7.ほろりスノーボール・ハート

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7.ほろりスノーボール・ハート

「さあ、今日はみんなの手を使って 簡単クッキーを作ろうと思います」 「わあ」 家庭科室のそこここから 嬉しそうな声が上がった。 家庭科研究クラブの活動は いつも温かい空気に包まれている。 顧問の山里先生が 明るくて優しいということと、 いつも甘い香りに 包まれていることが その理由なのかもしれない。 「一番大事な材料は材料は、 アーモンドプードル。 アーモンドを 粉にしたものです」 (ふむふむ) 萌子はクラブのために用意した 黄色い小花柄のお料理ノートに 大真面目な顔をして メモっていく。 (アーモンドプードル。 軽く空焼きしてから使う・・・と) 隣を見ると、 いつもは自分と同じように 熱心にノートに ペンを走らせている優美が、 今日はぼんやりと 窓の外ばかり見ている。 (恋煩いってやつ?) 萌子は ふとそんなことを思ったが、 「今回は道具は使わないで 手を使って バターを柔らかく 練っていきます。 ほら、みんなは すばらしい道具を持っているよね。 それは、手。 体温でバターも ほどよく柔らかくなるし、 よくよく 練ることができますね」 (ふむふむ。 手を使って練る・・・か) すぐに山里先生の方へ 意識はもどっていく。 一つのボウルの中で 生地ができていく。 手が素晴らしい道具だとは よく言ったものだ。 なるほどその通り。 この手があれば どんなことだってできる 気がしてきた。 (えらいぞ!私の手!) なめらかな生地ができたら まん丸に丸めていく。 小さくてコロコロ 可愛い姿だ。 オーブンに入れて 十五分もすれば、 クッキーの焼ける 甘い匂いが 家庭科室いっぱいに 広がった。 萌子は 鼻から大きく息を吸い込む。 (むふーう。 少しでもたくさん この幸せな空気を 吸い込みたい!) そんな気持ちで 鼻の穴を膨らませていた。 「ぶはっ」 その時、 吹き出す声が聞こえてきた。 はっとして顔を向けると、 そこには堪えきれなくなって 笑いをふきだした千風の姿。 「清沢、お前、その顔・・・ ぶははははははは」 「な、なによぅ、 人の顔見て笑うなんて 失礼なっ」 萌子が頬を膨らませて 怒っているのを見ても、 千風の笑いは止まらない。 となりにいる委員長まで つられて吹き出す始末だ。 「だって、 すごくいい匂いなんだもん。 ほっといてよぉ」 顔が赤くなるのを抑えきれずに 萌子は小さくつぶやくと 彼らから目をそらした。 優美に助けを求める 瞳を向けたが、 やはりその日の 優美はおかしい。 いつもならナイスな 助け船を出してくれる 彼女が心ここにあらず・・・。 「優美ぃ」 泣きついてくる萌子に ようやく気がつき、 「おーよしよし」 といつものように 笑顔を向けるが やはり その心そこにあらず。 その優美の異変は クッキーをラッピングして 部活動が終了するまで 変わらなかった。 「優美、帰ろー」 「うん」 「可愛くできたね。ラッピング。 このクッキーすごくおいしいよね。 口に入れるとホロッと溶けて、 ほんとおいしすぎる! それに作るの すごく簡単だったのに、 お店で売ってるみたいに 本格的なんだもん。 こんないいレシピ、 先生どこで手に入れてくるのかなぁ。 すごいよぉ」 興奮気味に話す萌子の言葉も 耳に入らないようだ。 「優美、どうかしたの?」 「え、あ、うん。それが・・・」 「なに?」 「昨日お母さんとけんかしちゃったんだ・・・」 「え、どうして? 優美のお母さん、 すごく優しいのに」 「優しくなんてないよ」 「え?」 「なんでもかんでも お母さんが決めちゃって、 私の意見は ぜんぜん聞いてくれないし」 (いつも優美とお母さんは すごく仲が良くて うらやましいって 思っていたのに) 萌子は優美の気持ちが いまいちわからない。 「毎日迎えに来るのだって、 私が勝手なことしないように 見張りたいからなんだ」 (そんなことないでしょ!) 「ピアノに行くのも塾に行くのも 全部全部お母さんの勝手。 私を車に乗せて、 はい着いたわよ、はい迎えに来たわよ、 乗りなさい、 って。私、もう六年生だよ。 バスにだって乗れるし、 どこへだって一人で行けるもん」 「・・・きっと心配なんだよ。 優美のことが」 「お母さんもいつもそう言うの。 あなたのことが心配だからって」 (私なんて一人で なんでもするのが当たり前 だって思われてる。 もっと心配して欲しいって ほんとはいつも思ってる) そんな萌子の気持ちも知らず、 優美は文句を言い続ける。 「だから言ってやったんだ。 ほうっておいてよって。 そしたら」 「そしたら?」 