オルトンの結婚式

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オルトンの結婚式

 帝国の風が秋の匂いを運んで来る頃、ボリスの元に一通の手紙が届いた。  それは、兄オルトンとオスカルの妹オーレリアの結婚を知らせるものだった。 「あの兄、最終的にとんだ大物掴まえたよね」  昼食の席、同期と一緒に食べ終えた後でこの手紙を開封したボリスは気の抜けた声でそんな事を言う。むしろ周囲の方がテンションが高いくらいだ。 「お前、オスカル様と義兄弟になるのか」 「そうみたい。あっ、てことはオスカル様はアルヌール様とも俺を通して親族になるのかな?」 「えー、それはちょっと勘弁してもらいたいかも」  突如背後で声がして、思わず多くが驚いて振り向いた。慌てなかったのはランバートとゼロスくらいだ。  かくいうボリスも驚いた。まったく気配が読めなかったから。  そこには楽しそうなオスカルと苦笑するエリオットがいて、同じような封筒を持っていた。 「ってか、フェオドール様経由で親戚ってもう遠縁というか、関係ないレベルだよね」 「そんな事を言わないでください、オスカル。ボリス、おめでとう」 「ありがとうございます、エリオット様。呆れる程鈍くさく気弱な兄ですが、優しく真っ直ぐな愛情は持っていると思いますのでよろしくお願いします」 「弟と同じじゃなくて良かったよ。僕も新年に挨拶したけれど、優しくて礼儀正しいいい人だったよ。まぁ、オーレリアの性格が強いからあのくらい柔らかい方がいいのかもね」 「穏やかそうな方でしたね。お名前を聞いて、驚いてしまいました」 「はは……」  まぁ、この弟からあの兄は想像出来ないだろう。何せ色々と違い過ぎるのだ、見た目から。 「ところで、ボリスにも招待状が届いたのですから出席するのですよね?」 「あ…………いや」  エリオットの問いかけに、ボリスはばつの悪い感じで口ごもった。  それというのも、フェオドールの事で揉めてから母とは一度も話していないのだ。  理解を示してくれたオルトンとは今も交流があり、こちらの事も話している。恐らく今が一番兄弟仲がいい。  その兄を通して父には色々とこちらの話が流れているという。同じ職場で同じ職人で師弟でもある。二人きりで話すタイミングは多い。  だからこの二人はボリスが帝国を離れてクシュナートへ行く決断をした事を知っている。寂しがったが、大事な人といる決断だと分かってくれた。  が、母には何一つ伝わっていないのだ。  この様子にエリオットは心配そうな顔をする。が、オスカルはスッと胸元の隠しから一通の手紙を取り出した。 「あの、これは?」 「お茶会の招待状。差出人は僕の妹ね」 「もしも貴方が結婚式への出席を渋るようなら渡して欲しいと言われていたのです。少し、話がしたいそうですよ」 「結婚相手の弟とは言え、男と二人で?」 「残念、街のカフェのオープンスペースだから大丈夫」 「……すっぽかしたら?」 「結婚式当日、僕達二人で簀巻きにしても連れてこいって」 「うわぁ、コワ」  これがやれる実力の無い人の言葉なら怖くないのだが、この二人……特にエリオットはきっと可能だ。秒で捕まる気がする。そしてボリスは無駄な抵抗はしない主義だ。  何を話す事があるのか分からない。そもそも説得されても行く気はない。が、話は聞こう。そのうえでこちらの意志を伝えよう。ボリスはそう決めてお茶会への出席を承諾した。 ◇◆◇  平日の午後に半休を取るなんて久しぶりな気がする。  招待状にあったラセーニョ通りのカフェはオープンな場所とは言え席の間隔は広く、行き交う店員もきっちりと上流の教育がされている感じがした。  案内された席は窓際の一角。そこに、藍色のサマードレスを着た黒髪の綺麗な女性が座っていた。 「お待たせしてすみません、オーレリア様」  遅参を詫びて軽く一礼すると、彼女はスッと背筋を正して立ち上がりスカートを軽く持ち上げ一礼した。 「こちらこそ、お忙しい中お呼びしてしまってすみません。オーレリア・アベルザードと申します。