6.白桃吐息

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6.白桃吐息

委員長と千風はしばらく 連れだって歩いていた。 「委員長は誰と食べるんだ?それ」 千風はたずねた。 「九籐くんは誰とですか」 質問に質問で返すなんて反則だ。 千風は答えに困って 無言になったが、 委員長はそれ以上は 何も言わず横断歩道を 渡りきると 「ではまた明日」 とあっさり去って行った。 (質問の答えがまだじゃないかよ) 千風はそう思ったが、 「じゃ」と手を上げて別れた。 転校当初から なにかと世話を焼いてくれる 委員長。 自分とはまったくちがうタイプだし、 単なる真面目くんだと思っていたが、 意外と話してみると面白い。 彼にもともと備わっている 距離間隔も絶妙だ。 こちらの触れて欲しくない ところには触れない。 けれど困っていたら さりげなく手を貸してくれる。 常日頃から知られたくない 事情を抱えている 千風にとっては 一緒にいてとても 楽な相手なのだった。 (俺の周りは大人ばっかだからな。 けっこう疲れる) いつしか千風にとって学校で 「九籐康介」でいる時が 安らぎの時間となっていた。 一人になった千風は、 暮れなずむ町に一人佇んでいた。 手には、ロールケーキの入った紙袋。 (まったく・・・ 俺はいったい誰と食べるんだろな) 持ち帰ったとて 誰か食べさせたい人が いるというわけでもない。 (こんなもん作ってなんか 馬鹿みたいだな) 千風は自嘲気味に笑った。 その日、 「きよさわ屋」での 興行は休み。 休みの日は 旅館には行かないで、 定宿にしている ビジネスホテルに帰るのだ。 子供の頃から 千風の帰るところといったら いつも街の中心にある ホテルの一室だった。 千風はぶらぶらと 歩き出した。 (コンビニで なにか夕飯になるもの買おう。) ホテルに帰れば一 座のメンバーが 誰かいるだろうから、 一緒に定食屋に 出かけてもいいのだけど、 このところ千風には それが面倒でならなかった。 座長は施設から 千風を引き取って ここまで育ててくれた。 育ての親には 変わりないのだけれど、 千風が六年生になった最近は どこかよそよそしい。 座長には恋人はいたけれど 結婚はしていなかったから、 思春期の子供なんて 面倒だったのかもしれない。 (子供が 欲しかったんじゃなくて、 一座の子役が ほしかったのかもしれない) 千風は頭の片隅に いつもある考えを その日も振り払った。 「そんなことはない。 俺たちは家族じゃないか」 ずっとそう信じていたかった。 (一座の子役が欲しいだけ) 厳しい稽古のあと 共に夕飯を食べ ほっとした笑みをかわし合う時、 その考えは息を潜めるが、 やはり完全に消えたわけではなく ときおり姿を見せるのだ。 その時ふいに 萌子の顔が浮かんできた。 (あいつの作ったプリン うまかったな。 俺、母さんのプリンなんて 食ったことないけど、 あの優しい味、 お母さんが作ってくれるプリンはたぶん あんな感じなんだろう) 千風の中では幼い頃の記憶は 薄れかけていた。 だけど一座に引き取られてからは 毎日が賑やかで、 そしてあたたかだった ような気がする。 あの頃は 自分にも家族ができたんだって 単純に嬉しかった。 それは座長だって 同じ気持ちだったはずだ。 九籐 千風の仮面を脱いだ時、 自分の帰る場所は やはり一座にしかないのだ。 ホテルに戻ると 幸い、一座のメンバーは出かけていて 誰にも会わなかった。 千風はロールケーキを冷蔵庫へしまうと、 着替えるのも面倒で 制服のままコンビニへでかけることにした。 ぶらぶらと歩いているうちに 温泉街へ入った。 幅の狭い曲がりくねった川の 両側に温泉旅館が立ち並ぶ。 夜の始まりの薄闇が降り、 赤い柱の上で 乳白色の丸い電球が灯る。 すれ違う観光客は みな笑顔で楽しそうに 話しながら歩いている。 誰一人、 千風に気がつかない。 (メイクもしていないし 着物も着ていない。 地味なかっこうだ) こんなとき千風は思うのだ。 (九藤千風を取り除いた あとの自分とは、 いったい何者なのか。 そこになにか 残っているだろうか) きよさわ屋の前を 通り過ぎる時、 大きく張り出されている 一座のポスターが目に入った。 笑っている千風。 堂々としている千風。 あれは本当に俺なのか? 