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託された願い
それは、不思議な夢だった。
暗くて寂しい場所にぽつんと立っているアリアは、ふとその先にとても小さな明かりがあるのを見た。とても頼りなくて、今にも消えてしまいそうな光。そこへ向かって歩いていくと、誰かが蹲っている事に気づいた。
どうしたのだろう? 少し足早に近づいてくるとその人の姿も見えてくる。赤に近いブラウンの髪をした人がそこにはいた。
「チャールズ兄様?」
不意に頭によぎったその名と姿を、アリアは素直に口にした。
生きている間には会うことが出来なかった人は、だが確かに特徴を備えている。俯いていて顔こそ見えないけれど。
アリアの呼びかけに彼はようやく顔を上げる。目鼻立ちのはっきりとした緑眼の青年は確かにチャールズだった。
「どうしましたか、兄様。どこか苦しいのですか? 寂しいのですか?」
亡くなってからもアリアは彼を悼んで供養をしている。月に一度は教会に赴き花を供え、最近あった事を心の中で話している。
でも最近は忙しくなって慌ただしくなってしまっていた。
けれど彼……チャールズは苦笑して首を横に振った。
『苦しくも、辛くもない。忙しくても会いに来てくれることは嬉しく思う』
「良かったです」
『……聞きたい』
「? はい、なんでしょうか?」
『お前の元に行けば、私は愛されるだろうか。無い者のように扱われる事は、ないだろうか?』
その問いかけと不安そうに揺れる目を見て、アリアは悲しくなって思わず抱きしめてしまった。
そのような扱いを受けていたのだと聞いた。愛情を知らないまま憎悪を向けられ続け、それを誰も止めなかった。もっと早く知っていればよかった。そうしたら、何か出来たかもしれないのに。
母マリアならきっとそう思うだろうし、アリアもそう感じた。だからこそこの言葉はとても辛かった。
「そのような思いをさせたりはしません! 兄様、不安なのですか?」
『……皆に、取り返しのつかない事をした。そんな私をお前達兄弟は責めなかった。私は……何をして償えばいいか分からない』
そう言って、酷く戸惑いながらアリアの背中に僅かに触れたチャールズはまた俯いてしまった。
『やり直せと言われた。今度こそまっとうに生きろと。私は……お前の所に行きたいと思っている。だが、今更どの面を下げて行けばいいか分からなくなった。償いもしたい。だがまた……愛される事も、愛することもできなかったらと思うと足が進まない。だから、問いたい。私は、やり直せるだろうか?』
酷く不安そうな様子に、アリアはそっと微笑んでその頭を抱く。幼い頃、不安になると母がしてくれたように。
「大丈夫ですわ、兄様。私、大事に育てます。子育てなどした事はありませんが、された事はよく覚えていますの。同じように……私の母様がしてくれたようにすれば大丈夫だと思います」
『すまない』
「平気です。だからいつでも、来て下さいね」
微笑んだアリアを見て、チャールズはほんの少し笑った。
そこで、目が覚めた。
◇◆◇
不思議な夢を見てから五ヶ月後。シュトライザー本邸に久しぶりに兄弟達が集まった。それというのもルカから報告があるとのことだ。
ファウスト、ランバートの結婚から五年が経ち、アリアは家の仕事を大半できるようになっている。そして婚約者のウルバスも手伝ってくれる事が多くなり、休日や集まりには必ず来てくれるようになった。
「まず報告。二人目ができました。現在五ヶ月で安定期に入りとても順調です」
「まぁ!」
「良かったですね、ルカさん」
アリアは素直に喜び、ランバートも微笑んでいる。