兄達と弟がお世話になっておりますわ」 「ボリス・フィッシャーです。こちらこそ、オスカル様とエリオット様には大変お世話になっております」 「あら、オスカル兄様は良くても医師のエリオット兄様のお世話にはあまりなってはいけませんわ。ご自分を大事になさってくださいませ」  そう、鈴を転がすような軽やかな様子で笑う人は流石オスカルの妹という感じがした。優雅で気品があり、同時に強い。  本当にこの人をあの兄が掴まえたのかと思うと、世の中分からない事が多いなと思ってしまった。  促されて席につき、程なく紅茶が運ばれてくる。ケーキなども勧められたがそこは辞退した。 「本当に、本日はお時間を頂きましてありがとうございます」 「あぁ……あの脅しは些か卑怯ですよ。招きに応じる一択ではありませんか」 「ふふっ、すみません。この機会でなければお話できないと思ってしまい、少々強引な手を使わせていただきました。気分を害した事も一緒にお詫びいたします」 「まぁ……俺も申し訳ないと思ってるからいいけれど」  色んな事が筒抜けなのだろうなと瞬時に悟った。母との確執も、こちらの事情も……この後の事も。だからこそ今を逃がさないと思ったのだろう。  紅茶のカップをソーサーに戻して、オーレリアは真剣な目をする。じっと見つめる目はオスカルに似ている。こちらの底を見つめるような目だ。 「単刀直入に申し上げます。私達の結婚式に来てはいただけませんか?」 「それは出来ません。二人の祝いの席に不純物が混じり、結果幸せな時を壊してしまっては申し訳が立ちません」  母は今も認めていない。更にそこでクシュナートに行く事が知られればまたパニックを起こしかねない。兄の、人生最良の一日だ。母にとっても幸せな一日だ。それを、壊してしまいたくはないのだ。  伝えたボリスに、オーレリアは静かな様子で紅茶に視線を落とす。 「義母様は、ずっと気に病んでいるようです」 「……」 「当時は混乱して、貴方の事やお相手の事を責めてしまった。自分の思い描く貴方と今が違い過ぎて、遠く離れてしまうようで必死だったと」  それは、分かっているつもりだ。それでも今が本当なのだ。それが理解できなければまたぶつかる。これ以上、あの人を傷つけたくはない。 「息子を愛して引き留めたいと思うのは、多かれ少なかれあるのだと私の母も言っていましたわ」 「そうかもしれません。でも、俺は過去の俺には戻れないし、戻る気もないので」 「えぇ、そうでしょうね。でもこのまま離れてしまって、いいのですか? 顔を合わせる事も無く他国に渡って、何かあっても直ぐには戻れないというのに」 「……仕方が無いです」  もう、二年ない。フェオドールの留学終了まで二年を切っている。母と仲違いをしたままというのは確かに心残りだが、今更なんと切り出していいかも分からないのだ。  ボリスの言葉に、オーレリアは笑う。自信に満ちた鮮やかな様子で。 「私達の結婚式が、きっと最後のチャンスですわよ」 「だから」 「大丈夫です。義母様と母は顔合わせ以来お友達になったようです。そして母から、オスカル兄様とエリオット兄様の様子を聞いているそうです」 「え?」  男同士ということを拒絶していたはず。そんな話、聞きたくはないだろうに。 「貴方を、理解したいと仰っているようですわ」 「!」  なに、それ。理解って……。 「母としてはお嫁さんを貰って家庭を築いて孫の顔を見たいという願いはあるでしょう。けれど当人が本当に幸せであれば相手は誰だって祝福できるもの。本当に大切だと思える相手に巡り会えた事を、母として喜べばいいのではないか。そんな事を話していましたわ」 「それ、納得しました?」 「考えておられたようですわ」 「……俺は、俺の伴侶を傷つけられるのを黙って見てはいられない。辛い思いを散々した子だから、これからは俺が露払いをすると決めたんだ。例え実の親でも彼を傷つけるなら近づけたくはない」 「そうね。オスカル兄様がエリオット兄様を守るときも、そんな目をしていましたわ」  苦笑するオーレリアが居住まいを正す。