3.やっぱりそうなの?

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3.やっぱりそうなの?

土曜日。 朝八時半。 「きよさわ屋」のロビーは、 ふたたび初老のご婦人たちでごった返していた。 皆、手にはスマホを握りしめ、 今か今かと九藤千風の到着を待ち構えている。 ロビーの片隅では冷めた目で その混雑ぶりを見つめている萌子の姿。 その日は、千風から頼まれた YouTube撮影の日だった。 温泉街から見上げると、 すぐそこの山にあるように見える 神社への道案内。 地元の人からすれば 簡単に行けるのであろうが、 土地勘のない者からすれば たどり着くのは難しい。 見ているのと実際に行ってみるのとでは たいてい大きな差があるものなのだ。 (なんだか気が重いな。 この前楽屋を訊ねたときに 機嫌をそこねちゃったし) 萌子は女将からの仕事 を安請け合いしてしまったことを 悔いていた。 そこへ長い髪をなびかせながら 颯爽と千風が現れた。 今日は漆黒の袴に編み上げブーツの ハイカラさんスタイルだ。 青藤色の着物が白い肌を一層引き立てている。 「千風姫ぇ」 「美しい!!!」 そんなファンたちの声に満面の笑顔で 答えながら、 ロビーを横切ってくる。 そして萌子の姿を見つけると、 「おい、お前、行くぞ!」 と手招きした。 「なになに」 「えー誰を呼んだの?」 「なによ、あの子!!!」 興味津々のファンたちの視線が 次々と萌子に突き刺さる。 萌子は下を向いたまま さっさと前を行く千風の後ろからついて行く。 (やっぱり、えらそうなんだから) 萌子はそう思ったが、 最初からつんとしているわけにもいかず、 むりやり笑顔で顔を上げた。 「おはようございます」 「うん」 千風はこちらを見ようともしない。 「あのぉ、他の劇団の方は・・・」 さっさと歩みを進める千風に 必死で追いつこうとしながら 萌子は訊ねた。 「一人だけど」 「な、なんで」 (それならお母さん 絶対オッケーしなかった!) 「なんでって、スマホの動画撮るのに そんな他のメンバーいる? お前一人いれば撮れんじゃん」 (けど知らない人と二人で山って、 ないない、ないでしょ-!) 「え?え、え?YouTubeって まさか私が撮るんですか?」 「あったりまえだろ。じゃ、お前、 なんのために来るわけ?」 「案内を頼まれたので」 「案内?」 「神社までの道案内です」 「それだけなら必要ないだろ。 こっから見えてるじゃん。 一人でも行ける」 「いやぁ、それはちょっと無理、 だと思います。 近く見えますけど意外と遠くて、 複雑でちっちゃい道が 入り組んでまして・・・」 千風は突然立ち止まった。 無理無理と手を横に振りながら、 いつのまにかにへら笑いを 浮かべている 萌子に不機嫌そうな顔を向けた。 「とにかく、 昼からは今晩の出し物の 準備がある。 午前中には終わらせたい」 きっぱりと言い放つ千風に もう反論は無用だ。 「・・・はい」 頷いた萌子と千風の間には 次々にファンが割り込んでくる。 「千風姫、サイン、ここに!」 初老の女性たち容赦なし。 「姫!姫!」 差し出された色紙に 手早くサインをする千風。 いつのまにか元の笑顔だ。 次の瞬間、千風は萌子の腕を引き寄せ 耳元に唇を寄せた。 「裏口どこだ」 突然のことに萌子は真っ赤になった。 (うわはずかし) そんな千風のふるまいに、そこここから ブーイングの声が立ちのぼる。 「離れなさいよぉ」 「いやー!」 (怖いー) 萌子はその声に震え上がりながら、 すぐそばにある千風の顔から 目をそらした。 その時、突然昨日の転校生の顔が 脳裏にフィードバックした。 (やっぱ、あの転校生と千風姫はそっくりだ) 千風の腕をほどくと「こっちです」 と小走りになった。 (でもでもでも、そしたら九藤千風は 男の子ってこと・・・? ううん、やっぱりそんなわけない、よね) 先に駆け出すと、もう後ろを 振り返る余裕もない。 (なんでこんなにドキドキするんだろう) ファンの間をすりぬけ、 二人は裏口から旅館の外へ出た。 ファンたちはそのあまりの素早さに 二人の姿を見失ってしまったに 違いない。 それにしても、千風の姿は目立って しようが無い。 せっかくファンから逃れたというのに この風貌ではまた人の目を引いてしまう。 「千風姫、その格好なんとかなりませんか。 