「泣いちゃったんだ・・・」 「うそー」 (かわいそう-、 お母さん!) 優美はつらそうな顔で クッキーの包みを ぎゅっと握りしめた。 「それ・・・」萌子は言った。 「お母さんに渡して、 謝ったら?」 「どうして謝るの? 私、 悪いことしてないでしょ。 自由にさせてって言うのが 悪いこと?」 萌子をにらみつけた 優美の目がつり上がった。 (いつもの優美じゃない みたいだ) 「そうじゃないけど・・・」 萌子は怯んだ。 「お母さんはずるい。 泣いたりして」 「・・・でも本当に 悲しかったんだと思う。」 萌子はドキドキしたけれど、 思っていることを言おうと思った。 優美は大切な友達だから、 お母さんと仲直りして欲しい。 「お母さんは優美のこと 大好きだから、 いらないって 言われたみたいで つらかったんだと思う。 大人だってつらかったら 涙が出るんだと思う」 萌子の言葉を聞いて 優美はしばらく 考え込んでいたが、 さっきまで ぎゅっとひきしめていた 唇をゆるめて、 萌子に少し笑ってみせた。 「お母さん、 迎えに来てると思う?」 「絶対来てると思う」 「そうかな・・・」 「きっと来てるよ」 二人が校門から出ると、 いつもの場所に  優美のお母さんの車は ちゃんと停まっていた。 優美の姿が見えると、 お母さんは 慌てて車から出てきて 近付いてきた。 「こんにちは」 萌子は優美が 自分の後ろでつんと顔を背けて いるので気まずかったが、 お母さんにきちんと挨拶をした。 「萌ちゃん。こんにちは」 お母さんは優美の態度を うかがいながら、 ちょっと困ったような 顔をしていた。 「今日は 萌ちゃんと帰る約束 しているから」 その時、 優美が突然そう言った。 「え・・・」 「・・・そ、そうなの?」 「別にいいでしょ。 今日は塾もピアノもないんだし」 「帰りは・・・」 「自分で帰る」 優美は頑固な様子で はっきりとそう言った。 お母さんが 小さなため息をついたのを 萌子は見逃さなかった。 ため息をついたけれど お母さんは 「わかったわ。 気をつけて帰ってくるのよ」 それだけ言った。 「萌ちゃん」 「は、はいっ」 「優美をよろしくね」 お母さんの顔がとても真剣なので、 なにかものすごいミッションを 頼まれたような気がした。 (責任重大だ!) お母さんの車を見送ると、 そんな萌子の気も知らないで、 優美は上機嫌で 萌子の腕に自分の腕をからめた。 「萌ちゃん、 今からどっか行こうよ」 スキップしながらそう言った。 学校の帰りに より道するのは 校則で禁止だ。 それは優美も よくわかっている。 だから二人で 学校のすぐそばの公園で、 カテケンで作ったクッキーを 食べながらおしゃべりをした。 スノーボールクッキーの 優しい甘さが 柔らかく口の中に広がって、 優美のとんがった 気持ちもしだいに おさまっていった。 「帰ったらお母さんと仲直りする」 「そうだね」 「これ、持って帰って お母さんにあげよう」 「うん。すごくおいしく できたもんね」 萌子はこんなにも 人の心を柔らかくしてくれる お菓子の力を 改めてすごいと思った。 (やっぱり私 パティシエになって いろんな人の心を優しくしたい!) 萌子はまた決心を固くした。 学校は温泉街のすぐ近くにあるので、 萌子は徒歩で登校している。 優美の家は 山道を越えた隣の集落にあるので、 いつも車だ。 でも今日は一人で帰ると 宣言したのだから、 当然バスで帰ることになる。 「優美、バス乗れるの?」 「うん。当たり前でしょ」 「乗ったことあるの?」 「・・・ないけど」 「やまだまち行き  っていうのに乗ればいいんだよ。 前にお父さんが言ってた」 「あのさ・・・」 萌子は言いにくそうに言った。 「本当は 一緒にバスを待ってて あげたいんだけど、 旅館の手伝いがあって」 「いい、いい。 一人で帰れるよ。大丈夫」 優美はそう言ったけれど、 その顔がなんだか心細そうで 萌子は後ろ髪を引かれるような 気がした。 バス停に優美を残して 萌子は旅館への道を駆けていた。 今日はお母さんが珍しくお休みをとるという。 病院に入院している この温泉街の 町内会長さんのお見舞いに 行きたいそうだ。 萌子の学校の用事でもなんでもない。 仕事でもお世話になっているから どうしても見舞いに行かないと いけないなんて お母さんは仕事熱心すぎる。 (私の授業参観よりも大切なこと・・・?) 萌子はなんとなく 胸の奥がモヤモヤする。 (お母さんは本当は私のこと、 大切じゃないのかもしれない。 私は一番じゃないのかもしれない) 頭に浮かんだモヤモヤを 振り切るように、 萌子は頭をぶんぶんと振った。 (いや、そんなこと、絶対ないもん。 