2.ぼこぼこプリン

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2.ぼこぼこプリン

「萌ちゃん、ちょっとぉお湯、沸騰しちゃってるよ!」 親友の優美の声に驚いて、 萌子は慌ててガス火を消した。 家庭科研究クラブ所属の萌子。 家庭科室でカスタードプリン作りに挑戦しているのだが、 せっかくのそんな時間も昨日の千風姫ショックが大きくて、 萌子、心ここにあらずだ。 それに明日の土曜日、 千風が温泉街のすぐそばにある神社で YouTubeにアップする動画を撮るというので 母親からその案内を頼まれてしまった。 またあんなにえらそうな口をきかれるのだと思うと気が重い。 萌子はため息をついた。 悪しくも今日は第一回クラブ見学の日。 家庭科室の後ろにはたくさんの4年生の姿が並んでいるときた。 (先輩なんだから、ちゃんとしなくちゃいけないのになぁ) 萌子はそうは思うのだけど、やっぱり気合いが入らない。 「プリンをなめらかに仕上げるためには、 湯煎するお湯をぜえーったいに沸騰させてはなりません。 沸騰させてしまうと、「す」が入ります」 「すー???」 (なんだっけ、それ?) 萌子がぼんやり顔にはてなマークを浮かべているのに気がついた 顧問の山里先生は、 ホワイトボードに書かれたプリンに マジックで穴ぼこをたくさん付け足した。 「すが入るって言うのはね、 スポンジみたいに穴がいっぱい開いちゃうってこと。 当然、なめらかプリンじゃなくなっちゃうわね」 「そっかぁ」 頷く萌子に優しい顔を向けた山里先生は 小百坂小学校に来てまだ2年目の新米先生。 だけどどんな料理を作ろうとも、 先生が失敗したところを萌子はまだ見たことがない。 「はい、見学のみなさん、今日は先輩たちのプリン、 ぜひ食べていってね!」 教室の後ろから「わあ」と小さく歓声が上がる。 意気揚々と先生は言うけれど、 萌子はまったくもって自信がない。 (す入りのプリンで良ければ・・・) と恨めしそうに熱々の鍋を見つめた。 萌子がこの家庭科研究クラブを選んだのには理由があった。 子供の頃からずっとお菓子作りをしてみたかったが、 仕事をしている母はいつもいそがしくて、 うちでのお菓子作りなんて到底無理な相談だった。 だから4年生のクラブ紹介で家庭科研究クラブを見つけた時、 嬉しくて胸が高鳴った。 第一希望  家庭科研究クラブ 第二希望  家庭科研究クラブ 第三希望 家庭科研究クラブ 萌子は希望用紙にそう書いた。 「ねぇ、優美、カテケン一緒にはいろ」 同じクラスの優美はテニスクラブと迷っていたけれど、 一も二もなく三もなく、萌子は家庭科研究クラブ一択だった。 慌てて火を止めたには止めたが、時すでに遅し。 今、萌子の目の前には、 スポンジのごとくすの入ったプリンが置かれている。 粗熱だけはとれたが、まだあたたかい甘い茶碗蒸しのようなプリン。 「さあ、みんな。先輩たちのところへどうぞ」 快活に先生が言い、遠慮がちにだがぞろぞろと4年生が動き始める。 (来ないで来ないで。私のは、でこぼこプリンだから。 お願い。誰も来ないで!) 萌子は心の中で念じる。 (最初っからこんな失敗作食べさせられたら、 できない先輩のレッテル貼られちゃう) 萌子がクラブに入った時も 6年生はとても大人っぽくて優しくて いろいろ手伝ってくれた。 「なんでもできて頼りがいがある こんな可愛い先輩に私もなりたい」と ずっと思っていた。 (今日がクラブ見学の日だったなんて、最悪だ。 あーあ。美しい千風姫があんな性格だったなんて。 昨日のショック、心のキャパ、オーバーだから!) 「さあ、みんな席に着いたかな?」 先生が教室を見回す。 「大丈夫みたいね。ではみなさん、いただきまーす」 優美のところには二人も4年生が来ていて、 「いただきます」と優美に笑顔で言っている。 (ちょっとうらやましいけど、 私はこんな失敗作、誰にも食べてもらいたくない。) 萌子は自分の隣に誰も来なかったことに ほっと胸をなで下ろした。 萌子は目の前のプリンをスプーンですくうと一口、 口に入れた。 ざらざらでぶりっとしている。 けれど、スプーンで底にあるカラメルソースをすくってきて 一緒に口に入れるとまんざらでもない。 