目立っちゃうんですけど」 「なにをどう変えろっての? これがありのままの姿だ」 千風がじっと萌子を見つめる。 (だめだ。目力強すぎ) 萌子はなんとか目をそらすと、 とにかく中心街から早く離れようと 足早になった。 山道にさしかかると 数分しかたっていないというのに、 萌子は息が苦しくなった。 考えてみれば神社に上るのは 久しぶりだ。 幼い頃は遊び場だったのに 高学年になった今では もうここに来ることは なくなった。 忘れていたけれど、 この急な山道は心臓破りの坂と 呼ばれていたのだ。 (あの頃はすごく近いと 思っていたのにな。) 萌子は千風のことが心配になって、 後ろを振り返った。 (袴にブーツでしょ、そりゃきついわ) しかし、萌子の想像とは裏腹に 千風は山肌の石段を飛ぶように 駆け上がってきた。 (ええ-???) 萌子をすぐに追い抜き、 その後ろ姿はどんどん離れていく。 萌子はぜえぜえ言いながら、 それを追いかける。 (ま、待ってぇ。・・・しんどすぎる) 膝に手を当てて、休憩。 また十メートルほど上って、休憩。 そんな萌子に向かって、 前方遠くから千風が叫んだ。 「おい、道案内、ここの分かれ道、 どっちだ?」 「ふえー、右です右。 右に上がってってください、 ていうか、危ないからそこで待って、 ちょっと待ってくださーい」 「ったく、役に立たねえ道案内だなっ」 千風のぶつぶつ言う声が聞こえてくる。 かなり大きな声のぶつぶつ文句だ。 絶対わざと聞こえるように言っているに 違いない。 萌子は腹立たしくて 早く追いついてやりたいと思うけれど、 思うように足が上がらない。 そんな自分が情けなかった。 「はあーやっと着きましたぁ」 持ってきたペットボトルのお茶を グビグビ飲みながら、 萌子は一息ついた。 千風は空に張り出した崖上に立って、 眼下に広がる街を見下ろしている。 崖の先端に強い風が吹いて、 千風の長い髪をなびかせている。 (うわ、綺麗・・・) 萌子はその姿にみとれてしまう。 (そうだ。千風姫は文句なしに綺麗なんだ。 千風が男の子だなんて、 そんなことやっぱりありえないよ。) 萌子は素直にそう思った。 (まあ性格はちょっと男みたいだけどね) ゆっくりと立ち上がると、 千風の方へ歩いて行く。 「どこで撮影します? どんなストーリーなんですか?」 「ほい、これ」 千風が薄い冊子を渡してくる。 「なんですか、これ」 「台本。 これに書いてあるとおりにやるから」 「へぇ、ちゃんとこんなのあるんですね」 「そりゃ、あるに決まってる」 「私もいつも見てます。千風チャンネル」 「え、そうなの?」 「なんで驚くんですか」 「そだな。なんで驚いてんだろな」 千風がそう言って笑うと 一瞬照れたように目をそらす。 萌子はそんな千風の顔を見た途端、 急に距離が縮まったような気がして 胸が高鳴った。 「この崖の上に立って、 こう、飛ぶみたいに手、 広げるからそれ撮影して。 ぜーぇったい 風吹いてる瞬間を狙えよ!」 「あ、はい。了解しました!」 千風が手を広げる。 着物の振り袖が青く舞う。 「綺麗・・・」 萌子がみとれてつぶやいたその時、 思わぬ突風が吹いてきた。 「うわっ」 「千風姫っ!」 ぐらりとバランスを崩した千風の体が 宙に浮かんだ。 その瞬間、ほとんど反射的に 萌子はジャンプしていた。 (落ちちゃう!!!) しっかりと千風の体を捕まえる。 (捕まえた!) ズドーン (た、た、助かった?) 子供の頃からずっと崖の先は 絶壁だと思っていた。 怖くてのぞいてみることも できなかった。 でも一段下がったところには 草っ原があったのだ。 「痛ぇっ」 千風の体を下敷きにして、萌子は落ちた。 「きゃあ、 すいませんすいませんすいませんっ」 「どけっ」 千風は萌子を押しのけると立ち上がった。 「ったく、何すんの、お前」 「わわわースマホがぁ」 落ちた衝撃で投げ出してしまった スマホが草むらに飛んで入ってしまった。 「スマホがありませんっ」 「探せぇ」 「はいっ」 千風の目が怒りでつり上がっている。 萌子はあせりながら 草むらに頭をつっこんだ。 「確かこの辺にあるはず・・・んぎゃっ」 萌子の悲鳴に千風が慌てて飛んでくる。 「どうしたっ」 「ひやーん、蛇です蛇ですぅ」 「だめだめだめ、自分も蛇、だめ!」 千風と萌子は一緒になって、 崖の断面に飛びついた。 身軽によじ登った千風が 萌子に向かって手を伸ばす。 