5.混迷のロールケーキ

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5.混迷のロールケーキ

「委員長、これ先生にたのむわ」 その日の授業が終わったあと、 千風は廊下で委員長を呼び止めた。 手には、 本名の「九藤 康介」と記入している クラブ活動登録用紙。 「家庭科研究クラブに入るのですか」 「うん。俺ここにいられるの、 たぶん長くて2ヶ月くらいだし、 放課後は結構忙しいから そんなに参加できないと思うけど」 千風は答えた。 「俺さ、甘いもんめちゃ好きだし」 「コンビニでもいろいろ売っていますけど」 「ま、そうだけどさ。おもしろいじゃん。 なんか自分で作るのって」 「それで、質問なのですが、 九藤君はなぜ二ヶ月くらいと 言うのでしょうか?」 「俺?転校族なんだ。 家庭の事情ってやつ」 「スパン短いですね? まるで旅芸人のようですね」 その委員長の言葉に 一瞬千風の瞳が揺れた。 でもその瞳をすぐにそらすと 「まさに、そう。まさに旅芸人!」 冗談ぽくそう言って笑った。 放課後、委員長は千風と一緒に家庭科室までやってきた。 「あれ、委員長も一緒に来てくれんの?」 「理科の実験のようで面白いと思いまして」 委員長はそう答えて恥ずかしそうに笑った。 家庭科室の中では、山里先生が新入部員を待ち構えていた。 「ややや?もしかして君たち、入部希望者?」 その問いに、委員長が満面の笑顔で 「はい!男子二名!よろしくお願いします」 とぺこりと頭をさげた。 それを家庭科室の奥で ボウルを用意しながら見ていた優香が 萌子を肘でつついた。 「あの子、入部するんだって!」 萌子はボウルを胸に抱えたまま 転校生君を見つめた。 (あれはやっぱり千風姫だ・・・) 昨日の神社での出来事が フラッシュバックする。 自分の手をつかんだ千風の手。 千風の匂い。 千風の背中。 こちらをふいに向いた彼と 一瞬目が合う。 彼は無表情に 萌子の視線を受け止めたが、 すぐに瞳を反らしてしまった。 それから、先生は新入部員ひとりひとりに 自己紹介をさせた。 その間、萌子は 千風がなんと名乗るのだろうと 気が気では無かった。 千風の番が来て、 「九藤康介です」 と彼が名乗ったとき、 他の部員たちと同様、 ぱちぱちと小さな拍手を繰り出しながら 胸をなでおろしていた。 (そりゃそうよね。 千風はSNSであんな人気なんだもん。 芸名を名乗るわけない。 男の子ってばれたら大騒ぎになっちゃう) 目の前の千風は無愛想で、 長い前髪で瞳を隠している。 (メイクしてなきゃ、 みんなにはわかんないかも。) まったく人ごとなのに、 萌子はそう思うと 少し安心するのだった。 「さて、と新入部員のみなさん、 これで全員ね。 新しい仲間を迎えて 家庭科研究クラブは二〇人になりました。 今日からよろしくお願いします。 さっそくですが、 今日はロールケーキに挑戦します」 「わあ」と歓声が上がる。 濃厚な生クリームとフレッシュフルーツが くるっと巻かれたロールケーキは ちまたでも人気で、 ロールケーキ専門店があるくらいだ。 それを自分で作れるとは! 萌子はようやくケーキに意識を向ける。 (ぼんやりなんかしていられない。 ロールケーキだよ、 ロールケーキ!) 優美のお姉ちゃんの通う高校の 家庭科室には 電気オーブンが一台しかないらしい。 でも小百坂小学校の家庭科室には 業務用の中型ガスオーブンが 4台もある。 これは小学校では異例のことで、 校長先生が無類のスイーツ好きだ という噂は まんざら嘘でもないのかもしれない。 「フレッシュフルーツは ちょっと用意できなかったので、 今日は白桃の缶詰を使おう思います」 山里先生がはつらつと言った。 先生は本当に楽しそうだ。 きっとお菓子作りが大好きなんだろう。 「まず、スポンジを作ります。 卵の泡立ては、 卵白と卵黄を別立てにします。 あ、別々に泡立てるって事ね。 卵白は 角が立つまでしっかりと泡立てて、 混ぜ込むときに 気泡を潰さないようにします。 抱き込むように、っていうのかしら、 やさしくやさしーくね」 それぞれがグループに分かれて 作業を始める。 みんな口数が少なくなる。 真剣そのものだ。 男子二人組もあれこれ相談しながら 手分けして作業を始めている。 委員長も やり始めるとやはり面白いようで、 瞳をキラキラと輝かせている。 千風の姿を見つめていたら 優美に小突かれた。 「ちょっと、萌ちゃん。 手、動かしてよ」 「あ、ごめんごめん」 萌子はすぐに 卵を卵黄と卵白に分け始める。 ボウルの中に つるんと滑り込んだ卵黄は 濃い黄色でまんまるだ。 (お月様みたいで綺麗) 萌子は思った。 (だけど卵白はぬるっとしていて ぜんぜん綺麗じゃない。 それが泡立てると雪のように真っ白で、 こんなにふわふわになるんだもん。 不思議だな、お菓子作りって) 萌子はハンドミキサーの先で ふわふわになった卵白を見つめて そんなことを思う。 「もうちょっと泡立てて。 角がたつまでね」 隣を通り過ぎるとき 萌子のボウルの中をのぞき込んで、 山里先生が言った。 