目にかかった前髪を 無造作にかき上げると、 そのまま通り過ぎる。 (今、俺は千風じゃない。 康介だろ?) 自分で自分に そう言い聞かせた。 風情のある温泉街に 不似合いな大きな原色のロゴを掲げた コンビニがすぐそこに見えた。 その隣にはうどん屋、 花屋、酒屋など 昔ながらの小さな商店が いくつか建ち並んでいる。 温泉街といっても 中心から外れると 普通の家もあるのだし、 何もすべてが観光客向け ばかりの商売ではないのだろう。 千風が酒屋の前を 通り過ぎようとした時、 中からビールケースを持った 少年が出てきた。 店の前に停められている 軽トラの荷台に それを積み込もうとしている。 まだ小さな体に 重いビールケースは 相当手強そうだ。 千風の行く手を ふいに塞いだ格好になり、 すいませんと頭を下げるか と思いきや、 じろりとにらみつけてきた。 「あ」 (昨日のあいつだ) 山の神社での YouTubeの撮影を聞きつけて やってきたあの「不良たち」 そのリーダー格のヤツ。 千風は一瞬文句を言いそうになって、 すぐに口をつぐんだ。 今は康介だ。 千風ではない。 正体をばらすわけには 行かないのだ。 「おい光、それ、 きよさわ屋配達分だからな」 酒屋の中からそんな声が 聞こえてくる。 のぞき込むと 父親だろうか。 伝票とにらめっこして 配達の品物を確認している。 「ああ」 そう答えた光は 千風にうっとおしそうな 視線を向けてくる。 「なんだよ、はやくどけよ」 そう言いたげな顔だ。 (俺が千風だなんて 気がつくはずもない) 千風が目をそらすと 光も無言で中に戻っていく。 「あと何ケース?」 光の声に続いて父親の声。 「漆黒堂さんの オレンジと瓶ビール、 それから、鳴海さんにも・・・」 「めちゃめちゃ多いじゃん、 あーしんど。」 「文句言うんじゃねぇ」 怒鳴り声が響く。 その声に千風が目をやると、 光は 反抗的な目をして 父親の事をにらみつけていた。 そんな光の頭を 父親は手の平で思い切り はたいた。 「毎日毎日遊びほうけやがって、 ちったぁ黙って働けっ」 「うるせぇ、くそ親父っ」 光はそうどなると ビールケースをガチャンと置いて 店から飛び出してきた。 そしてそこにい合わせた千風を 突き飛ばすようにして 温泉街の方へ 走って行ってしまった。 千風はその後ろ姿を しばらく見つめていたが、 やれやれといった様子で すぐそばにあるコンビニに 入っていった。 適当に弁当を買い、 しばらくあたりを ぶらついていたが、 今度はきよさわ屋の前で ふたたび光に会ってしまった。 (お前、あんな飛び出しかたして 配達どうすんの) 千風はそう思ったが、 余計なお世話だと思い その場を通り過ぎた。 しかし 光が自分のポスターに 釘付けになっていたので すぐに戻ってきた。 「なんだよ、またお前かよ」 光がそう言い、 うっとおしそうな顔をした。 「いや・・・あの、好きなのか。 そいつが」 「うっせぇ。 お前には関係ないだろ」 千風は正体を明かせない 口惜しさにじだんだ踏みたくなった。 光のその態度が頭にきていたので、 おもわず「千風は俺だ」 と言ってしまいそうになった。 (けどそういうわけには いかないんだよな) 千風は大きく息をつくと、 「ほんものの舞台 見たことあるのかよ」 と怒りを抑え込んで 聞いてみた。 「あるわけないだろ、 そんなもん」 「本物はすげぇぞ」 「え、そうなのか? お前見たことあんのか」 「まあな」 「へえ」 光はすこし千風に興味がわいたようだ。 「いいな」 「そっか?」 「うん。 ・・・あの、さ。お前って転校生?」 「ああ」 「何組?」 「G」 「ふうん」 そこでお互い言葉がとぎれ、 気まずい空気が漂った。 その時、 背中で聞き覚えのある声がした。 「あ? 光、配達に来たの?」 千風はふいに振り向いた。 そして、そそくさと逃げ出した。 どんくさい萌子のことだ。 光の前で自分の正体を ばらしかねない。 足早にその場から 退散すると 遠くから二人の姿をうかがった。 和服姿の萌子は 手にした紙袋を 光に渡そうとしていた。 最初は緊張した面持ち だったのだが、 光がそれを受け取った途端、 ほっとした表情を浮かべた。 遠くて 何を話しているのかは わからない。 (あの紙袋って、 もしかしてロールケーキじゃね?) 千風はさっき自分が持ち帰った紙袋を 思い浮かべた。 (やっぱ俺のと一緒だと思う。 まさか光にプレゼントとか・・・ いやーでもあいつのロールケーキ 板みたいに薄っぺらくて バッシバシだったから あれはちょっと、 人にあげるにはきつい代物だ) ちょっとイジワルにそう思ってみる。 (ああ気になって仕方ない! なんで俺、こんなことしてんの。 はぁぁぁぁぁ、 腹減ってんだろ。俺! 早くホテル帰って 飯食おうぜ、な、俺!) そこへ軽トラックが到着し 光の父親がおりてきた。 光の頭を小突くと、 荷台を指さしている。 光はしぶしぶ ビールケースを運び始めた。 (やっぱ手伝うんだ。 そんなワルでもないじゃん) 千風は思った。 (酒屋の配達。ただの配達) そしてガシガシと地面を蹴りながら、 ビジネスホテルに向かって歩き始めた。 自分がパタパタと音を立てて 旅館の廊下を駆けていることに はっと気がついて、 萌子は立ち止まり、 ため息をついた。 いつも廊下は 絶対に走らないように おかみに言われているのだ。 (なーんだ。 光、話してみたら 変わってないじゃん。 優美のロールケーキも 渡せて良かった。 日持ちしないからどうしよっかなって ほんと悩んでたんだよね。 ちょうど配達に来るなんて グッドタイミング!) 壁を作っていたのは自分の方で、 勇気を出して話してみたら 光は照れくさそうにしていたが 昔と同じ調子で話してくれた。 (光、驚いてたな。 私だって驚いたよ。 あの優美が 光を好きだなんてね。 でもオドコ会って ほんと、なんなんだろう? 昨日の光はちょっと怖かった) 光は、 どこか別の世界への扉を 開いてしまったのかもしれない。 萌子には入れなくて 男の子には入っていけるような。 女の子には 覗くこともできないけど、 男の子にはしびれるような世界。 どんな世界なんだろう。 そこはやっぱり悪の世界 なんだろうか? 萌子は 光と以前のように 話せたのでほっとしたが、 一つだけまだ気がかりが残っていた。 (私、小野田さんの耳のことは やっぱり光に話せない。 あれはやっぱり単なる偶然の一致だよ。 光が知ったらなにするかわかったもんじゃない。 どうしても言えないよ) 萌子はぎゅっと胸の前でこぶしを 握りしめた。 その頃、ホテルへ戻り シャワーを浴び終えた千風は ベッドにごろりと横たわり、 スマホで動画を見ていた。 YouTubeに上げるために パソコンにとりこんで 編集するのだ。 (ほんっと この前は危なかったな。 このスマホ、 崖の下にぶっ飛んだか と思った) 萌子と神社に行った時のことを 思い出して、 千風は笑いがこみ上げてきた。 その時の動画を見つけると 最初の部分は なかなかうまく取れている。 しかしその直後 このスマホは空を飛んだのだから、 その後の動画は まったく使える代物ではない。 (あいつほんとどんくさいの) 「自分の住んでいる町なのに 久しぶりだなんておかしい」 萌子の言葉がよみがえる。 一所(ひとところ)に とどまることのない自分には その気持ちはわからないけれど、 居場所を探しているのに どこにも行けない鬱屈が その横顔に浮かんだような 気がして、 ふと、 人の幸せなんて わからないものだなと思った。 (自由そうに見えて、 どこへも行けないのは 自分も同じだな) それでも九藤千風でいる間は 自由だと感じる。 いつも他人の目を 気にしていなくてはならない 不自由さこそあれ、 ファンを自在に 操作できるような・・・あれは錯覚? にしろ、 自分の居場所は 「舞台」にあることは確かだ。 千風は備え付けの 小さなデスクに座り パソコンの電源を入れた。 傍らには食べかけのロールケーキ。 生クリームも白桃もはみ出して 見た目は悪いけれど、 なかなかおいしくできている。 ロールケーキを作ったカテケンの あのほのぼのとした 雰囲気を思い出すと なんだか心があたたかくなってきた。 まだいくつも 編集しなくてはならない 動画がある。 千風は椅子に座り直した。 (小野田さん、 専門分野って言ってたな。 たしか座長も 編集できる人募集したって 言っていた。 絶対俺よりうまく 編集してくれるはず! よしっ、頼んでみよう) 千風は立ち上がって 部屋を出た。 まだ起きているかわからないけれど 小野田の部屋を訪ねてみよう。 そう思った。
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