親不孝な息子だけれど

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親不孝な息子だけれど

 それから二週間後、ボリスはフェオドールと一緒に教会併設のレストランへと向かった。  まだ式の時間よりも早い。が、既に両家の親族は集まっている。それを証拠にオスカルとエリオットは既に宿舎を後にしている。  妙な緊張で喉が渇く。こんなのは戦場でもあることじゃない。教会を前に一歩が出ないボリスの手を、フェオドールがそっと包んでくれた。 「ここで立ち止まってもどうしようもない」 「分かってるんだけれどね……また、揉めたらどうしようかって思うとなかなか」  母には、あまり泣いてほしくはない。捨てたはずの良心が痛む気がする。  だからってフェオドールを傷つけられるのも嫌だ。恋人にすると決めた相手はちゃんと守る。例えそれが、実の親からであっても。  そんな気負いから動けないでいるボリスの手を、フェオドールはゆっくりと引いた。 「その時はその時。私からも分かってもらえるように話をする。それに、これで少しは強くなったつもりだ。いつまでも守られるばかりの情けない男ではいられないからな」 「フェオドール……」  笑いかけ、手を引く彼が弱いなんてことはない。彼の努力をボリスは知っている。失敗に凹んだ事も、熱心で努力家な所も知っている。  そうだな。いつまでも守られる事をよしとする弱い子じゃないんだな。  足が、一つ前に出た。 「行こうか」 「あぁ」  二人で踏み出したその歩みに、もう迷いは何も無かった。  親族が集まっていたのは教会の中にある親族の部屋。そこには着替えを終えた兄オルトンと花嫁姿のオーレリア。アベルザード伯爵家の面々にエリオットの妹であるエレナ。そしてボリスの両親だった。  穏やかに迎える様子のアベルザード側とは違い、両親は一瞬固まる。ボリスもまた居心地の悪さから動けなくなった。何も、言葉が出なくなっていた。  だが、踏み出したのは母だった。既に涙を一杯に溜めて駆け寄ってきた彼女は呆然と立ち尽くすボリスを抱きしめて、式の前だというのに人目も憚らず声を上げて泣き出してしまっていた。 「ごめんなさい、ボリスちゃん! 貴方の気持ちも考えずに、話もろくに聞かないでごめんなさい!」 「母、さん?」 「ごめんなさい!」  どう、したらいいのだろう。驚きと罪悪感で一杯になっていく。この人は悪くないと分かっているから余計に、なんて返せばいいか分からないのだ。 「大好きよ……それだけは本当なのよ……」  小さな声が呟く。記憶よりも華奢な肩、小柄な体。そんなものを震わせる人を、ボリスも辿々しく抱きしめた。 「俺も、母さんの事嫌いになったんじゃないよ」 「ボリスちゃん」 「ごめん、親不孝をして。こんな息子で、ごめんね」 「ボリスちゃんはいつも、私の自慢の息子よ!」  そう言ってまた泣くから、ほんの少しボリスも貰ってしまった。そして周囲も、そんな二人を温かい目で見ていてくれた。  落ち着いてきた辺りで父が母を引き取りハンカチを渡し、ボリスの隣にはフェオドールが並んだ。そうして改めてアベルザード側へとお祝いを伝える事が出来た。 「ボリス・フィッシャーです。本日のこの良き日にお招きを頂き、有り難うございます」 「こちらこそ、オスカルとエリオットがお世話になっているね」 「とんでもありません。お二人は良き上官であり俺のような者は一方的にお世話になるばかりです」 「ボリスはとても強いですよ、義父さん」 「荒っぽくて直属の上司が心配するもんね。期待の隊員なのに、もう少しでいなくなるなんて寂しいよ」 「え?」 「……え?」  ふと声のする方を見ると、母が困惑顔をしている。そして次にはせっかく止まった涙がまた滝のように流れ始めた。 「どういうこと! いなくなるってどういう事なのボリスちゃん!」 「あぁ、いや……あれ? 兄貴まだ何も話してないの?」 「あぁ……うん。話しづらくて」  ……兄貴の役立たず!!  これにはオスカルとエリオットが苦笑している。駆け寄った母はボリスの胸ぐらを掴んでゆさゆさしながら「どういう事なの!」を繰り返している。もう、面倒臭いな……なんて思っている所でスッとフェオドールが綺麗に一礼した。 「ご無沙汰しております、ご母堂」  ご母堂、なんて言われ慣れない単語に母が止まった。それは父や兄も同じだったが。 「改めまして、クシュナート王が弟フェオドール・ロマーノフと申します。ボリスには国にいる時から大変助けられ、今も縁を結んで頂いております。そして、彼がこの国を離れるというのは私に原因のある事なのです。これについてもう少しお時間のある時に改めてお伺いし、誠心誠意お話をさせて頂ければと存じます……が?」  反応が無い事を不審に思ったのだろう。フェオドールが顔を上げると目の前では母が青い顔をして今にも倒れてしまいそうになっていて、父は平伏、兄はオロオロしている。そんな人達を前にして、フェオドールは驚いて駆けよっていった。 「あの、大丈夫ですか!」 「お許し下さい! まさかクシュナート王国の王弟殿下とはつゆ知らずご無礼の数々を!」  悲鳴のような声で平伏した母を、フェオドールは寂しそうな顔で見た。そして手を取って起き上がらせると、あろう事かそのままギュッと抱きしめた。 「突然の事、驚かせてしまいすみませんでした。確かに出自はそのようなものですが、今は国を離れて学ぶ身です。それに、貴方はボリスの母であり、慈しんで来られた方。その方にこのようにされては、私もとても心苦しいものです。どうか、変わりなくいてください」  そう言って、にっこりと笑うのだ。  