クッキングシートを敷いた天板に 生地を平らにならして焼くのだが、 はじめからそううまくいくはずもなく、 萌子の焼いたスポンジケーキは まるで板のような仕上がりだった。 「あちゃー焼きすぎたかも」 オーブンを出すときから、 もしかして失敗かもと思ったのだが 「まだわからないぞ」 と自分をごまかしていた。 天板からおろしケーキクーラーの上で 粗熱を取ったら、 やはり認めざるをえない。 これは失敗だと。 「うーん。 オーブンの温度は170度って レシピではなってるけど、 ちょっと焼き時間が長すぎたかな。 まあ初めてだから タイミングもわからないもんね。 どんまいどんまい!」 山里先生は優しい。 (やっぱりお菓子作りって経験なんだ。 たくさん積まなきゃなぁ、経験。 パティシエへの道は まだまだ遠いなー) 天板から外すと、 薄いところはパリパリしている。 でも厚みのあるところは ちゃんとしっとり感がある。 一人一枚焼いているので、 満足げな顔、がっかりした顔、いろいろだ。 「さあ、くるっとロールしやすいように 手前に2センチ間隔で 浅い切り込みを三本入れてください。 ナイフで、浅くね」 先生の言うように 萌子は慎重に切り込みを入れた。 「ちょっと食べちゃお」 隣で優美がそう言うと、 人差し指ですくった生クリームを ペロッとなめた。 「ちょっと、優美ったら」 こそこそ言うとあたりを伺う。 そうしたらこちらを見ていた千風と ばっちり目が合ってしまった。 そのあとのことはあんまり憶えていない。 ロールケーキをくるっと巻くところが このケーキ作りの醍醐味なのに、 その記憶もまったくない。 頭の中にあるのは、 もう千風のことばかりだ。 「ちょっと、萌ちゃんたら さっきから何ぼーっとしてんの」 優美は自分の作った完璧な ロールケーキを厚めにカットし、 フォークで口に運んだ。 「んん~おいしっ」 (そういえば優美は男の子たちに 人気があったな。 いつもいっしょにいるせいで 忘れちゃうけど、 優美ってすごくかわいいんだ。 髪が長くてさらさらで、 私にはまねできない髪型なんだ。 どうしたらそんな髪型になるのか わかんない。 頭の形がちがうのかな。 小さな唇も可愛いし、 目も大きくて、ぜんぶぜんぶ可愛い・・・) 優美とは小学校に入ってからずっと親友だけど、 改めて見つめてみると 顔よし頭良しですらりとしている。 おまけに性格もいいときた。 言うことなしの ものすごくハイスペック女子なのだ。 毎日一緒にいるのはすごく楽しいけれど、 恋のライバルには絶対になりたくない。 萌子はその考えを追い出すかのように 頭をぶんぶんとふった。 顔を上げると、千風と目があった。 するとさっきまで あんなに無表情を決め込んでいたのに 萌子の「頭ぶんぶん」を 馬鹿にしたようにニヤっと笑ったので、 萌子は顔から火が出るほど恥ずかしくなった。 部活が終わり家庭科室を出る 部員たちの手には、 ラッピングされたロールケーキがある。 皆、お母さんにあげようだとか、 弟に食べさせるのだとか 口々に話している。 すごく楽しそうだ。 萌子も、 今日はおばあちゃんの喜ぶ顔が見られると思うと 自然に顔がほころんだ。 「一緒に帰りましょう!」 委員長が千風にそういうのが聞こえてくる。 二人の背中を見送ると、 萌子も優美と連れだって家庭科室を出た。 「萌ちゃんはそれ、 おばあちゃんにあげるんでしょ?」 「うん!優美はお母さんと一緒に食べるんだよね」 「私は、・・・うん、あのね・・・」 優美は何か迷っている様子だったが、 心を決めたように言った。 「渡したい人がいるんだ」 「え?誰?」 「萌ちゃんの知ってる人だよ」 「えー誰誰?。クラスの男子?」 「それが・・・」 優美が口にした名前に、 萌子は驚いた。 「え?光ってあの光?」 「うん。 萌ちゃんの幼なじみの芦熊 光くん」 「えー???」 「これ、渡してくれないかな」 「でも最近ぜんぜん口聞いてないから・・・」 「でも、話かけられるでしょ、 家だって近いんでしょ」 「う・・・ん、でも」 (ちょっと話しづらいな) 萌子はそう言いかけて口をつぐんだ。 目の前の優美の瞳は萌子が首を縦に振るのを待って キラキラと輝いていたからだ。 (今の光は何考えているかわかんないし、 光と優美が仲良くなったら応援できるかな。 ううん、わかんない・・・ああ、どうしよう) 自分で自分に問いかける。 優美は大切な親友なのだ。 光はオドコ会なんて 言っているし、 安請け合いしてなにかあっては 大問題なのだ。 「お願い」 優美が手を合わせてもう一度言った。 そして萌子の手に紙袋を押しつけると、 「お母さん、来てるからもう行かなきゃ」 と言った。 「あ、でも、待って、優美」 萌子がそう言ったときには車に乗りこんで、 窓から「また明日!」と手を振った。 優美がまだ手を出しているのに、 窓が上がってきて慌てて手をひっこめた。 フロントガラス越しに お母さんのしかめっつらが見えた。 (怒られてるのかな・・・) 萌子はふとそう思ったが、 自分の手に残された 優美のロールケーキを見つめて、 「どうしよう・・・これ」 とため息をつくのだった。
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