君が彼女のお母様としていた話なんだけど、あれってどういう事だい?あの話だと君が彼女に小説の書き方を指南したって事になるよね。そういう事なのかい?」
僕はなんとも答えづらかった。確かに彼女は僕に指南してもらいたがっていた。だが僕には最初から指南する気なんてなかったし、それに彼女は僕なんかを遥かに超えていたから指南しようもなかった。
「いや、ちょっとしたアドバイスをしただけです」
「ちょっとしたアドバイスね。お母様のさっきの口ぶりからだとそれだけとはおもえなかったね。だけど意外だな。あれだけのものを書いた彼女がまさか君に指南を受けていたなんて」
この作家の言い草に僕は思わず苦笑した。なんてことだ。まるで俺が死んだ有名人の関係者か何かみたいじゃないか。普通立場が逆だろ?俺は中学でプロデビューしてそこそこ名が売れているんだぞ!なのにこいつらはその俺を前に彼女のことばかり聞きやがる。まるで俺なんかどうでもいいみたいに。その周りにいた編集者たちもさっき僕と母親の話を聞いていたらしく興味深々に僕を見ている。全くどいつもこいつも何考えてるんだ。作家でもないただのブスな女子大生が死んだだけじゃないか。僕は久しぶりに彼女に対して腹立ちを覚えた。あれだけ才能があるのにそれに自分で全く気づかず、凡才の僕に必死にアドバイスを求めてきたあのブス。何で俺なんか無視してさっさと文学賞に応募しなかったんだ。そうしたらお前は生きてる間に天才の登場だってみんなにもてはやされたじゃないか!俺だってブスのお前の素直に天才だって認めて、自分の才能に諦めがついたんだ!それを今頃になって応募してしかも選考中に死んじまうんだから!お前は鈍いし、とろいし、何もかも遅すぎるんだよ!
僕は作家に向かってトイレに行くと言って表に出た。トイレに行くなんてのは嘘だった。ただ作家や編集者からしばらく逃れたかったのだ。それでも一応用は足しに行くためにトイレに寄ろうとしたが、その時同じように部屋から出ていた友人にあった。
「よぉ、作家さんも大変だな。ずっとあの人たちに囲まれてたじゃん。ろくに話しかける事も出来なかったよ。ところで俺お母さんからお前に言伝頼まれてさ。お前告別式終わってから少し時間あるか?」
僕はあると答えた。
「お母さん、お前に渡したいものがあるらしいんだよ。だから終わってからちょっと会いたいんだってよ」
渡したいものと聞いて真っ先に原稿の事を思い浮かべた。多分原稿だろう。彼女と自分を関連づけるものはそれしかないはずだ。
「なんかお前彼女と仲でもよかったの?お前ら全然喋ってなかったよな?」
友人がこう聞いてきた。確かに喋っていなかったが、それ以上の交流はあった。だがそんな事をコイツに一から話すのはめんどくさい。
「まぁいいや。せっかくだから喫煙所でタバコでも吸っていかないか?」
「いいよ」
「あっ、あの人たちに一言言わなくて大丈夫か?なんかさっきから結構話し込んでただろ?」
「別にいい」
こう僕が撫然として言ったのを聞いて友人はびっくりした顔をした。
告別式が終わるとみんな一斉にそれぞれの車や用意されたタクシーで帰宅の途についた。作家や編集者たちはまだ僕にまとわりつき、口々に今度じっくり彼女の話を聞かせてくれと言っていた。僕は連中に向かって適当に相槌を打って連中がさっさと帰るのをひたすら願っていた。
彼女の両親は葬儀場の玄関で参列者に一人一人に返礼品を渡しながら深くお辞儀していた。作家や編集者は帰る時両親と少し長めの話をしていたが、その時両親がやたら恐縮したようにありがとうございます!声を上げて何度もお辞儀をしていた。
そうしてようやく大体参列者が帰ったので両親は見送りをやめて友人と待っていた僕の所に来た。
