第7話 二つの祈り

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第7話 二つの祈り

ad0871bb-c922-4bb5-b4e9-9d02439a2061  最近聞きなれた寝息が、ヴィクトルから聞こえてきた。  健やかなそのリズムを聴くと心が落ち着いてくる。  ほんの二週間前には、こんなことになるとは思いもしなかった。  毛布の中に身を包み、軽く寝返りを打つ。  雨宿りに立ち寄った洞窟の中では、焚火の残り火のみが頼りだった。  ふと思い出す、二人で過ごしてきた日々を。  お祖母様と過ごした家を後にしてから、日が昇り、そして月が昇るのを何度も見てきた。  その全てが今では思い出となって、心の中に優しく温まる輝きを残していた。  ヴィクトルと共にいると、すべてが違って見える。 「見て、あの木々の間から差し込む光。」  彼が指さし教えてくれた景色、見せてくれた視線、彼がいなければ気付かなかった世界の一面を見せてくれた。  彼と一緒にいると、水面に反射する太陽がより一層眩しく、風が木々を揺らす音がより一層甘美に、星々が瞬く夜空がより一層深く感じられた。  彼といることで世界の色彩が増し、音が響き、香りが充満し、感じる全てが鮮やかになったのだ。  いや、私が知らないだけで、もともと世界は鮮やかだった。  ヴィクトルがそのことを気づかせてくれたんだ。 ――― お祖母様に紹介したかったな、彼のこと。  お祖母様なら、どう想いを伝えたらよいか教えてくれたかもしれない。  ふと、毛布の中を嗅ぐ。  ・・・明日は水浴びをしたいな。  彼に臭いとか思われたら、ショックで立ち直れなくなりそうだから。    目を閉じ横になり、寝る前のお祈りをささげる。 ――― 神様、ヴィクトルと会わせてくださり、ありがとうございます。     この綺麗で素晴らしい世界を、ありがとうございます。     どうか見守っていてやってください。 ――― 彼に想いを伝えるその日まで。   ・   ・   ・  夜、目を覚ますと、口の中でいつもと少し違う味がした。  何となく酸っぱい、何となく苦い。  思い出すように手を口元に持っていくと、暗闇の中で何かが手のひらに広がった。  味を変えようと、口を漱ぐため外に出る。  でも漱ぐたびに、味が少しずつ強くなるような気がした。   ・   ・   ・  洞窟の入り口に腰を下ろし、アリアから聞いた話を思い返す。  海からやってくる海獣の存在。  それは、地底都市で学んだ二つの教えとは異なる。  一つ目は、人魚が人を喰らうこと、そして二つ目はその脅威から逃れるために人間が地底へと逃れたこと。  アリアは、人魚と人間が重なり合うことで強い力を持った宝石が生み出され、その力で共に脅威に立ち向かったという話をしてくれた。だが、その事実は教えられず、僕は今まで知らずにいた。  アリアの話が真実だとすれば、なぜ人間は人魚から隠れたのだろう?  思考を巡らせても、謎はかえって深まるばかりだ。  しかし、一つだけ確かなことがある。  この地上は、もう人間のものでも、人魚のものでもないということだ。  地底深くに潜んでいた僕たち人間は、人魚が地上で栄えているものだとばかり思っていた。  だが本当の彼らは、僕たちと同じ滅びの淵に立たされていた。  思考を断ち切り、アリアのことに心が移る。お祖母さんが亡くなった後、彼女はずっと一人だったのだろうか。この閉じ行く世界での彼女の未来を考えると心が揺れる。  もしまた一人になった時、あの花のような笑顔が曇ってしまうのではないか。  重い石が胸を圧迫するような不安が沸き上がる。  例えば件の海獣が現れたとしたら・・・  アリアは言っていた。  人魚の宝石がなければ海獣に対抗できないと。  だとすると、宝石があれば、僕たちは海獣に立ち向かえるのだろうか。 ――― ぼくを宝石にしてと伝えたら、笑われてしまったけど 洞窟の外からは、虫の音が聞こえる。 いつの間にか雨は止んでいた。   ・   ・   ・ 少しせき込み、濡れた手のひらを見つめる。 ――― 神様、もしいらっしゃるならあと少しだけ。     あと少しだけ、彼女との時間を。 ――― 彼女が僕を食べてくれるその日まで。
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