たしかになめらかさはないけれど、 でこぼこしている分、なかなか食べ応えがある。 その時だった。 「遅れてすいません」 そんな声がして、 家庭科室の後ろの扉から二人の男子が顔をのぞかせた。 たしか一人はG組の委員長の松本くんだ。 「あれあれ?えーっと君たち、クラブ見学なのかな?」 そう訊ねる山里先生に「はい」と頷いている。 「6年G組の松本です。 本日、先生から転校生の彼を クラブ見学に連れていくように頼まれまして・・・」 「転校生くん、ようこそ家庭科研究クラブに! ぜひ見学していってね」 先生が快活にそう答える。 真面目な口調のめがね君はきょろきょろと家庭科室を見回している。 その後ろで転校生くんは決まり悪そうに下を向いている。 その声に何の気もなしに振り返った萌子は「あ」と小さく声をあげた。 その転校生の顔に見覚えがあるような気がしたのだ。 「萌ちゃんあの人知ってるの?」 素早く近付いてきた優香がささやく。 「ううん、知らない」 どこか会ったことがある。でもどこで会ったのか思い出せない。 「G組の転校生かぁ・・・かっこいい」 優香は興味津々だ。 「で、どうして家庭科研究クラブに?」と先生の声。 「サッカー部とバスケ部にも行ったんですが、 彼が料理に興味あると言うので」 「わかりました。じゃあ、今ちょうど試食していたから、 どうぞ座って。 んーと空いている席は、っと」 (え・・・まさかまさかまさか先生、お願い、やめて!) 萌子は祈るような気持ちで、 教室を見回す先生の視線を避けようと下を向いた。 どの席も埋まっていて、空いている席といったら、 やはり自分の隣しかない。 「あ、清沢さん、お願いします」 「いいいー・・・いや」 (やっぱ、そうなるかぁ) 「プリン、食べさせてあげてね」 「いや、その、先生、私のはほんっとに全然、 あの、だめなんです」 そんな萌子の言葉に先生は「自信持って!」と笑顔で返してきた。 (こんな失敗作を男子に食べさせるなんて、 私ほんと無理!心折れる!) そんな萌子の気も知らず、 委員長は先生の指さすままに萌子の席にやってきた。 後ろからひょこひょこ着いてきた転校生は、 萌子の顔を見るとぎょっとしたように目を見開いた。 (何でそんな顔すんの?) 萌子は一瞬そう思ったが、 次の瞬間、その転校生の顔に釘付けになった。 (あ、思い出した!) その転校生は、千風にそっくりだったのだ。 (千風姫に似ていたんだ。 だけどこんなとこにいるはずない。それにこの子は男子だし) 単なる他人のそら似だと自分を納得させると、 萌子は気を取り直し目の前のプリンを おずおずと二人の前に差し出した。 「いただきます」 委員長が真面目な顔で言う。 隣で転校生も頭を下げる。 二人がプリンを口に入れるのを、 萌子はドキドキしながら見守っていた。 (あー、食べちゃった食べちゃったよ、どうしよう!) 「おいしいです。」 委員長が言う。 「え、ほんとに?」 「はい。おいしい、ですよね?」 転校生に同意を求める。 すると「あ、うん。」転校生は下を向いたまま、 小さな声で言った。 「でこぼこで、ぶりぶりだけど、まあ・・・おいしい、かな」 「えー、そんな言い方・・・」 (ちょっと失礼だよ、転校生くん) 情けなさそうな萌子の顔を見上げると 「子供んとき食った母さんのプリンみたい。 なっつかし!」 とニコッと笑って見せた。 萌子の胸がきゅんとなる。 (なんだ、すごくいい子じゃん!) いつの間にかそばに来ていた山里先生も ニコニコ笑いながらその言葉に頷いた。 「実はね、先生も結構好きなんだ。 すが入っていても、それがかえって素朴な感じで、 そこに苦めのカラメルソースが絡まって、 おいしいよね! やっぱり手作りっていいなって思う」 萌子はその言葉を聞くと、 とても嬉しくなった。 転校生君は大口をあけて、 あっという間に全部たいらげてくれたし、 すの入った失敗プリンでも 作ってよかったと思った。 その後クラブ見学を終えた 4年生は教室から出て行った。 松本くんと転校生くんも 「ありがとうございました」 そう言って教室を出て行く。 廊下に出る時、 転校生くんは振り向いて、 萌子にちょっとだけ会釈した。 「えーっと、あの・・ おっ、お粗末様でした」 慌てて萌子もそう返す。 