「ごめんなさいね。お時間とらせてしまって」と挨拶をしてから母親が話しかけてきた。
「あなたにちょっと残ってもらったのは、実はこれ渡すためだったの」と母親包み紙から一枚の便箋を取り出した。僕は原稿だと思い込んでいたので少し驚いた。
「あの、これなんだけど、実はあの子と一緒に燃やすつもりだったの。多分あの子こんなもの残されたら嫌だなって思って。だけどあなたが告別式に来てくれたくれたでしょ?だから申し訳ないけど、これをあの子の棺桶から抜いたの。やっぱりあなたに渡したほうがいい気がして」
そう言って母親は便箋を僕に差し出した。便箋を見た途端急に心臓がバクバクしてきた。僕には遺品なんて受け取った経験なんてない、ましてや親族でもない間人間の遺品なんて受け取るなんて想像さえしたことがない。だけど僕は今彼女の遺品を受け取ろうとしている。僕は母親に深くお辞儀をして便箋を受け取り、そしてゆっくり開いた。
『私の作家さんへ やっと自分で満足できるものが書けました。初めて人に出しても恥ずかしくないものが書けたと思います。あなたにキツすぎる叱咤激励を受けてから私しばらく何も書かないでずっと今まで書いてきた小説や詩を読んで自分に足りないのか何かを考えていました。そしてやっとわかったんです。自分に足らないのは自分自身だって事に。私の作品にはその自身のなさがハッキリと出てしまっているのです。だから私そんな自分を完全に捨てようと今まで書いた作品の原稿を全部シュレッダーにかけて、そのPDFファイルも、あなたに送ったメールも全部削除して、また初めから小説を書く事にしたんです。そうしたら自分でもやっと満足が出来る小説が書けました。私この小説を文学賞に出そうと思っています。これは自分でも初めての挑戦です。別に落ちてもいいんです。落ちたらそれが自分の実力なんだって見極めること出来るし、ならばもっと自分の実力をあげようと思うからです。本当にあなたの叱咤激励がなければ何にも行動を起こせませんでした。あなたがいたから私はここまで成長できたんです。もしいつか小説家としてあなたの前に立てたらその時はちゃんとお礼を言います。とりあえずお手紙にてお礼の言葉を言います。本当にありがとう』
便箋を読み終わった瞬間泣き崩れてしまった。彼女に対する申し訳なさと、自分のあまりに卑小な愚かしさで心が張り裂けそうになった。だけど彼女は何であの原稿を全部シュレッダーにかけたんだ?中学時代のあの作品も、メールで送ってくれた作品も全部燃やしたっていうのか。なんてバカな事をしたんだ!あれはどう考えても傑作だったろうに。それを俺のあのメールを間に受けて捨てるなんて!いや、バカなのは俺だ!俺が嫉妬に狂ってあんなに腐さなければ、素直に彼女の作品を誉めて文学賞に応募する事を勧めていれば今頃は天才だって持て囃されていたはず。なのになぜ!僕はここで我に返った。ふと顔を上げると彼女の両親と友人が心配そうに僕を見つめていた。僕は立ち上がるとすぐにジャケットのポケットからハンカチを出して自分の顔を拭いた。そして三人に謝った。
「この便箋本当に僕がいただいてよろしいのでしょうか?」
泣き止んでしばらくしてから僕は両親に聞いた。
「いや、あなた宛の手紙なんだからあなたに渡すのが当たり前でしょう。妻と相談してそう決めたのですよ。それが恐らくあの子にとって一番いい事だと思いましてね」
「そうですか。じゃあありがたくお受け取りします。ところで」と僕は手に持っていた便箋を両親に見せて続けた。
「あの、ここに書いてあることは本当なんですか?彼女が今まで書いた作品全部シュレッダーにかけたって」
僕の言葉を聞いて彼女の父親と母親は顔を見合わせた。そしてしばらく沈黙した後で母親が言った。
