第9話 海ほど美しいもの

1/1
前へ
/29ページ
次へ

第9話 海ほど美しいもの

8688d77d-88c1-4ad7-9776-d5f481e37dec ――― 潮の香りを嗅ぐ前に、海が近いことは分かった。 ――― 丘のを登ると、広い水平線が見えた。  ヴィクトルの手をしっかり握りしめ、一緒に丘を登っていく。  草の匂い、鳥の声、そして心地よい風。  しかし、その全てが待ち受けている光景に比べれば些細なこと、ヴィクトルに耳を傾けると、彼の胸の高鳴りを感じることができるようだった。 「もうすぐだよ、ヴィクトル。」    ヴィクトルの手の温もりに目を閉じる。  彼の期待感、緊張感が伝わってきた。  それは新しい体験への興奮だけでなく、彼が私を信頼しているという実感でもあった。  丘を越え、眼前に広がる壮大な海景色に目を見張る。  無数の光が海面で跳ね、まるで宝石のように輝いていた。  一瞬、息を呑んだ。  そして、ヴィクトルの手をぎゅっと握りしめながら、 「見て、ヴィクトル。これが海だよ」  と優しく声をかけた。  ヴィクトルの驚愕の表情、その目に映る自分の姿、そして一面に広がる海。  これらすべてが、私の心の中で一つの絵を描いていた。   ・   ・   ・  波が静かに砂浜をなぞり、ヴィクトルと私はその美しい情景をただ見つめていた。  太陽が海面に投げかける、きらびやかな光。  静けさが全てを包み込む。  静寂を破ったのはヴィクトルの声だった。 「アリア、見て、海の色。それと同じくらい美しいものが他に何があるか、思いつく?」  彼の瞳が私を見つめていて、微笑みながら問いかける。  それに対し、私はふと考え込み、首を傾げる。 「海ほど美しいもの?それは難しい問題ね、ヴィクトル。」  彼が何を指しているのか、私は心の中で色々と考えてみる。  何となく予感がして、彼の言葉には海の風景以上の何かが含まれていると感じるのだ。  それを見透かしたかのように、彼は笑った。 「君の目、アリア。  君の瞳の色は、まさにこの海と同じ。広大で、深く、そして何より綺麗だよ。」  彼の言葉は、またしても私の心をぴょこんと跳ねさせた。  繋いだ手に、つい力がこもってしまう。  自分の瞳が海の色と似ているなんて、今まで思ったこともなかった。  でも、ヴィクトルがそう言うなら、きっとそうなのだろう。  驚きと共に、心の中で彼の言葉を消化しようとする。 「ヴィクトル、ありがとう。」  気恥ずかしさに目を反らしつつ、私は感謝の言葉を口に出す。  彼が私の目を、海と同じくらい美しいと言ったのだ。  他の誰もそうは言わないだろう。  でも、ヴィクトルがそう感じてくれるのなら、それは私にとっての最高の賛辞だ。   ・   ・   ・  海を見るたびに、ヴィクトルの言葉を思い出す。  彼の言葉は、私に自信と勇気を与えてくれた。  私の瞳は、彼が言ってくれたように、海と同じように美しい。  彼がそう感じてくれたなら、私にとってそれは何よりの宝物だ。 ――― 海と同じくらい美しい。  それは、ヴィクトルが私に与えてくれた、最高の賛辞だった。
/29ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加