「ほら、つかまれ」 「え」 「早くつかまれって」 「はいっ」 その時ふわりといい匂いがする。 千風の体からだ。 萌子は息を吸い込んだ。 崖の上に引っ張り上げてくれた千風の手は がっちりと大きく力強かった。 (やっぱり女の子とは思えないくらい、 千風姫、力、強い) 「やっぱだめだ。 お前と来たのが失敗の元」 「え」 「今日はもうやめる。気分乗らない」 「そんなぁ」 萌子をひっぱりあげてしまうと、 千風はぷいとそっぽを向いてしまった。 そしてぶらぶらと崖の先に向かって歩き出すと その場にふわりと腰を下ろした。 さっきまで目をつり上げて 怒っていたのに、 いつのまにか千風の顔は 穏やかになり、 眼下に広がる温泉街を 見下ろして深呼吸している。 萌子もおそるおそる近付いて行くと 隣に腰を下ろした。 「まあ、たまにはいいな。 こうやってゆっくりすんのも。 いい景色だもんな」 萌子の方を見もしないけれど、 千風の声は優しかった。 「あ、はい。 あたしもここから街を見下ろすのは なんだか久しぶりです。 自分の住んでる街なのに、 久しぶりだなんて変だなぁ、 どうしてだろう。 へへへ」 萌子は自分でそう言ってみて、 急にしんみりとなった。 このごろは よく旅館の手伝いをするようになった。 いつの間にか大人扱いされる中で 学校の行き来と仕事に追われている。 頼りにされるのは嬉しいし、 役に立ちたいといつも思っている。 だけど家にいても落ち着かない。 旅館にいても落ち着かない。 ふと自分の居場所は いったいどこなのだろうと考えることもある。 「・・・お前さ、もう敬語使わなくてもいいから」 「でも、千風姫はうちのお客様ですから」 「お客様というより、取引先じゃね? そっちのオファーで芝居してんだから」 「オファー???」 「簡単に言うと、 提案とかそういった感じだ」 「あ、ですね。ですね」 「ほら、また敬語だ」 「いきなり使わないってのも ・・・難しいです」 「難しいなら別にいい。 なんとなくそう思っただけだ」 千風はぷいと目をそらしてしまった。 その時だった。 背後に人の気配を感じ、 二人は同時に振り返った。 するとそこにはトレーナーのフードを 目深にかぶった男が立っていた。 顔が見えないせいで年齢不詳だが 背はそれほど高くなく がっちりとした体形をしている。 千風はとっさに萌子を 自分の背中にかばった。 「あ、あの千風姫・・・さん」 その男は千風の名前を呼んだ。 「僕、あの、 座長に言われて来ました」 その言葉に千風は少し警戒をゆるめた。 そして急に千風姫という人格になった。 「え?っと、座長から、ですか?」 急に言葉遣いが美しくなる。 相手が誰だかわからないうちは 演技をしておくほうが 無難だというわけか。 小首をかしげてはにかむようなしぐさ。 さっき萌子と二人だった時とは全然違う。 「・・・すいません、 僕、今日から一座にお世話になります。 小野田といいます。 よろしくお願いします。」 その言葉に千風はポンと手を打った。 「あ・・・小野田さん、 あの新しく入られた方ですね。 座長からお名前聞いてます。 で、こんなところまで?」 「YouTubeの動画とるの手伝うようにと」 男はおずおずと言った。 「得意分野なんで」 「そうでしたか。 でももう今日はやめたんです。 気分のらなくて」 可愛らしく千風がそう言った。 その隣で萌子は不思議に思っていた。 (この人、よくここまでたどりつけたなぁ。 道、地元の人しか知らないのに。 たまたまこの辺に詳しい人だったのかな) その小野田と名乗った男は トレーナーのフードをかぶったままだし、 瞳をちらちらと上げることはあっても しっかりと相手の目を見て話さない。 でも千風はそんなこと気にならないようだ。 「おお! 九藤 千風、ほんとにいたぜ!」 (何?今度はだれ?) 萌子はその大声に振り向いた。 するとそこには萌子の幼馴染 芦熊 光(あしくま ひかる)が 制服姿の中学生二人を ひき連れて立っていた。 短く刈りそろえられた黒い髪と太い眉、 その下で大きな目が鋭い眼光を たたえていた。 「(ひかる)?・・・なんでここに」 萌子は思わず口走った。 「お前こそ 何でこんなところにいるんだよ」 光は萌子がいたことが気に入らないのか 憮然とした態度だ。 芦熊 光(あしくま ひかる)は 温泉街にある酒屋の息子だ。 