けれど何故かルカは困った顔をしてファウストを見た。
「そうなんだけどね……ちょっと気になる事もあって」
「どうした?」
「……この子の妊娠が分かって少ししてから、メロディが夢を見たんだ。そこには赤に近いブラウンの髪の男性がいて、『アリア・シュトライザーの養子になりたい。取り計らって欲しい』とお願いしてきたっていうんだ」
「赤に近いブラウンの髪……」
「それって」
ランバートは困惑した顔をし、ファウストはやや考える。だがアリアはにっこりと笑った。
「チャールズ兄様、ちゃんと一歩を踏み出せたんですね。良かった」
「アリアちゃん? もしかして、何かあった?」
隣のウルバスはあまり驚いてはいなかった。けれど一応という様子で聞いてくれる。
だから、あの日見た不思議な夢の話をした。
「……つまり、事前確認と承諾が出来ていたってこと」
「アリア……そういう事は話してくれないか?」
ルカとファウストが思い切り眉間に皺を寄せて溜息をつき、ランバートは苦笑している。
「ってことは、いいんだね?」
「勿論ですわ。約束しましたもの」
「なんか複雑だな……いや、いいんだけどね。あの人も複雑な家庭環境に置かれていたってのは分かるし。でもなぁ」
「ルカ兄様、心が狭いわ」
「アリアが大物すぎるんだよ」
心労のあるルカの様子にファウストとランバートが見合って苦笑する。こちらはあまり気にしていないようだった。
「メロディも気にしていたんだ。もしもこの子がチャールズ兄さんの生まれ変わりだったら、シュトライザーの家に行かせるのは避ける方がいいんじゃないかって。色々あったしね」
「お気遣いだけで。むしろその子は絶対に私が引き取りたいです」
「分かってるよ。もぉ、気を揉んで損した」
そう言いながらもルカは肩の荷が下りたのだろう。サッパリとした顔をしている。
「それにしても、アリアちゃんは敏感なのかな?」
「ランバート兄様みたいな力はありませんわよ。今回はきっとチャールズ兄様が呼んだのだわ。凄く不安そうで、今にも泣いてしまいそうでしたもの。凄く謝っていたし、こんな自分が生まれ変わっていいのかと本当に思っている様子でしたわ」
「地獄って、本当に改心するんだね」
「もぉ、ウルバスさん意地悪言わないで」
なんて言うと、ウルバスは苦笑した。
「まぁ、そんなに猛省してるならいいんじゃない? それに、アリアちゃんがお母さんするなら愛情たっぷりだろうし」
「それは保証しますわ」
クスクスと笑って、アリアは立ち上がる。丁度お酒も少なくなってきたから、そろそろお茶にしようと思ったのだ。
「お茶淹れてきますね。皆さんそろそろお酒は控えて」
「手伝おうか?」
「ランバート兄様も今日はのんびりしてください。ファウスト兄様の面倒は大変でしょ?」
「俺はそんなに苦労かけてないぞ」
なんて言うファウストを笑い、一人でキッチンへと向かう。
新しくなった屋敷は使い勝手も良くなっている。アリアも可能な限り自分でお茶を淹れたりしているから慣れたものだ。
湯を沸かして茶葉を選んでいると、不意に背後で人の気配がして振り向いた。
「ウルバスさん?」
ゆっくりと近づいてきたウルバスは苦笑している。そしてそっと、アリアの隣に並んだ。
「手伝うよ」
「でも」
「だーめ。それに、少し話したかったから」
静かな声で伝える時は真剣な時。アリアは頷いて二人でお茶の準備をした。
「今、五ヶ月なんだよね? 生まれるのは五ヶ月後?」
「そうですね」
「こちらに来るのは、具体的にはどのくらいかな?」
「それは相談してみないと。乳母にお願いすれば半年経たずにでしょうけれど……あの、どうして?」
どうしてそんな事を気にするんだろう?