これを後ろから見ていたオスカルがニヤリと笑って口笛を吹く。それをエリオットが軽く嗜めた。 「いい勉強できたみたいで良かったね、フェオドール様。最初は危なっかしくて心配だったけど、大丈夫そうだ」  本当に、知らない間にすっかり大人になって。これはもう、うかうかしていられないな。  目の前ではフェオドールが笑って母を立ち上がらせ、父にも挨拶をしている。素直ないい子のフェオドールは少し話せばきっと母のお気に入りになるだろう。そんな予感がする。 「何にしても、無事に結婚式が挙げられそうで良かったね」 「お手数おかけしました、皆様」 「良かったですね、ボリス」  まぁ、これで一つ心残りは消えたんだろう。そう思ったらスッと心が軽くなる感じがした。 ▼もう一つのプロポーズ  オーレリアの結婚式は大団円で進んだ。綺麗なドレスに身を包んだ彼女は普段の勝ち気な様子が薄れてとても美しく貞淑に見え、隣に並ぶオルトンも幸せそうに笑っていた。  それを見守る両家の親族も心から二人を祝福していた。一時はどうなる事かと思える騒動だったのだが。  今は披露宴も終わり、エリオットの妹エレナは招かれたアベルザードのお屋敷でのんびりと庭に出ていた。  少し風は冷たくなったものの酒気を覚ますには心地よく、庭には愛らしい花が揺れている。貴族らしからぬ庭だと、当主のラザレスは笑って言うがこの方がエレナは好きだ。  そんな風に少し外にいると、不意に肩に暖かな上着を着せかけられた。 「心地よいとは思いますが、冷えてしまいますよ」 「ごめんなさい、バイロンさん」  見上げた先ではオスカルの弟で次期当主のバイロンがいる。肩までの綺麗な黒髪に青い目、整った綺麗な顔をしている。正直、田舎の半没落騎士家のエレナには釣り合わない相手だ。  だがそんなエレナをバイロンは好いてくれて、良くしてくれている。エリオットとオスカルが結婚し、母も老齢となってアベルザード家の勧めで王都に移住してからというもの、彼は頻繁に会いに来てくれるのだ。  隣に腰を下ろしたバイロンが、同じように庭を見る。芝生に野の花が揺れる広い庭には、薔薇などの華美な花は何一つない。 「貴族らしからぬ庭ですよね」 「そうですか? 私は好きですよ」  そう伝えると、彼は存外嬉しそうな顔で笑う。そして目を細め、懐かしそうに笑うのだ。 「子供の頃、よくここで駆けっこをして遊びました。他にも犬と遊んだり、花冠を作ったり」 「いいですね。私の家の近くにもこんな野っ原があって、よく兄と遊びました」 「貴族らしい振る舞いではありませんが」 「子供にとっては見るだけの庭よりも有意義じゃありませんか?」 「ふふっ、まったくだよ」  そう言って嬉しそうにする人は普段の大人びた様子とは違い、どこか子供っぽく可愛く見えた。 「そんな家も、少し寂しくなりますね」  それは、バイロンの本心なのかもしれない。  オスカルとジェイソンは宿舎、シェリーには家族があり、オーレリアは嫁いだ。ここは静かになるだろう。  エレナは少し考えて、にっこりと笑った。 「でも、皆さんたまに帰ってきますし。今度は私がこちらへ顔を出しますよ」  そうしたら少しは賑やかになるだろうか。  そんな思いだったが、バイロンはキョトッとした後で少し頬を赤らめ、エレナの手を握った。 「嬉しいです、エレナさん」  指先にキスをする彼はエレナの目には王子様に見える。だから、とてもドキドキする。お付き合いをしているとはいえ、まだこうした事は慣れないのだ。  顔がとても熱くなってくる。なんとかこの空気を壊したいエレナはアタフタしながら話題を変えた。 「そういえば! オーレリア様のドレス綺麗でしたね! ご自分でデザインして縫製まで手がけてしまうなんて、流石ですよね!」  あからさますぎただろうか。それでも真っ赤なリンゴみたいになっているエレナを見て、バイロンは困った様に笑って頷いた。 「昔からそのような夢を持っていたからね」 「そうなんですね! いやぁ、綺麗でした」 「……でもきっと、エレナさんも綺麗だと思います」 「え?」  声のトーンが一つ低くなる。真剣な眼差し、握られたままの手。その指先に、再び唇が触れた。何処かくすぐったく、心臓が跳ねるようなものだ。 「エレナさん」 「はい?」 「貴方のドレスを、俺に作らせてくれませんか?」 「え?」  それは、どういう意味でしょうか?  なんて、分かっているけれどすっとぼけた。何せいきなりで心臓破裂しそうなくらいドキドキしている。  それでも、今日のバイロンは逃がしてくれないようだった。 「俺の作ったウエディングドレスを着てもらえませんか?」 「ひゃ、ひゃにょぉ」 「……俺と、結婚してください」  真摯な声と目。そこに嘘も偽りもない。そんなものに見られてエレナは目が回りそうだった。  けれど、今これに答えないのは卑怯者のすることだと思う。騎士エレナは不誠実な娘ではない。そして目の前にいる彼は、こんな下級騎士の娘で礼儀もそこそこなじゃじゃ馬娘を本気で好いてくれているのだ。  ドキドキする。顔も熱くてまともに顔を見られない。そんな思いを押し込めて、エレナは一つ頷いた。 「こんな私でいいのでしたら、よろしくお願いします!」 「貴方だからいいのです。こちらこそ、よろしくお願いします」  優しい目で微笑むバイロンの手がエレナの頬に触れ、伺うように近づいてくる。それをエレナも受け入れてジッとしている。  幼い子が声を上げて遊び回ったこの庭に、また小さな子の声が響く日はそう遠くないのかもしれない。
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