今日はお母さんの分まで働くぞって ヤル気満々だったでしょ! あの気持ちを思い出せ!) そう自分を励ました。 おかみの代役は 久しぶりにおばあちゃんだ。 「ひさしぶりだから ちゃんとできるかしらねぇ」 おばあちゃんは少し不安げだった。 (すごく長く生きている大人でも 不安になることがあるんだなぁ、 私も手伝うから安心して!) と萌子はやっとやる気が出てきた。 旅館に戻ると、制服の着物に着替えた。 玄関ホールへ行くと、 おばあちゃんが 綺麗な着物姿で立っていた。 洋服のおばあちゃんとちがって、 背筋がすっと伸びていてなんだか 背が高くなったように見えた。 白髪のショートカットで すっきりと着物を着こなしていて、 とても素敵だった。 タクシーから降りてくるお客様を 丁寧に案内しているその笑顔は 生き生きとしている。 (きっとおばあちゃんは この仕事が 好きだったんだろうな) 萌子はそう思うと おばあちゃんのことを 尊敬する気持ちで いっぱいになった。 (私も自分が好きだと思える 仕事がしたい) 心からそう思った。 そしてその夜は劇団「鳴る風」 の興行も行われていた。 萌子はドキドキしながら 座敷の隅から舞台を見つめていた。 (来た・・・) 千風が中央に現れると、 歓声が湧き上がった。 さっきまで家庭科室で 自分の隣に居たとは 信じられない。 (本当に本当に本当に 康介は千風姫?) 萌子の視線の先で千風が舞った。 今夜は萌葱色の着物だ。 すごくよく似合っている。 長くつややかな髪を なびかせて舞い踊る。 唇からあふれ出す歌声。 ああ、 なんて素敵な声なんだろう。 萌子はその姿に釘付けになる。 どうしたって千風は自分の心を つかんで離さないのだ。 その時萌子の方を千風が見た。 萌子の心臓がドキッとする。 千風が ニヤリとあのいたずらな笑みを 浮かべる。 (康介が千風だって秘密、 私だけが知ってるんだ) 熱狂が渦まく。 幾層にもなったファンたちの列の 最後列で背伸びをしながら、 (千風のことをもっと見つめていたい) と萌子は願った。 (やっぱり千風姫は完璧。) 「ふぅぅぅぅぅ」 萌子は思わず熱い息を吐いた。 (千風姫は全身全霊で この仕事に打ち込んでいるんだ) 舞台を最後まで見ているわけ にもいかず、 自分を千風から引き剥がすように 萌子は厨房へ戻った。 まだまだ 座敷に運ばなくてはならない 飲み物が残っている。 (本当はもっと見ていたいけど、 仕事しなくっちゃ) 「すいません、 伝票に受け取りお願いします」 廊下で呼び止められ振り向くと、 光が立っていた。 「あ、光。」 「よぉ」 「サイン?ここ?」 「うん。瓶ビール3ケースです」 「はい」 萌子は光のさしだした伝票に サインをすると 光の顔を見上げた。 「あ、あのさ光・・・ ちょっと聞いていい?」 「・・・なに?」 光は恥ずかしそうに 目をそらしてしまった。 「どうしても知りたいんだけど」 萌子の真剣な言葉に光の視線が戻ってくる。 「オドコ会って、いったいなに」 「それは・・・」 「あんなの、って言ってごめん。 でも、怖くないの? まわりの人みんな中学生でしょ?」 「怖くなんてない。あいつらは仲間だ。 オドコ会は不良の集まりなんかじゃないし」 「そうなんだ・・・」 萌子は口をつぐんだ。 光がそう言うのだから これ以上何を言っていいか わからなくなった。 「大人はなんにもわかってない。 俺らみたいな見た目が集まってっから 当然悪いことしてるって 思う方がおかしいんだ」 光は一気にそう言って、 悔しそうに唇をかんだ。 「どうしてオドコ会に入ったの?」 「それは・・・正義だから」 「正義?」 その時、 軽トラのクラクションが聞こえてきた。 「あ、いっけねぇ 親父が呼んでる。 まだ配達あるんだった」 光の険しい表情が 一瞬にして消え失せ、 子供っぽい表情が戻ってきた。 「俺行くよ」 「あ、うん」 「お手伝いがんばって」 「お前もな」 (正義ってなんだろう。 どういう意味なんだろう) 萌子は光の言った言葉の意味が わからなかった。 (オドコ会が正義?) 旅館に生まれた萌子。 酒屋に生まれた光。 ずっとずっと友達だった。 それなのにいまはもう理解できない。 (どうしたら光のことを 信じられるのだろう。 いつになったら私は あのとがった右耳の男のことを 打ち明けられるのだろう?) 危ないところから 連れて逃げることが できるのならそうしたい。 「俺らは悪を働くほうじゃない」 光のその言葉に嘘なんかなかった。 だけど 萌子にはオドコ会が怖いところに思えて 仕方がない。 萌子は光が危険なことに 巻き込まれないよう 心の中でただ願うばかりだった。
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