思って問いかけると、ウルバスはとても悪戯っぽく笑った。
「だって、子供にはお父さんも必要でしょ?」
「え?」
きょとんとして彼を見ると困ったように笑われた。そしてスッと足を引いた彼は床に膝をついて、呆然とするアリアの手を取った。
「結婚、しようか」
「!」
王子様のような姿で、言葉は少し軽く。でも心臓がドキドキして頭が真っ白になった。
「そんなに驚く?」
「だって! あの、ビックリして。だって結婚って!」
「あはは、驚きすぎだよ。これでも考えてたし、それ前提のお付き合いだったでしょ?」
「そうですけれど! でも!」
顔がカッと熱くなって心臓ドキドキして頭の中は大パニック! なのにウルバスは余裕だ。なんか狡い。
ムゥとして見たら、ウルバスは苦笑した。
「君の事が好きだよ。それに、準備も整っている。後を任せられる人材も育ったし、シュトライザーの仕事も馴染んできた。子供にも父親は必要だよ」
「そうですけれど! 事前に知らせてくれないと心の準備が!」
「なんて知らせるの? ○月×日にプロポーズするので心の準備をお願いしますって言う? それ、きっと通達した日に同じように俺責められない?」
「うっ、それは……そうかも?」
なんて言って、顔を見合わせて思わず笑った。
「それで? 受けてくれるのかな?」
「はい、勿論です」
「いいの? 俺の束縛は辛くない? 君の側にずっと居たい俺って、重くない?」
「大丈夫です。それも愛情だって思えますから」
デートの日は絶対に側にいて離れない。そうじゃなくてもたまに不意打ちで来てお土産を渡してくる。社交の場では必ず同伴だ。
でも、それは嫌な事じゃない。側にいてくれるとほっとする。それにウルバスは自分で言うよりもアリアを自由にしてくれる。側にいたり、行き先を聞いたりはしても「行っちゃ駄目」とは言わないのだ。
まだ跪いたまま、そっとアリアの手を取ってその甲にキスをする。それにまたドキドキする。
「あの、立ち上がってください」
「いいの? 立ち上がったらキスしたくなるけれど」
「……私達、夫婦になりますもの」
「それもそうだね」
顔が真っ赤な自覚がある。とても熱くて困ってしまう。上手く表情がつくれなくて目が合わせられない。
なのにウルバスは立ち上がって苦笑して、優しくアリアを見て額にキスをする。くすぐったい唇の感触と甘やかされている感じ、そして親が子にするようなキスにパッと目を開けると、彼はまだとても近くにいた。
そしてジッと楽しそうにアリアの目を見たあと、優しく甘く唇にキスをくれた。
◇◆◇
お茶の準備をして談話室に戻ってくると、ファウストとルカは心配そうな顔をしていた。遅いからだろう。
けれどランバートは分かっているのか、溜息をついていた。
「どうしたんだ? 何かあったか?」
「あぁ、えっと……」
チラリと隣のウルバスを見ると、彼はとても楽しい悪戯をしているような顔で笑った。
「ファウスト様」
「ん?」
「俺達結婚する事にしました」
「……は?」
「おぉ!」
「はぁ……」
目をまん丸くして呆然とするファウストに、思い切り鼻息荒く目を輝かせたルカ。そして色んな気苦労を一気に計算したのだろうランバートの溜息。一瞬静寂に包まれた室内はその後、想像以上の騒々しさとなったのだった。
◇◆◇
それから一年後、アリアは教会にいた。
シルヴィアが仕立ててくれたドレスは母が着たウェディングドレスと同じものを再現してくれたそうだ。その時も仕立てたのはシルヴィアだったと言って。
父に手を引かれて祭壇の前に。ウルバスは育ての親である叔父を呼び寄せて挨拶をした。
前列には親族としてファウスト、ランバート、ルカ。そして隣に座るメロディの腕の中にはまだ生まれて間もない赤ん坊がいた。
「それでは誓いのキスを」
真新しい指輪のはまった手。ゆっくりと上げられたヴェール。その先で優しく微笑む人を見て、込み上げる愛しさと幸せに胸が一杯になっていく。
この姿を、母マリアは見てくれているだろうか。もしも見ているのなら、言いたい。産んでくれた感謝を、慈しんでくれた感謝を。そして、守ってくれた事への感謝を。
そして誓う、幸せになると。幸せにしてみせると。
沢山の祝福の声を受けて、アリアは幸せな花嫁となったのだった。
END
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