彼らが言ってしまった後、 萌子は興奮さめやらず、 あと片付けの間中 ニヤニヤ笑いが止まらなかった。 優美もつられてニヤニヤしながら 「よかったねぇ」と言った。 それから 「あの転校生くん、 なんか素敵じゃない? 髪とかさらっさら」 とつけたした。 二人で校門を出ると、 脇道にいつものように 優美のお母さんの車が 停まっているのが見えた。 毎日、優美は送迎してもらっている。 「お母さんは過保護すぎなんだよ」 と優美は言うけれど、 なんでも一人でしなくてはならない 萌子にとってはうらやましいかぎりだ。 バイバイと手を振って、 優美が車に近付いていく 後ろ姿を見送った。 いつもなら作ったお菓子を ラッピングしてうちに持ち帰るのだが、 その日はプリンを食べてしまったので、 てぶらだった。 (でも別にいいか。 お母さん、ゆっくり食べて 感想を言ってくれたこともないし。 でもおばあちゃんは いつも楽しみにしてるから がっかりするかな) 祖母は萌子にはとても優しかった。 きっと、旅館の仕事を すべて萌子の母に任せてしまって 後ろめたい気持ちもあったのだろう。 実家が旅館の父の元へ嫁ぐ ということは 女将になるということだと 母が腹をくくって 飛び込んできたのを 知っていてもなおさら、 まだ幼い萌子から 母親を取り上げてしまったような 良心の呵責にいつも さいなまれていたのだ。 萌子は旅館の裏口から中へ入ると、 階段で祖母のいる事務室へ上がっていく。 「おばあちゃん、ただいま」 「おかえり」 事務室の一角には小さな座敷があった。 いつでも祖母が休めるように、 と父がリフォームして作らせたのだ。 その三畳ほどの畳の間に 小さな座卓がおいてある。 萌子はスニーカーを脱ぐと 畳に上がった。 「今日はクラブだったの?」 「うん。疲れた-」 足を投げ出してだらりと力を抜いた。 「何を作ったの?」 「プリン」 「お土産は?」 「今日はないんだ」 「そうなの?がっかり」 祖母はいたずらっぽく笑う。 その笑顔がとても可愛いと、萌子は思う。 座卓の上には、 いつもの温泉まんじゅうがおいてあった。 萌子は祖母の入れてくれたお茶を 一口飲むが、 まんじゅうに手を出すこともしない。 この旅館の厨房には板前はいても、 パティシエの姿はない。 子供の頃から萌子のおやつといったら お客様の夕食のデザートの ゼリーの切れ端やら 抹茶のわらび餅やらで、 その中でも飽きるほど食べたのは お茶請けの温泉まんじゅうだった。 甘いサクサクのクッキーも、 生クリームたっぷりの ショートケーキも、 バターの香るフィナンシェも、 萌子にとっては ずっとずっと遠い憧れの世界だったのだ。 いつしかその憧れは夢になった。 萌子は将来パティシエになりたい と思った。 それならばまずは手始めに 少しずつでもスイーツを作ってみよう。 そんな萌子にとって、 カテケンはいつしか心のよりどころに なっていたのだ。 「さて、と。仕事はこの辺にして、 お夕食頂きに行こう」 祖母はそういうとデスクに広げた 帳簿をパタンと閉じた。 座卓に宿題を広げていた 萌子もその声を合図に顔を上げる。 お客様の夕食の準備もそろそろ仕上がり、 祖母と萌子の分のまかないも 用意されているだろう。 家族はみな一所にいるが、 一緒にいるようで、 実は家族という実体はないに等しい。 おのおのが自分のことだけをしていて、 交わらない時間軸で動いていた。 6年生になってからは萌子は大人扱い。 もう一人でなんでもできると思われていた。 毎日夕食をすませると、 祖母と一緒に暗い家に戻る。 祖母よりも先に家に入ると明かりをつけた。 廊下を進み居間に入っても、 一番乗りの自分には、 いつもシンとしていてなんだか冷たい、 と感じる。 祖母はもともと賑やかな年寄りではないし、 一日働いて帰ると さすがに疲れているのだろう。 さっさと風呂に入って寝てしまう。 萌子は毎日おしゃべりする人もいず、 ただ静かに明日の用意をする。 それからYouTubeを見たり、 優香にラインしたり、 そして九時半になるとベッドに入る。 そうやって一日を終えるのだった。
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