第6話 焚火

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第6話 焚火

f9ee3adb-9740-4cc9-80ed-6f7a130fa36d  焚火の炎が、ヴィクトルの顔をオレンジ色に照らしている。  彼の横顔を見つめながら、私は心の中で微笑んだ。  真剣な視線、聞き耳を立てる姿、全てが愛おしくて。 「ヴィクトルは、、『海獣』って知ってる」  と問いかけた。  まるで昔話を始めるおばあさんのような調子で。 「カイジュウって何?」  胸の奥の記憶を探り答える。 「うん、海の獣と書いて海獣。  誰も見たことがないような恐ろしい姿をした、凄く大きな怪物。  海の底からやってきて、人魚や人間を食べちゃうの。文字通り丸呑みにして。」  彼の驚いた顔に、少し遊び心が湧いてくる。 「その海獣、アリアは見たことがあるの?」  彼の瞳は真剣な輝きを帯びていた。  深呼吸をした。  それは深く苦い記憶だったから。 「私も、お祖母様から聞いただけだから、直接はないんだ。  でも私たちは海獣に海を追われたの、だから海はもう私たちのものじゃないんだ。   お母さまやお父様も、私を逃がすために、、離れ離れになっちゃった。」  その言葉で、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。  彼が黙って聞いていたので、私は話を進めた。 「人魚と人間が一つになると、すごい力をもった宝石が生まれるって話はしたっけ?  その宝石を使って、昔は人魚と人間で海獣と戦っていたんだって。」   ・   ・   ・ 「人魚と人間が一つになる時、人間の記憶を引き継ぐ話はしたかのう。」  暖炉で震える炎を背に、私の後ろで温かく囁いたのは、皺が深く刻まれたお祖母様の優しい声だった。 「うん、愛し合う二人が一つになると、ものすごい力を持った宝石が生まれるんだよね。そしてその時、人間の記憶が人魚に引き継がれるって。」  私の頬を伝わるお祖母様の肌のぬくもり。  それが、世界で一番安心できる場所だった。 「そうじゃな、そのとおりじゃ。」  でも、その言葉に疑問を感じた。  眉間に皺を寄せて、ちょっぴり我が強さを感じさせる言葉が飛び出す。 「でも、そんなすごい力があるなら、なんで海を海獣にとられちゃったの?  ババーンって、やっつけちゃえばいいのに。」  一蹴りにするような口調で言った。  戦いの単純さを信じていた私の心に、少しだけ疑問が芽生えていたから。 「・・・アリアよ、賢いお前なら分かってくれよう。  代償も無しに使える力なぞは存在せぬのじゃ。」  心が痛む。  お祖母様の言葉が私の幼い理解を超えてしまう。  でも、それでも納得がいかなかった。私は、自分の小さな拳を握りしめた。 「海獣の出現はあまりに突然じゃった。  多くの都市が消え、そして、多くの命が失われた。」  お祖母様の言葉が、まるで遠くの古い記憶を辿るように、ゆっくりとした口調で語られた。私の胸は何か重たいもので一杯になり、手がぎゅっと毛布の端を握りしめる。 「じゃが、アリアよ。  やつらに対抗すべく、人魚と人間は、力を使うための仕組みを編み出した。  それが力ある宝石、人魚の宝玉じゃよ。」  温かな手に包まれた。  それは安心感をくれる一方で、お祖母様の手の中にある深淵と向き合う恐怖も伴っていた。祖母の目は深く、時間を超えた知識と経験を物語っていた。 「宝玉にはのう、世界を編み直す力がある。」  再び話を始めたお祖母様は、顔に深い影を落とし、力強く言った。  その言葉は私の胸に響き、不安が心をかすめる。 「この世のもつれの如き海獣を解きほぐし、あるべき姿へと戻す力が。」  声が、少しだけ切なげに響いた。  彼女が見てきたもの、感じてきたもの、それは私の理解を超えていた。  しかし、その胸の奥にある悲しみと決意を、私は少しずつ感じ始めていた。 「この力で、何頭もの海獣を屠り、そして押しとどめてきた。」  胸がドキリとした。  力ある宝石、人魚の宝玉。  その力で、我々は戦ったのだと。でも、なぜ? 「どうして、まけちゃったの?」  強く握った拳を自分の膝に突き立て、無理矢理に自分を強く保つように問い詰めた。その問いに対する答えは、ゆっくりと返された。 「心、、、心がな、もたなくなったのじゃ。宝玉を使う人魚たちの心が。」  視界がぼやけた。  何かが違う。何かがおかしい。  口から言うべき言葉が自然に溢れた。 「・・・おばあちゃん、その代償って、なんだったの?」   ・   ・   ・ 「でもね、もう宝石もないし、海獣が現れても逃げるしかないわ。  だから、海が近くなったら周りに警戒して、何か変だなと思ったらすぐに逃げるのよ。わかったわね。」  彼は少し間を置いてから、深い眼差しを向けて言った。 「わかったよアリア、約束する。  でも、もしもの時は僕を宝石にしてね。」  彼の予期せぬ提案に、私は言葉を失った。  驚きのあまり、彼の方をじっと見つめ返すしかなかった。  それでも、すぐに顔を赤らめる彼の頬をつついて、遊び心たっぷりに 「あら、私、愛し合う二人と言ったわよね。  私たちいつの間に愛し合っていたのかしら?」  と伝える。  その言葉で一層赤くなる顔を見て、心の中で思った。  私は、ヴィクトルを宝玉になんかしない。  だって、彼との時間はかけがえのないものだから。  その思いを、彼にだけは必ず伝えたい。
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