そしてきっちりと頭を下げた。 「貴方と、貴方の伴侶であるフェオドール様へ出席していただきたいのです。最大限の配慮をいたします。式への出席を控えたいというのであれば、せめてその前の親族の集まりだけでもお願いいたします。どうか、義母様に機会を与えてくださいませ」 「やめてよ、そんな……親不孝をしている自覚くらいあるんだから」  何一つ期待には応えられない。そういう自覚くらいはしている。だからこそ気まずいのもあるのだ。  オーレリアは苦笑し、改めてボリスとフェオドールに宛てた招待状を手渡した。 ◇◆◇  これらを持ち帰ったボリスの溜息は深かった。久々の中庭闘技場の真ん中、抜けるような月を見上げている。 「あー、もう! 俺ってこんなに根性無しだったか?」 「お前で根性無しじゃ、結構な人数が玉無しレベルに落ちるぞ」 「ゼロス、下ネタ」 「いいだろ、コンラッド」  声がして振り向けば親友であり悪友二人がニッと笑って酒瓶をぶら下げている。そして当然のように両側に座ってボリスにも酒を置いた。 「笑いものはやめろよ」 「しない」 「デリケートな問題だよね。お母さんと、揉めたんだっけ」 「……どんな顔して会えばいいか分からないレベル」 「「あぁ……」」  なんとも言えない声がハモった。そんな二人を、ボリスは羨ましく見てしまう。 「二人は上手い事やったよね」 「ん?」 「顔合わせ、成功したんだろ?」  この問いかけにゼロスは渋面を作り、コンラッドは苦笑した。 「成功なものか。あの騒ぎを知っているだろ? こちらの準備もなしに強制的に顔合わせして、しかも俺は蚊帳の外だ。あの騒ぎで俺は家族の間で信用を失ったし兄達にからかわれて肩身は狭いし、母はクラウル様を気に入って黒歴史を嬉々として教えているしで立つ瀬が無い」 「あれは自業自得」 「身から出た錆だからな。諦めろ」  あの事件はそれなりに大変だった。とくにクラウルの事情聴取ばりにあれこれ聞かれたコンラッドの精神面が大変だった。冷静で穏やかな気遣いの人が真顔で「もう嫌だ」と呟く姿は同情しかなかった。 「コンラッドだって上手くやったんだろ?」 「大分下準備したからね。それでも不安は多かったよ。特に兄達に会わせるのは怖かった。ハリーは表面上は平気な顔をするけれど、本当は否定の言葉とか弱いし、傷つくから。実際何ヶ月も話をして理解してくれたと思っても、父と兄達の表情は最初硬かった。ハリー、そういうの読むからさ。平気なふりで笑ってても最初落ち込んでたよ」 「愛が深いな」 「二人は結婚しないの?」 「え! あぁ、いや……もう少しこのままで」 「もぉ、俺いなくなるんだからね。その前に幸せになってほしいんだけど」 「話は出てるんだが、先立つものが! 不甲斐ない」 「騎士団はこれで薄給だからな。でも、贅沢しなければ大丈夫だろ? お前、貯めてるだろうし」  ゼロスの言葉にコンラッドは遠慮がちに頷く。まぁ、性格的にコンラッドはそういうところきっちりしていそうだ。 「できればちゃんと式を挙げて、うちの親に見せてやりたいんだ。あと、バスカヴィル伯爵にもご挨拶をしたいと思っていて」 「行けよ」 「どうも、あまり具合が良くないみたいなんだ。大分高齢だというし、突然押しかけてこんな話をしたら体に障るかと思って」 「それこそ急いで行けよ。これで亡くなった後だと余計に後悔するぞ。チェスター見ただろ」  それは昨年の冬の事。元々体の具合が悪く療養していたチェスターの養父が亡くなり、彼は一時大変混乱して追い込まれた。  あの時の彼は普段の人懐っこさもなくなり追い込まれ、最終的にバカな事を考えていた。  あんな姿は見たくないものだ。 「行ってやれよ」 「……そうだな。ハリーに話をして行ってみる。今ならまだ雪の前だしな」 「それがいいよ」  吹っ切れたのか、コンラッドが笑う。それを見て、ボリスは何となく考えてしまった。 「俺は、行けそうにないよ」 「行けよ」 「なんて言えばいいのさ。散々啖呵切ってきたってのに。兄貴の結婚式で母親大号泣で半狂乱なんて笑えないだろ?」  その可能性はある。