8.ミントキャンディの風

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8.ミントキャンディの風

「萌ちゃん、お疲れ様。 ごめんね。遅くなっちゃった」 萌子が休憩室でおばあちゃんと一緒に 缶ジュースを飲んでいると、 いつもの着物姿にもどった 母親が現れた。 「お母さん、助かりました。 ありがとうございました」 「それで、どうだった? 会長さんの様子は」 「ええ。だいぶんよくなったみたいで、 来週退院できそうですって」 「それは良かったね」 「そこで会長さんから 聞いたんですけど」 「ん、なんだい?」 「二年前の強盗事件。 知人による犯行だったそうです」 「あのまだ捕まっていない犯人が 知っている人だったのかい?」 「ええ」 二年前の芦熊商店に入った 強盗の男は、 実は夫婦の知り合いだったそうだ。 親と生き別れ、 温泉街近くの山間の一軒家で 一人で暮らしていた 十八歳の青年を 芦熊商店の夫婦は 応援していた。 しかし金に困った青年の 借金を夫婦が断ると 青年は商店の金を持ち逃げしたのだ。 「芦熊さん、被害届を 取り下げることを決めたそうです」 「許すってのかい?」 「きっと反省している。 あの子はそんな悪い子じゃない からって。 取られたお金だって多くない からって」 「金額の問題じゃないだろう?」 「そうなんですけど」 「けどって?」 「もし、自分の子供だったらって考えて しまったんですよね」 「なんだい、それ」 「自分の子供だったら、私も そんな風に思うかもしれない。 あの子は悪くないって。 一瞬の気の迷いだって ・・・信じたいじゃないですか」 「なにばかなことを 言ってるんだい・・・」 萌子はおばあちゃんの困ったような、 呆れたような顔を 見つめていた。 (光はもしかして、 このことを知ったのかも。 それで両親に反発して オドコ会に入ったの? お母さんとお父さんの選択は 正義じゃないって 思ったの? 悪いことをして 捕まらないのはおかしいって 思ったの? じゃあ、オドコ会の正義って 罪を償わせるってことなのかな。」 萌子は頭の中で、 不良たちが犯人を取り囲んでいる様子を 想像してしまい、怖くなった。 (まさか捕まえて みんなで暴力振るうってことは ないよね。) その頃優美は山道の小さなバス停に立って ずっとバスを待っていた。 (こんなにバスって来ないものなの? 知らなかった!) あまりにも長い待ち時間に くじけそうになりながら優美は思った。 (一時間に二本なんて、 すくなすぎでしょー!) お母さんの車に乗っているときは いつも音楽を聴いているか動画を見ていた。 だから優美が山というものを地肌で感じたのは これが初めてかもしれない。 初夏に現れ始めたヤブ蚊を手で追い払い、 後ろを振り返る。 山の斜面にはうっそうと木々が茂っていた。 そのずっと奥はとても暗く何も見えない。 得体の知れない生き物の鋭い声が闇を貫く。 思わず優美の心臓がどきんと鳴った。 (やっぱりお母さんの車に乗ればよかった!) 厚かましく木に絡まりついた太いツタは その生気まで吸い取ってしまいそうな勢いだ。 優美の家の庭にあるアイビーとは全然違っている。 絡まったまま枯れはてた雑草の茶色い茎が 折り重なって地面を隠している。 目をこらしてのぞき見た隙間から 泥にまみれた古い手袋が見えた。 その瞬間背筋がひやっとして優美は目をそらした。 いつのまにかあたりは夕闇に包まれている。 (なんか怖い) 優美は心細くなってきた。 たった一人こんな山道のバス停にいるのだ。 怖くないわけがない。 (どうしよう。早く来て、バス) 胸の前で手を合わせてお願いしたが、 そんな願いが届くはずもなく・・・。 その時だった。 「あ」 優美の前をひとりのランナーが通り過ぎ、 またすぐに引き返してきた。 