「はい、本当です。あの子が突然一から全部やり直すって言って今まで書いた作品全部シュレッダーにかけてしまったんです。私は生まれ変わったつもりで一から小説を書きたいってね。そりゃびっくりしましたよ。でもそれもやっぱりあなたの影響なんでしょうね。本当にあなたには感謝しています。あの子が最後に皆さんに褒められるような小説を書くことが出来たのは全てあなたのおかげです」
何とも言えなかった。誤解はもう完全に浸透して晴らそうにも晴らしようがなかった。恐らくこれから語られるであろう天才作家の彼女の短い生涯の決定的な場面でこの誤解に満ちたエピソードは引用され語り継がれて行くのだろう。僕はふとこれから近いうちに自分を待っている未来を想像した。先にデビューして有名になった人間が彼より遅れて出てきた天才の登場で存在がかすみ、いつの間にその他大勢と共に天才の影になって消えてゆく。僕が想像したのはそんな凡庸な作家の哀れな姿だった。最初は若くして亡くなった天才を育てた人気の学生作家で、時が経つと天才作家の誕生に関わりを持った作家に変わり、そして最後には天才作家の同級生だったある作家というように僕の存在はどうでもいい存在へと変わってゆく。
僕は便箋をポケットにしまうと彼女の両親に深くお辞儀をしてその場を去った。
自宅についた僕はすぐさまPCを開いた。急に彼女の作品が読みたくなったのだ。別に今まで無視していたお詫びの気持ちからじゃない。僕には僕なりの無視をする理由があり、彼女に対して適当な感想や、説教を装った当て擦りをいう理由もあったのだ。確かに悪いことはしたと思っている。だけど目の前に天才が現れて自分の存在意義を失いかけた凡人の気持ちも少しはわかって欲しいのだ。
彼女のメールを集めるのには予想以上の手間がかかった。僕はズボラなタイプでメールの削除はあまりしないので彼女のメールを探すのにえらい苦労した。大分昔のものだし、名前で検索しても同じような名前が沢山出てくるし、メールは日付が飛んでるしで探すのは偉く時間がかかったが、恐らく全部見つける事ができた。彼女は便箋に原稿はシュレッダーにかけてファイルもメールも全て削除したと書いた。だから今彼女の応募作より前に書いた作品は僕のPCでしか読めないのだ。僕はズラリと並ぶ彼女の名前のメールを見て唾を飲んだ。半分以上ファイルを開いていないはずだ。僕は適当にメールを選んで開けた。
開けられたPDFファイルを見て僕は中学時代に感じた嫌な気持ちを久しぶりに思い出した。決定的な才能の差を思い知らされた声さえも出ないほどのあの屈辱。彼女の添付された作品は五行程度の短い詩から五万字ぐらいの長いものまでいろいろあったが、皆圧倒的に輝いていた。僕がいくら苦労してもたどり着けない境地をあっさりと書いていた。僕はそれをずっと読んでいてだんだん悔しくなってきた。おいブスお前バカだろ!何でこんなすげえ作品捨てるんだよ!俺の言うことなんか間に受けないで大事に取っとけよ!こんなすげえのあっさり捨てるぐらいなんだから応募作品はもっとすげえのかよ!畜生!これじゃまるで俺がバカにされたみたいじゃないかよ!僕は読んでる間中悔しさのあまり何度も机を叩いた。そして丸一日かけてようやく彼女の作品を読み終えた僕は完全に虚脱状態だった。電話に出る気もなく、メールやLINEもする気もなく、食事もとる気もなく、床に寝たままこう呟くしかなかった。
「おい、ブス。お前はやっぱり天才だよ」