それにそこでまたフェオドールを貶められたらこちらだって黙っていられない。元々喧嘩っ早い性格だ。  だがゼロスは真剣な顔をして首を横に振った。 「清算しとけ」 「えー」 「真面目な話だ。お前はこの後クシュナートに渡って、外交官になるフェオドール殿下の専属護衛になるんだろ」 「そうだよ?」 「……その命がいつまであるかなんて、分からないんだぞ」  その言葉は、案外重かった。  幸いにしてボリスはこれまで死ぬような大怪我をしたことはない。細かな怪我は多いし、跡が残るような事もある。だが明確に死にかける程の怪我はないのだ。  だがそれは、たまたま幸運だっただけだと分かっている。  ランバートは死にかけた。ゼロスだって危なかった。ファウストなどもそうだ。そして、命を落とした同期や先輩、後輩を見てきた。この世界は命がいつ消えるか、選べないのだろう。 「国の重鎮となるだろう人物の護衛だ。そしてクシュナートの外にはまだ敵国がいる。三国の同盟を橋渡しするフェオドール殿下を邪魔に思う輩など五万といる。それを相手にお前はこれから戦うんだ。そして、フェオドール殿下よりも後に死ぬ事はないだろ」 「ないね」  それだけは断言できる。守り切れないとしても彼を置いて逃げたりする事は絶対にしない。命が惜しいなんて思っていない。天秤の比重は常にフェオドールの方にあるのだ。 「それなら、後悔のないように片付けていけ。例えそれが苦くても、整理つけるのと付けないのでは後々の感情が違う。それに、逆だってある」 「ん?」 「お前の両親に何かあっても、お前は直ぐに駆けつけられないだろ」 「……」  それは……そうなのだろう。  クシュナートから東の森を通ると通常十日以上かかる。そこから王都まではまた五日以上。そもそも知らせが届いた頃にはもう……なんてこともあり得る。船だって数日かかるのだ。 「行ってこい。先方もそれを許してくれるんだ。お前の為にも整理しておけ」 「……お節介」 「これで友人だからな」 「ゼロスは心配性だからね」 「コンラッド」 「くくっ」  照れてしかめっ面をするゼロスをコンラッドが笑う。そんな二人を見ていたら、少しだけ前を向ける気がした。 「明日、フェオに話してみるよ」 「あぁ、そうしろ」 「頑張れよ、ボリス」 「ん」  離れるというのに、背を押してくれる友がいる。これもまた、有り難い事なのだろうな。 ◇◆◇  翌日は安息日前日。ボリスは外泊届を出してフェオドールの所にいた。  出迎えてくれたフェオドールは来るのが分かっていたみたいだった。そしてテーブルの上に見覚えのある封筒があった。 「こっちにも来てたんだ」 「オルトンさんがわざわざ持ってきてくれたんだよ」 「え?」  苦笑するフェオドールに驚いて見ると、彼は確かに頷いた。 「結婚式に出席してほしい。母の事は何があってもこちらで責任を持つからと」 「……行きたい?」  この問いかけにフェオドールは少し詰まった。それでも一つ、しっかりと頷いた。 「分かってもらえるかは自信がない。でも私はボリスの伴侶として……これから守ってもらう者として挨拶をしたい。お前の命を預かる者として、感謝とお詫びを」 「いや、詫びはいらないから。これは俺の決断でもあるの」 「でも!」 「悪い事してないのに詫びないの、王族が。もぉ、しっかりしてよ。弱腰外交なんて一番ダメなんだからね」 「分かってるよ!」  まぁ、その気持ちだけもらっておくけれど。  なんて、ボリスは苦笑した。  だが、フェオドールがその気というのは困った。……いや、ある意味いいのかもしれないが。  考えて、ようやくボリスも腹を括った。 「じゃあ、一緒に行こうか」 「……いいのか?」 「……うん。俺もいい加減逃げていられないし、ケジメはつけないといけないからね」  どうなるのか分からない。けれど顔くらい見ておかなければきっと気がかりにはなる。わかり合えなくても伝えたい事はある。それを、しに行くのだ。
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