優美はぎょっとした。 心臓が次第に大きく 打ち始めた。 (この人 なんでこんな山の中 走ってんの??? やだ、こっち来ないで) そんな優美の気持ちに反して 男はみるみるうちに近付いてきた。 (来ないで来ないで来ないでー) 優美はじりじりとあとずさった。 今にも背を向けて 逃げ出しそうな構えだ。 すると近くまで来た男が 一瞬優美のことを見つめた。 優美は震え上がった。 すると男はかぶっていた トレーナーのフードをさっと脱いで 「佐藤優美?」とつぶやいた。 「え?」 その顔を見た途端、 優美は胸をなでおろした。 「光くんだ・・・」 同時に今度は 別のドキドキで 息がつまりそうになる。 学校の廊下で見かけた時は いつも怖い顔で 肩で風を切って歩いている。 みんなは光のことを 不良だと怖がって近寄らない。 だけど優美は 四年生の時からずっと 光のことを見てきたのだ。 (みんなが本当の 光くんを知らないだけだ。 悪い人であるはずがない。) 優美は ずっとそう信じている。 「えーっと、えっと、 なんでこんなとこにいるの」 「それはこっちの台詞だけど」 「あ、バスを待ってて」 「こんな時間に・・・?」 「でも全然来なくて」 優美はそう言ってしゅんとした。 「本数少ないからな。 走った方が早い」 光はそう言って笑った。 優美はその笑顔にきゅんとする。 (光くん、 やっぱりぜんぜん 怖い人なんかじゃない。) 優美はめったに見れない 光の笑顔につられて 微笑みを浮かべた。 (久しぶりに笑顔を見れて嬉しい) 「あの・・・ ジョギングしてたの?」 「ああ」 「サッカークラブには 入らなかったの?」 「うん。店の手伝いもあるし」 「ああ、そっか。 おうち、酒屋さんだもんね」 四年生の頃は 優美は 光と毎日のように顔を合わせていた。 親友の萌子が 光と一緒に登校していたからだ。 スポーツ万能で 運動会でも「星!」の光を いつも「かっこいい」と思っていた。 でもある事件が 光の笑顔を奪ってしまった。 詳しいことは お母さんも 教えてはくれなかったけれど、 噂で 酒屋に強盗が入ったと聞いた。 事件のあとも 優美は 時折見つけた光の笑顔を集めて 宝物のように 胸の中にしまってきた。 いつも光の笑顔を見れた日は プレゼントをもらった時 のような気持ちになったものだ。 優美は無言で そばに立っている光を 見上げた。 (光くん、背が高くなったな。 私よりずっとずっと大人みたいだ) 「かっこいい」が 「好きかも」に変わって 「好きかも」は 「好き」に固定した。 優美に向かって、 とつぜん光は早口で言った。 「あ、あの、ケーキ、 サンキューな」 (食べてくれたんだ! 嬉しい!) 優美がその言葉に まんまるく瞳を見開いて 光を見つめたので、 光ははずかしくなって すぐに目をそらしてしまった。 そしてトレーナーのポケットを ごそごそやると、 ミントキャンディを出してきた。 「これ、食う?」 「ありがと」 「しんどいの、ふっとぶから」 「うん」 口に入れると鼻腔にミントの さわやかな冷たさが 通り抜けて行った。 光の言うとおりだ。 長い間バスを待ち続けている 疲労感がぬけていくようだった。 夏の湿気に汗ばんでいだ肌も 夕暮れの ひそやかな涼しさに冷めてきた。 (山は大きな緑色の生き物で、 その中にくねくねと通っている この道は食道? 私はそれに 飲み込まれてしまったみたい) 優美はそんな想像をしていたのだ。 こんな季節なのに 山は不思議なほど寒くて、 心細さのあまり そばに居る光の腕に すこし触れていたいような 気持ちになった。 それからは二人とも 何を話せばいいのか わからずに 薄闇の中でただ立ち尽くし 口の中で コロコロとミントキャンディを 鳴らしていた。 