それから一週間ぐらい経ってから何故か急に出版社や雑誌からの電話が増えた。それが僕の仕事だったらよかったのだが、残念ながらそうではなく、あのブスのことだった。彼女の小説の評判は各出版社に広がり、編集者内で彼女は夭折の天才女流作家と呼ばれているそうだ。僕は半ば覚悟していた事がこんなにも早くやってきた事に驚いた。みんな僕に彼女の事を聞きたがっていた。彼女は中学時代どういう子だったとか、あなたと彼女はどういう関係だったのかとか、あるお爺ちゃん向けのエロ雑誌は下世話にも僕と彼女が恋人だったのかとかまで聞いてきた。僕はそれらの質問を適当にはぐらかした。だけどそれでも次から次へと電話やメールが降ってきた。僕はうんざりして全て無視する事に決めた。今後何があっても出てやらんと思った。しかしそれはあっさりと覆された。何といつもお世話になっている出版社が、夭折の天才女流作家の唯一の単行本の発売に便乗して、緊急に彼女の伝記を出版しようと考え、そのために彼女の同級生である僕に取材の依頼があったのだ。編集者は是非受けてくれと言う。彼女の両親や友達にはすでに取材を取っていて、あとは僕だけだと言う。
「この本には君の証言が絶対に必要なんだ。なんたって君は作家だしご両親から聞いたところによると、何でも君は彼女に小説の指南をしていたそうじゃないか。そのエピソードを是非聞かせて欲しいんだよ。彼女はその頃どんな小説を書いていたのか。君は彼女に対してどんな指南をしたのか。その他どんなエピソードでもいいから聞かせてくれ。明日あたり時間取れるか?いつでも待ってるから今日中に連絡が欲しい」
僕は今は決められないから今日中に連絡すると言って電話を切ろうとした。だがその寸前に編集者が電話口から僕を呼び出した。
「あっ、大事なこと聞くの忘れてた。ご両親の話だと確か彼女君にメールで作品見せていたんだよね?あのさ、俺たち彼女が応募作以前に書いた作品探してるんだけど、残念な事に彼女それを全部捨てちゃったらしいんだな。原稿はシュレッダーにかけちゃって、ファイルとメールは全部削除しちゃってさ。彼女の元にはもう何もないんだよ。だから君のところに残っているかなって思って。ねえある?」
僕はあるとは言えず、今から探してみます。と言った。それを聞いた編集者はじゃあ見つかったらすぐに電話くれと言って切った。
電話が終わった後僕は再び彼女の作品に向き合った。全く何度も読んでも素晴らしい。恐らく近いうちに発売される小説は添付の作品より段違いに素晴らしいのだろう。彼女はその作品を書くために添付の小説を不要なものとして捨てたのだから。
僕は先程の編集者の言葉を思い出し添付の小説の存在を言うべきか悩んだ。もし言ったとしたらこの作品も天才女流作家の未発表作として同じように賞賛されるだろう。だがそれは彼女が望むことなのだろうか。逆にもしこの作品の存在を明かさず彼女の願い通りメールごと作品を永遠に消してしまったら、彼女は応募作一作だけ残した作家という事になり、それはそれで伝説になるだろうが、それでいいのだろうか。ましてや彼女に作品を捨てるように唆したのは、全く意図しなかったが、この僕なのだ。僕がどうしょうもなくプライドのないクズみたいな人間だったらメールごと作品を消して取材でいけしゃあしゃあと「彼女はそれまで大した作品は書いてなかったけど、僕が叱咤激励をしたらそれまでが嘘のようにいい作品を書くようになった」と嘘をつくだろう。実際にそうした方が僕の名声も少しは保てるのだ。天才女流作家を育てたのはある人気作家だと。だが僕はどうしようもないぐらい小さい人間だった。彼女の原稿を前にしてなんの判断も出来なかった。僕はPCの画面に写っている彼女の原稿が急に憎らしくなり思わずこう叫んだ。
「おいブス、お前のせいでなんで俺がこんなに悩まなきゃいけないんだよ!それもこれもお前がなんでもかんでも遅すぎるせいなんだぞ!」
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