「きよさわ屋」をはじめ、 多くの旅館が芦熊商店から 酒類を仕入れていた。 温泉街の子供たちは みんな一緒に育ったといってもいい。 以前は光と萌子もとても仲が良かった。 低学年の時は一緒に通学したほどだ。 しかし二年前に起きたある事件を きっかけに 光は変わってしまった。 今ではその不良ぶりは温泉街でも有名だ。 中学校の不良たちとつるんでいる という噂どおり、 一緒にいるこの中学生たちも 不良グループの仲間なのかもしれない。 (でも私は光が不良だなんて 信じられないんだよね) 「オドコ会隊長 芦熊は 千風姫のガチファンなんだ」 光の連れの一人が えらそうに言った。 その時、光の顔を見て 小野田が びくりと体を震わせた。 「YouTubeチャンネル  フォロー中!!!」 そんな小野田にはおかまいなしで へらへらと中学生が言った。 「いや、ありがたいんだけど 今日はもう動画撮らない。 気分乗らないし、帰るとこだ」 千風はいつもの調子にもどって えらそうに言い放った。 「じゃあ時間あるだろ」 中学生の一人が言う。 「ちょっと付き合えよ、 千風ちゃん!」 二人の中学生が迫ってくる。 しかし光は萌子がいるせいなのか、 近づいて来ない。 「おい、どうした、光。 お前のあこがれの千風姫だぜ。 なんで来ないんだよ」 そう中学生に言われても無表情で 突っ立っている。 「ちぇっ。つまんねぇやつだな せっかくなのによ」 「なぁ、千風ちゃん、握手してよ」 「あ、そこの女子もかわいいじゃん」 (え、私?ちょっと怖いんだけど) 萌子は中学生の一人が自分に向かって 歩いてくるのを見て 恐れおののいた。 中学生の手が伸びてきて 千風に今にも届きそうになった時、 フードをかぶった男が いきなりその手を払った。 「なんだ?てめぇ」 いらっとした大声が 山にこだまするほど響いた。 (きゃー!怖いっ) 萌子は震えあがった。 「ぼ、ぼ、僕はっ、 看板女優を まっまっ守るのも 仕事なんでっ」 フードの男の声が震えている。 本当は彼も怖いのだ。 それが伝わってきて、 萌子はますます 怖くなった。 「るっせぇんだよ」 中学生がこぶしを振り上げて 向かってくる。 それを避けた時 男のかぶっていたフードが わずかにずれ、 乱れた髪の間から 男の耳がのぞいた。 男は慌ててフードを引っ張り 顔を隠したけれど 萌子はそれを見逃さなかった。 (とがった右耳!あれは・・・) 萌子の脳裏に光の言葉が よみがえった。 事件の後、 光が萌子にだけ打ち明けたこと。 「誰にも内緒だけど 俺、見たんだ。 男の耳、 悪魔みたいにとがってた」 二年前に起きたあの事件の犯人。 「お母さんに言いなよ」 「いや、だめだ。 母さん、自分を責めているから ・・・言えない」 光はあの時そう言っていた。 「なんで?お母さん、被害者でしょ?」 そんな萌子の問いに、 光自身も答えられなかった。 ただ母親が「私が悪いの」 そう繰り返しているのだという。 だから二人とも この「とがった耳」の事は 他の誰にも言っていない。 二人だけしか知らない。 あれから光はずっと犯人を 捜し続けているのだ。 笑顔を消して、心をさまよわせながら。 萌子は光の顔を見た。 けれど光の表情に変化はない。 (今の、見なかったの?) 山蝉の合唱が 耳をつんざくようだ。 「お前ら、もうやめとけよ」 ふいに光が口を開いた。 「なんでだよ、せっかくなのに」 中学生が不満げに言ったが、 それには答えずに 「もう行けよ」 と光は萌子に言った。 オドコ会の隊長は光なのか、 中学生たちはそれっきり黙ってしまい、 もう何も言わなかった。 「おい、行くぞっ」 その声にはじかれるように 萌子は立ち上がった。 千風は 萌子の手をとった。 目の前で漆黒の髪が風になびいた。 身のこなしは軽く 木々をすりぬけ、 疾風のように 山中の細い崖道を まるで獣 美しく駆ける千風 その手に引かれて 萌子も山道を駆けぬけた。 そして萌子たちが姿を消した直後 「おいっ待てよっ」 山上では男も隙を狙って 光たちから 逃げ出した。 その逃げ足はとてつもなく速く、 勝手知ったる様子で あっというまに急な山道を 駆け下り、 藪の中へと消えて行った。 「くっそぉ!!! あいつ逃げやがった!」 中学生たちは地団太ふんで悔しがった。
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