「バスが来るまで、一緒に居てやる」 光がぼそりと言った。 「いいの?」 「うん」  優美は涙が出るほど嬉しかった。 怖くて心細くて、 けれどここから動くことも怖くて、 どうすることもできなかったから。 どれくらい時間がたっただろう。 二人はバス停にしゃがみこんで ただじっとバスが来るのを待っていた。 優美の胸のドキドキもだんだんと鎮まって、 一人じゃない、 誰かがそばいいてくれる 安心感をいつもより ずっと強く感じていた。 その時一台の車のヘッドライトが 二人を照らしたかと思うと ものすごいスピードで近付いてきた。 「きゃ・・・」 優美をかばうようにして 光はその前に立ちはだかった。 車が急停止すると中から 優美の母親が飛び出してきた。 「お母さんっ」 「優美、なにしてるのっ」 「なにってバスを待ってたんだよ」 母親は怪訝そうな顔で光を見ると、 ずかずかと近付いてきた。 「あなたは?いったい誰」 立ち上がった光は一瞬で 不良の仮面をかぶった。 「お母さんっ」 「来なさいっ」 母親は恐ろしげに 光の顔を凝視したが、 すぐに優美の腕をつかむと 引きずるようにして 車に連れて行った。 「もう暗くなって来たから お母さんと帰ろう」 「でも・・・」 (怖かった。 お母さんが来てくれてよかった。 だけど、だけど・・・) すがるような気持ちで 光の顔を見た。 光はそんな優美の顔を 何も言わず ただじっと見つめ返した。 「あ、あのっ・・・光くん」 (言いたい。 ありがとうって言いたい) 「早く乗りなさいっ」 母親の厳しい声が聞こえた。 (お母さんがごめんね、 光くん) (いいんだ、別に。 こういうのには慣れてる) 光のそんな言葉が聞こえてくるようだった。 目の前の光の顔は 反抗的にゆがんでいた。 「あの子、誰なの? こんな時間にこんなとこに 男の子といるなんて、 お母さん、びっくりしちゃった」 「どうしてわかったの?ここにいるって」 「GPSよ。知ってるでしょ。 スマホに設定したじゃない」 「あ、そうだ。そうだった」 優美はそう答えてから、 今まで母親が自分のスマホに 居場所がわかるアプリを 設定するのを 何気なく見ていたけれど、 それは 「自分がいるところを母が知る」 ということなのだと 改めてはっきりと感じた。 (光くんは私のために 一緒にバスを 待っていてくれたんだ) 優美は そう母に伝えたいと思った。 けれど なんだかわかってはくれない様な  気がして、 そのまま何も言わないでいた。 優美の母親から 萌子の母親に 電話がかかってきたのは 夜の九時過ぎだった。 二人は同い年の娘を持つ母親同士、 小学校に入ったときから友達で、 いつも電話で あれこれおしゃべりをしていた。 その時間にもなれば 「鳴る風」の興行も終わり 団体客の給仕も一段落する。 萌子はいつもならとっくに家に 戻っているけれど、 その日は母の留守番を 務めていた延長で、 そのまま残って 休憩室でジュースを飲んでいた。 「はい」 スマホに出た母親は唇だけで 「優美ちゃんのママよ」と言った。 「え、ああ、光くん。 知ってるわよ」 光の名前が出てきたので萌子は 母親の顔に釘付けになった。 「光がどうかしたの?」 母親がまだ話し続けている というのに、 それにかまわず問いかける。 母親は(なんでもないのよ)と 言った様子で立ち上がり、 萌子のそばから離れていった。 萌子はすぐに 自分のスマホを取り出すと ラインをひらく。 やっぱり優美から ラインが来ていた。 今日のバス停でのドキドキと 母親への怒りがごちゃまぜになって 文面から飛び出しそう。 ぽよぽよした可愛いスタンプと ドクロマークや稲妻のスタンプが 入り交じって画面に並んでいた。
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